達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(4)

★「クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』」の記事一覧:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

 

  前回の続きです。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。

 スキナーは、作品・著作の理解に当たっての適切な方法が何かという問いに対して、二つの解答を提示しました。

  1. あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。
  2. テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける。

 まず、②のアプローチが生み出した「神話」を紹介していて、前々回が「第一の神話」、前回が「第二の神話」、今回は「第三の神話」と「第四の神話」です(p.74-98)。

 スキナーは、第一・第二の神話は、抽象的な議論を進める上では増殖するが、歴史家が個々の作品の内容・議論を記述するだけではあまり生じないとします。しかしその場合においても、他の「神話」が生じるとし、これが第三・第四の神話です。第三の神話は、「予期の神話」です。

 まず、ある古典的テクストの議論がわれわれに対してどのような意義をもっていると言われうるかを考察するに当たって、著者自身が何を言うつもりであったかを分析する余地をまったく残さないような形で、しかも、どうやら解釈者本人は相変わらずその分析をしていると思い込みながら、その作品およびその意義を記述するということが容易に行なわれる。この混乱に特徴的な結果は、予期の神話とでも名づけうるような型の議論である。言うまでもなく、そのような混乱が最も容易に生ずるのは、歴史家の方で、ある歴史的な作品や行為が、その行為主体自身に対して持っていた意味よりも、その回顧的意義に―そのこと自体は正当であろうが―関心を持つ時である。そこに発生する好例が、そのような時間関係で見られた状況をめぐる最近の一つの重要な議論の中に見られる。われわれは、ペトラルカのヴァントゥ山への登山とともにルネサンスの時代が始まった、という言い方をしたいと思う。ところで、こうした言い方は、いささかロマンティックに、ペトラルカの行為の意義と、したがってまたわれわれにとっての関心との双方を正しく説明していると言われるかもしれない。しかし問題は、この記述の下での説明は、ペトラルカが意図したいかなる行為の真の説明でもなく、したがってまた彼の実際の行為の意味のそれでもまったくありえないというところにある。そもそも「ルネサンスを始める」という意図などあるはずもなかった。というのは、「そのように表現するには後の時代になって初めて手にしうる概念を必要とする」からである。要するに、予期の神話の特徴は、観察者がおそらく正当にも所与の陳述や行為の中に発見したと主張しうる意義と、その行為それ自体の意味というそもそも非対称な二つのものを一つに融合させてしまうことにある。…

 上の問題は、歴史的考慮を行えばすぐに解決するように思われますが、それでも問題は残ります。それが第四の神話、「偏狭性の神話」です。

 だが、以上のように、たとえ必要なあらゆる歴史的考慮が十分になされた上でもなお、所与の古典的なテクストの内容や議論を正しく記述するためには問題が残る。というのは、観察者が歴史を一種の遠近法で見ることによって、所与の作品の意味(sense)や、意図された言及対象を誤って記述してしまう可能性がなおあるからである。その結果生まれるのが、偏狭性(parochialism)の神話である。この危険は、言うまでもなく、自分のとは異なる文化や馴染みの薄い概念体系を理解しようとする試みにはどこでもつきまとうはずの危険である。すなわち、観察者が彼自らの理解を自身の文化内で首尾よく伝える見通しを立てようとすれば、どうしても、自分に馴染みの分類と区別の基準を用いなければならない。これは明らかに危険ではあるが同時に不可避的でもある。こうして、観察者が異文化に属する議論を研究する過程で、(実質上というよりも)見かけ上「身近な」何物かを「認め」、その結果、誤解を生みかねないほどに馴染み深く見える記述を行なうという危険が生ずるのである。

 そしてスキナーは、「偏狭性の神話」の二つの実例を挙げます。一つ目は「影響関係」が全くないところに「影響」を見出してしまうパターンです。

 実際、思想史の著作においてとくに目立つのは、そうした偏狭性の二つの実例である。まず第一に、歴史家が古典的テクストの中のある所与の陳述の言及対象であるかに見えるものを記述する際に、自らの有利な位置を誤用する危険がある。すなわち、ある作品の中の議論が、歴史家に、たまたまそれ以前の時期の何かの作品にも同様の議論があったと想い出させるか、またはその同様の議論とは矛盾すると思わせることがあるであろう。いずれの場合も、歴史家は誤って、前の時代の作者に言及するのが後の時代の作者の意図であったと考えるようになり、かくして、誤解を招きかねない仕方でそれ以前の作品の「影響」について語るようになるかもしれない。ところで、疑いもなくこの影響という概念は(原因から区別されなければならないとするならば)きわめて曖昧な概念ではあるが、さりとて説明能力を欠いているわけではまったくない。しかし、危険なのは、この概念を、しかるべく適用するための十分条件、あるいは少なくとも必要条件が満たされているかどうかをまったく考慮することなく、明らかに説明的に用いるのがいとも容易だということである。

 そしてスキナーは、「影響」関係が成立するためには、以下の三つの条件が必要であるとします。

  1. AとBとの教義の間に真正な類似性がなければならないこと。
  2. BはA以外の作者の中に当該教義を見いだしえなかったにちがいないこと。
  3. 類似が無作為であることの蓋然性がきわめて低いこと(すなわち、たとえある種の類似性があり、Bが影響を受けたのはAからでありうることが証明されるとしても、さらになお、Bは事実問題として、当該教義を独自に表明したのではないことが証明されねばならないこと)

 ここから過去の「影響」に関する学説を点検し、スキナーは、「思想史におけるこの影響研究(Einfuss-studies)のレパートリーは、過去を自らの追想で満たすことによって遠近法的に描く観察者の能力以上のものには基づいていないと言ってもあながち誇張ではない」と述べています。

 二者の著作から類似する点を取り上げてきて、「〇〇には△△の影響が認められる」と論じるのは、よくある手法です。特に、典拠の引用から文章を作ってゆく中国学においては、その引用に深い意味を見出し、影響関係を論じる場合も多いように思います。もちろん、妥当な場合もあるのですが、共通性があるからと言って安易に影響関係を述べられないというのは確かです。

 

 さて、「偏狭性の神話」のもう一つのパターンが以下です。

 思想史にとりわけ目立つ概念上の偏狭性の別な一形態は、観察者が、所与の作品の直感的理解(sense)を記述する時に無意識のうちに自らの有利な位置を誤用することである。すなわち、歴史家がある議論を概念的に再構成する際に、自分にとって異質な要素を、一見明快ではあるがしかし誤解を招きがちな馴染みのものへと置き換えてしまう危険が常に存在する。言うまでもなく、この危険は社会人類学にとりわけ生じやすく、そこでは、理論家と実地調査者両方にとってかなりの、そして自覚的な注意の対象となってきた。この危険の発生は思想史においても同じように重大問題であるが、しかしここでは社会人類学におけるような自覚が破滅的なほど欠如している。…要するに、問題の核心は、思想史家がただテクストの記述のみに向かう時ですら、また、彼のパラダイムがテクストの純粋に組織上の特徴を反映している時ですら、同じ本質的な危険はなお残るということである。すなわち、歴史家が用いる概念の親しみやすさそのものが、それが歴史の素材には本質的に適用不可能であることを覆い隠してしまうかもしれないという危険がそれである。

 以下、4つの神話の総括が入り、②のアプローチを取る場合の欠点が明らかにされました。ここまで四回の記事を費やして、ようやく第二節の内容の説明が終わりました。

 

 次の第三節では、ここまで述べてきた「四つの神話」を避けることが、②のアプローチを取る限り原理的に不可能であることが述べられます。このうち、テクストそれ自体だけに着目して「観念史」を組み立てることに対する二つの本質的な批判を述べる箇所を、掲げておきます。

 まず第一に、たとえある一定の文化や時代の枠内においてでさえ、ラヴジョイ流に、関連するいくつかの言葉の形態の研究に集中するだけでは済まないということは明らかである。…むしろわれわれは言葉の所与の形態が論理的に使用可能な場としての複雑に変化するさまざまな状況のすべてすなわち、言葉が果たしうる機能すべて、言葉を用いてなされうるさまざまな事柄すべてを研究しなければならない。大きな誤りは、「観念」の「本質的な意味」を、必然的に「同一であり続け」なければならないものとして求めることにあるだけではなく、そもそも、(個々の作者が「寄与する」)「本質的な」意味が存在すると考えること自体にある。当を得た、周知の―少なくとも哲学者には周知の―公式を借りて言えば、われわれは、言葉の意味ではなく、その使われ方を学ばなければならない。なぜならば、所与の観念は、一群の言葉という形態を取り、それが時を超えて考えられ、辿られるという意味(sense)において意味(meaning)を持つとはとうてい言えないからである。むしろ観念の意味とは、さまざまな仕方で何事かに言及するためのその使われ方(use)の中にあるのでなければならない。

 私の第二の、そしてはっきりと批判的な主張は、紛れもなく以上からの帰結である。すなわち、もし、観念が出現するあらゆる機会や活動―つまり言語ゲーム―の性質を見ることによってのみ、初めてわれわれは観念を研究することができると主張することに正当な理由があるとするならば、それに対応して、「観念」史研究の企ては端的に根本的な哲学的誤りに基づくと主張することにも正当な理由がなければならないであろう。そして、事実その通りであること、また実際上も「観念」史研究が不可避的な混乱をもたらすことは、ここで容易に例示可能なのである。思うに、その根本的な混乱は、意味と使われ方との間の根本的な違いを拡大してみることによって最も適確に特徴づけることができるのではないだろうか。つまり、その混乱とは、所与の観念を表示するいくつかの言葉(句またはセンテンス)の発現と、個別の主体が個別の場合に個別の意図(その主体の意図)をもって個別の陳述を行なう場合の有意なセンテンスの使われ方とを区別できなかった結果なのである。一つの観念の歴史を書くことは、明らかに、事実上一つのセンテンスの歴史を書くことであると言ってよいであろう。そうした歴史において疑いもなく特徴的なことは、陳述を行なう主体がとにもかくにも姿を現わすのは、ただ、関連した諸観念―社会契約、ユートピアの観念、存在の偉大な連鎖等々―が彼らの作品の中に発現し、その点で彼らがそれらの観念の展開に寄与したと見られるという理由によってのみ、ということである。だがそのような歴史には、そこからわれわれが知ることができないいくつかの点がある。まず第一に、観念が、たまたまそれに言及した個々の思想家の中で、些少であれ、重要であれ、いかなる役割を演じたか、あるいは、その観念が、それが現れた所与の時期の知的風潮の中で、その風潮に沿ったものであれ外れたものであれ、いかなる位置を占めたか、ということをわれわれは知ることができない。その場合にも、われわれは、おそらく、その表現が、さまざまな問題に答えるために、さまざまに異なる時代で用いられたことは知るであろう。しかし、それでもなお知りえないのは、―コリングウッドのきわめて重要な論点を引用すれば―その表現の使用が、いかなる疑問に答えるものと考えられたか、またそれを用い続けた理由は何であったかということである。したがって、こうした歴史からは、所与の観念が、異なるそれぞれの時代においてどのような地位を持っていたかを把握することは決してできず、結果として、その観念の重要性や価値についていかなる適切な歴史的理解を獲得したとも結局は言われなくなるのである。第二は、こうした歴史からは、ある表現がそれを用いた主体にとってどのような狙いを持っていたか、また、その表現自体がどれほどの使用範囲に耐えられるものであったかのいずれをも知ることができない。したがって、そのような歴史からは所与の表現がどのような意味を持っていたかを本当に把握することは決してできず、結果として、そのような研究からはその観念自体の発現すらついに理解したとは言われないのである。

  「むしろ観念の意味とは、さまざまな仕方で何事かに言及するためのその使われ方(use)の中にあるのでなければならない」というところから、次章のコンテクスト研究へと話が繋がっていきます。

→次回はこちら

(棋客)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(3)

★「クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』」の記事一覧:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

 

 前回の続きです。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。

 少し振り返っておくと、スキナーは、作品・著作の理解に当たっての適切な方法が何かという問いに対しては、以下の二つの解答があると言いました。

  1. あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。
  2. テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける。

 まず、②のアプローチが生み出した「神話」を紹介しています。前回が「第一の神話」(個人の知の伝記、また観念史において生じる問題)、今回が「第二の神話」です(p.60-74)。

 このように、教義の神話の第一の型は、古典的な理論家の一人が散発的に、あるいはたまたま行なった事柄を、以上見てきたようなさまざまな形で、歴史家の側で期待して構えている、テーマの一つについてのその理論家の「教義」と取り違えることから生まれると言ってよい。これに対して、次に見るこの神話の第二の型は、その裏返しとも言うべきものであって、ここでは、歴史家によって指定されたテーマの一つに対して、明白にそれとわかるような教義を提出するところまで行くことにかなりはっきりと失敗してしまった理論家が、その失敗ゆえに批判されることになる。…

 この形の教義の神話のうちでも代表的なものの中心をなすのは、何といっても、古典的理論家の主題にふさわしいと認められてはいるが、実はなぜか彼らが論じなかった教義を彼らに帰するところにある。…そこには常により陰険な底意を潜ませうるのである。つまり、それは、無害な歴史的考察の下で、自分の偏見を最もカリスマ的な名前と結びつける手段とすることである。かくして歴史は、死者と戯れる一組の手品となるのである。しかし、最も普通の戦略は、所与の理論家が言及すべきであったと主張されるが、実は言及していない教義をとらえてきて、彼の、いわゆる怠慢を批判することである。…たとえば投票や意志決定の過程についての、あるいは一般的に世論についての問題近年のデモクラティックな政治理論においては甚だ重要であるが、近代の代議制デモクラシーの確立以前の作者にはほとんど関心のなかった問題の政治思想における位置を考えてみよう。歴史研究におけるいわば差し止め通告は、もうこれ以上追加する価値はほとんどないと思われるかもしれないが、にもかかわらず従来の通告は、注釈者たちがプラトンの『国家』を「世論の影響」を「なおざりにした」として批判するのを差し止めるのに実際十分ではなかった。それはまた、ロックの『統治二論』第二部を、「家族や人種についての言及」を怠り、普通選挙に対してどのような立場に立つかを「完全にはっきり」させていないとして批判することを差し止めるのに十分でなかったし、また、「政治や法を論じた大作者たち」のうち誰一人として意志決定の議論に紙面を割かなかったことを特筆すべきことと見做すのを差し止めるのにも十分ではなかったのである。

 最近は、こういう研究はあまり見かけないかもしれませんね。一昔前の論文を見ると、常套手段というほどによく見受けられた方法です。

 この「第二の神話」のもう一つのパターンが、「一貫性の神話」です。

 さて次に、過去の思想に近づく時に歴史家が不可避的にある構えを持つという事実から生み出されがちな神話の第二の型を取り上げよう。所与の古典の作者がまったく首尾一貫せず、また自らの信念を体系的に説明することすらできない場合がある。(実際、これはきわめてしばしば起こることである。)これまでは、歴史研究を行なうための基本的なパラダイムは、その学問分野に最も特徴的なテーマに関するそれぞれの古典の作者の教義を詳細に述べることであると考えられてきたが、もしそうであるとするならば、歴史家がこれらのテクストそれぞれに欠けているかに見える一貫性を補うか、あるいはそれらの中に何とか一貫性を見いだすことを自らの任務と考えるのは、危険ではあるが容易な成り行きである。言うまでもなく、そのような危険はまず、作品を言い換えるに際して、その作品に特有の語勢や語調を損なわないようにする上でのよく知られた困難によってまず増幅され、次いでその結果生まれる誘惑、すなわちその作品から抽出され、しかも伝達がはるかに容易な「メッセージ」を見つけようとする誘惑によってさらに増幅される。…ここから不可避的に結果することは―それは概説的で教育向けの歴史などよりもはるかにまともな文献から例証されうるのだが―一貫性の神話とでも名づけてよい形式の書き方である。…研究者の課題とはこのようなものだと繰り返される中で、最も象徴的な事実は、努力と探求というメタファーが不断に使われていることである。目指されているのは、常に、「統一的解釈」に「到達する」こと、すなわち、「著者の体系についての一貫した見解」を「獲得する」ことである。

 この手続きは、さまざまな古典的作者たちが決して達していなかった、いや達するつもりがあったとも思えない一貫性や、また体系が全体的に完結しているかのような雰囲気を彼らの思想に与えてしまう。たとえばルソーの思想を解釈する仕事は彼の最も「基本的な思想」の発見を中軸としてなされなければならないと最初に仮定される。そうすると、ルソーが何十年にもわたっていくつかのまったく異なる研究領域に寄与したことは、いとも簡単に、重要な事柄とは思われなくなってしまう。またホッブスの思想のあらゆる側面が、彼の「キリスト教的」体系全体に対して寄与するために構想されたと最初に仮定されてしまうと、倫理と政治生活の関係という非常に重大な問題点を解明するためならば彼の自叙伝に眼を向けてもよいのではないかなどという提案が異常だとは思われなくなってしまう。…これらすべての場合、こうして発見された一貫性、またはその欠如は、もはや、現実に思考されたものとしてのいかなる思想の歴史的説明でもなくなってしまう。また、こうして書かれた歴史は、思想の歴史では少しもなく、抽象概念の歴史になってしまう。すなわちそれは、誰一人として現実には到達したことのない水準の一貫性を持った、誰一人として現実には成功しなかった思想の歴史なのである。

  ここでは、著者の体系についての一貫性を想定し、そこから研究を進めることの危険性が述べられています。ここから、本人が到達しようとさえ考えていなかった体系に到達してしまうことになります。

 鄭玄研究の場合で言えば、彼が経書・緯書の全体の位置づけを明らかにし、これらを相互に理解しようと試みていたことは分かります。そして経書・緯書の記述内容を、体系的に分類し、解釈していたことも分かります。しかし、だからといって、鄭玄の著作全てが必ず統一的に理解できるというわけではありません。実際に、そこかしこに矛盾や不統一は現れているのであって、これを「一貫性の神話」によって、無理やり鄭玄説が矛盾しないように読み解いてしまう行為は慎むべき、ということになります。

 

 そしてスキナーは、「一貫性の神話」が生み出す二つの誤謬を指摘しています。具体例は省略し、その二種の概要を見ましょう。

 まず第一の方向は、ある著者の作品からより高次の一貫性をもつメッセージを引き出すためには、自分のしていることについて著者自らが述べたと思われる言明を度外視することも、いやそれどころか、著者の体系の一貫性を損なうような作品をすべて無視することすらまったく妥当であるという驚くべき、しかもさほど異例ではない仮定である。

 …一貫性の神話が生み出す形而上学的信仰にはまた別の形態がある。それは、解釈者が義務として明らかにするにふさわしい何らかの「内的一貫性」を作者が示しているはずだというにとどまらず、その作業に対して、所与の作者の作品が実際もっているかに見える矛盾が作り出している見かけ上の障壁は、矛盾が実は矛盾ではありえないがゆえに本物の障害ではない、というものである。…代わりにしばしば言われるのは、そのような見かけ上の不一致は未解決の状態のままに放置されるべきではなく、「理論全体のより完全な理解」を助けるものとして役立たされなければならないということである。つまり、そこでの矛盾は、おそらく理論自体の中でいまだ純化されない部分と考えられるであろう。

 例えば、鄭玄は、経書・緯書に対して聖人の著述としての「一貫性」を想定し、一見矛盾に満ちた内容も、それぞれ実は指す対象が異なっていて、円満に解決できるとして注釈を作っていきます。これは、「一貫性の神話」を作り出した例として見ることもできますね。

 

 さて、スキナーは、「一貫性の神話」の擁護として、「著述行為に対する迫害の影響を認める」という方法があると述べます。つまり、迫害の時代には真の意図は作品の「行間」に隠されており、表向きには矛盾したことを言っているかに見えるとしても、実は「彼が支持しているらしく見える正統の考えに実際には反対していることを示すシグナル」であると読むわけです。

 これに対する批判として、スキナーは以下のように述べています。

 まず第一に、矛盾を解こうとするこの探究は、議論の方向を「オリジナルなものは破壊的である」という論証抜きの仮定から全面的に引き出している。というのは、この仮定の上に、われわれはいかなる場合に行間に書かれていることを探すべきかを知るからである。そして第二に、行間を読むことに基づくいかなる解釈も、「思慮を欠く人間は不注意な読者である」という彼らが言うところの「事実」によって、実質的に批判を寄せつけないことである。というのは、(純粋に意味論的に言って)これは、行間にメッセージを「読む」ことができないのは思慮を欠くことであり、他方、それを「読む」ことができるのは信頼できる知的な読者であると主張することに等しいからである。しかし、もしわれわれが、いかなる場合にわれわれは当の「迫害の時代」の一つを問題としているのか、あるいはしていないかを知るための、したがってまた、いかなる場合に行間にあるものを読みとるよう努めるべきか否かを知るためのより純粋に経験的な判断基準をさらに突っ込んで求めようとしても、行き着くところは結局、二つの循環論法でしかないわれわれはどんな場合に行間を読む試みをやめるべきか。与えられる唯一の判断基準は、「やめないのが的確ではなさそうな時」である。また、われわれが行間を読まなければならないと考えられる迫害の時代とは何か。われわれは一方で、当該の書物が確かに秘密の内容を含んでいると予測されるならば、「それは追害の時代に書かれたにちがいない」と告げられ、他方では、迫害の時代とは異端的作者が行間に「書く特別の技術」を開発する必要のある時期と定義されると告げられる。こうして、二律背反の解決をうたうスコラ的なこのあけすけの弁護にもかかわらず、所与の作者の教義の「内的な統一性」を求めようとするあらゆる企ては、統一性の神話―この方法に従って書かれた歴史には、過去に現実に考えられた思想についての純粋に歴史的な報告はほとんど含まれないという意味での神話―以外の何物かを生み出しうるとはおよそ考えられないのである。

 「行間を読むことに基づくいかなる解釈も、「思慮を欠く人間は不注意な読者である」という彼らが言うところの「事実」によって、実質的に批判を寄せつけない」―非常に鋭い指摘です。

 こうしたスキナーによる過去の研究の論理の分析を見ていくと、これが「経学」において儒者たちに繰り返されてきた手法とそっくりであることに驚かされます。著述行為に対する迫害の影響を認め、その行間を読むことに傾斜した学問なんて、漢代以来の「春秋学」の営みに他なりません。

 というのも、春秋学者たちは、孔子は時の権力者に自著が見られて勝手に修正されることを予期し、権力者への毀誉褒貶をわざと分かりにくい表現で書き入れた(微言大義)、と想定します。ここから、孔子の意図を行間から読み解こうとし、その営みを批判する者は「『春秋』の義例に詳しくない者」として排除されてしまいます。

 

 なかなか面白いものですね。まだまだ続きます。

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(棋客)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(2)

★「クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』」の記事一覧:(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)

 

 前回の続きです。クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1990)を読んでいきます。

 「テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける」方法によって進められた研究が、これまで生み出してきた「神話」を紹介する一段です。今回は、「第一の神話」を見ていきます(p.53-59)。

 第一のものは、古典的理論家の中に散在している、あるいはまったく副次的な主張が、指定されたテーマの一つについての彼の「教義」に変えられてしまう危険である。そしてこの教義化からは、さらに二つの独特な型の歴史的背理がもたらされることになるであろう。すなわち、その一つは、個々の思想家(あるいは一連の思想家たち)に焦点を合わせる知の伝記(intellectual biography)もしくはどちらかといえば通史的な思想史に特徴的な背理であり、いま一つは何らかの「観念」それ自体の展開に焦点を合わせる、現に見られるような「観念史」(history of ideas)に特徴的なそれである。

 スキナーは、もともと作者が主張するつもりがなかったこと、または副次的に言及したに過ぎないことが、現代の研究者によってその人の主要な「教義」であったかのように描かれてしまう場合があると述べます。これにより、

  1. 個々の思想家(あるいは一連の思想家たち)に焦点を合わせる知の伝記
  2. 通史的な思想史に特徴的な背理であり、いま一つは何らかの「観念」それ自体の展開に焦点を合わせる、現に見られるような「観念史」

 の二種の歴史記述において誤りを生じさせることになります。まず、①についてどのような誤謬を生むのか、見ていきましょう。

 知の伝記に固有の危険は、まったくの記時錯誤(anachronism)の危険である。その場合、所与の作者は、用語の偶然的な類似性をもとに、彼が原理上貢献しようとは意図しえなかった主題について何らかの見解を持っていたと「発見される」ことになる。たとえば、パドゥアのマルシリウスは、『平和の擁護者』のある箇所で、主権をもつ人民の立法的役割との比較において、支配者の執行的役割について典型的にアリストテレス的な見解を提示している。たまたまこの箇所を見つける現代の解釈者は、当然のことながら、アメリカ革命以来、憲法上の理論と実践において重要となっている教義、すなわち政治的自由の条件の一つは立法権力からの執行権力の分離であるという教義をよく知っているであろう。この教義それ自体の歴史的起源は、(マルシリウスの死後二世紀たって初めて論議された)歴史研究による提言、すなわちローマ共和国の帝国への変貌は、集権化された政治権力をただ一つの権威に委ねることに内在する臣民の自由の危険を証明したという提言にまで辿ることができる。もちろんマルシリウスは、この歴史研究についても、またそこから引き出される教訓についても何ひとつ知らなかった。(彼自身の議論は実際、アリストテレスの『政治学』第四巻からのものであり、政治的自由の問題にはいささかも関係はない。)しかし、これらすべては、マルシリウスは権力の分立の「教義」を持っていたと言われるべきか否か、もし持っていたとするなら、彼は「その教義の始祖として認められる」べきか否かという問題についての調子のよい、だがまったく無意味な論争を阻止するのに十分ではなかった。しかも、マルシリウスにこの教義を帰することを否定してきた専門家ですら、その結論をマルシリウスのテクストに基づいて導き出していて、そもそも彼が、用語も知らず、また自分にとって何の意味をも持たなかったはずの議論に寄与するつもりなどありえたと考えること自体が不適切であるとはまったく指摘しようとはしないのである。

  これは、主張に類似性があることから、本人は全く意図しようのなかった議論に巻き込まれた例ですが、そもそも本人が全く主張していないことに巻き込まれることもあります。

 さらに、所与の作者が原理的には述べるつもりであったかもしれないが、実際には伝える意図のなかった教義をあまりにも簡単に「読み込む」という(もっと油断のならない)危険がある。たとえばリチャード・フッカーが『教会国家の法』(第一巻一〇章四節)の中で、人間の本性的な社会性について述べたところを考えてみよう。われわれは、フッカーの意図(彼がするつもりであったこと)が、単に同じ問題に言及している多数の当時のスコラ的法律家と同様に―教会の神的な起源を国家のより世俗的な起源から区別することにあったのではないかと感ずるであろう。ところが、フッカーを「フッカーからロック、ロックからフィロゾーフへ」と続く「系譜」の最初の人物に見立ててしまう現代の解釈者は、いとも容易にフッカーの言葉を、彼における「社会契約の理論」に他ならないとされるものに変えてしまう。

 正直、私はマルシリウスもフッカーも全く素人なので「ふうん、そういうことがあったのか」というぐらいにしか読めず特に解説できませんが、読めばおおよその意味は分かると思います。

 こうした試みは、「作者の隠れた意図を探ろうとしている」と言い換えれば、何だか正当なもののように思われてくるのですが、スキナーはこうした考え方もバッサリ斬り落としています。

 …ある所与の作者が、彼の言っていることの中で何らかの「教義」を仄めかしているかに思われるこれらすべての事例において、われわれは、同一の、本質的で、しかも本質的にあらためて証明を要する問題に直面させられる。それは、仮にこれらすべての作者が彼らに帰されている教義を表明するつもりであったと主張されるとして、ではなぜ彼らはそれほどまでに甚だしくその表明に失敗し、結果的には歴史家が、推測や漠然としたヒントから彼らの言外の意図を再構成せざるをえなくなっているのか、という疑問である。これに対して説得力ある唯一の解答は、もちろん、その主張それ自体に致命的なものである。すなわち、作者はそのような教義を述べるつもりはおよそなかった(いや、そのつもりになることすらできなかった)というのがそれである。

 我々が、ある著作から漠然としたヒントを見出し、そこから、作者の隠された「教義」を読み取ったとしましょう。なぜ、作者はそんなことをする必要があったのでしょうか? そのように伝えたいことがあるのならば、そう書けばよかったはずです。我々が「作者の言外の意図」を再構成せざるを得ない時点で、それが本当の「作者の意図」なのか、疑問を持たねばならないのです。

 さて、中国学に引き付けて考えると、「時の権力者に処罰されないように筆を曲げざるを得なかった」という話はよくありますから、「言外の意図」の再構成が無意味とまで言われると、抵抗があるかもしれません。もちろん、正当な再構成もあるでしょう。必ずしも厳密に受け止め過ぎる必要はないかもしれませんが、こうした危険性があることを頭に置いておくことで、より慎重な研究ができることは確かでしょう。(※「行間を読む」ことについてのスキナーのより細かい批判は、また後に取り上げます。)

 

 少し、実際の例で考えてみましょう。(また宣伝してしまいますが)先日公開した『鄭玄から見る中国古典』の第七章で、鄭玄を「後漢政治イデオロギーの強化者」として見る研究を批判しました。過去のこうした研究は、ここでスキナーが言う「知の伝記の神話」とそっくりではないか、と思います。

 例えば、過去の一部の研究には、「鄭玄説」と「後漢の政治体制」が一致している例を挙げ、鄭玄が後漢体制を正当化する目的があったと主張するものがあります。しかし、鄭玄にそのような意図があったのなら、なぜそうはっきり言わなかったのでしょうか。別に政権に反抗する内容ではありませんから、馬融や王充のように、堂々と漢王朝を宣揚すればよかったはずです。

 鄭玄の注釈が漢制と一致しているというだけでこうした方向性を見出すのは、スキナーのいう「言外の意図」や「隠された教義」を読み取ってしまうものではないか、と思うわけです。

 ―と、以上は一例ですが、このように分野を越えて議論の点検に使うことができる概念を、スキナーは提示してくれているわけです。

 

 さて、少し脱線してしまいました。スキナーは個人の知の伝記の神話から進んで、「観念史」において生み出される神話について説明しています。具体例は省略し、ここに生じる二つの誤謬を説明する文章を見ておきましょう。

 教義をこのように実体化することは、続いて二つの歴史的背理を生み出す。…まず第一に、理念型に近いものを求めようとする傾向は、後に成立した教義を「先取りするもの」がより前の時代にあったと指摘すること、そしてそれぞれの作者をこうした千里眼的視点から評価することだけをひたすら考える、およそ歴史とはいえない代物を生み出す。…

 観念史の生み出す第二の歴史的背理は、所与の観念が所与の時期に「本当に出現した」と言えるか否か、そして、それが作者の作品の中に「本当に存在する」か否かという問題をめぐる果てしない論争―経験に基づくかのようなポーズはとるが、ほぼ全面的に言葉の上での論争―である。

  以上の内容をざっと見ると、ちょっと反発を覚えるところがあるかもしれません。「そんなこと言われたら何も研究できなくなるよ」と言いたくもなってしまいます。しかし、こうした原理的な批判を知っておくことで、自分が研究を進める際、弱点を減らしていくことが出来るはずです。

 しばらくはこんな感じの内容が続きますが、ではどうするべきか、ということもスキナーは最後に述べてくれています。まだまだ読み進めていくことにいたしましょう。

→次回はこちら

(棋客)

クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(1)

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 本日は、クェンティン・スキナー『思想史とはなにか―意味とコンテクスト』(半沢孝麿・加藤節編訳、岩波書店、1999)を紹介します。本書は、決して易しい内容というわけではありませんが、広い分野の方に啓蒙を与える本であることは疑いありません。

 私はこの本を一年ほど前にある先生に勧めていただいて読み、たいへん感銘を受けました。数回にわたって、最初の章の「思想史における意味と理解」の内容を見ていきます。今回はp.47-52です。

 

 まず、冒頭の文章から読んでいきましょう。

 私の目的は、思想史家が理解したいと思う作品に取り組もうとする時に、必ずや生ずる基本的な問題と考えられるものについて考察することである。思想史家は皆、詩や戯曲や小説などの文学作品に、あるいは倫理、政治、宗教、その他の形態における思想を問題とする哲学作品に注意を集中するであろう。しかしどのような作品を対象にするとしても基本的な問題は変わることはないであろう。すなわち、何が作品の理解に到達するために採られる適切な方法かという問題である。確かにこの問題に対しては、目下のところ正統と認められている二つの、(しかし互いに対立する)解答があり、両者とも広い支持を集めているかに見える。一方の(おそらく多くの思想史家がますます採用するようになってきている)正統派学説は、あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。(今なお最も広く受け入れられているように思われる)もう一つの正統派学説は、テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける

 これから私が行なおうとすることは、これら二つの正統派学説を順次考察し、そのいずれもが実質的には同じような基本的欠陥をもつこと、すなわち、どちらの方法も、対象となるいかなる文学作品や哲学作品をも適切に理解するのには十分な、いや適切な手段ですらないということを論証することである。

 スキナーは、作品・著作の理解に当たっての適切な方法が何かという問いに対しては、以下の二つの解答があると言います。

  1. あるテクストの意味を決定し、それゆえにテクストを理解する試みに対して、「最終的な枠組」を提供するのは「宗教的、政治的、経済的な諸要因」のコンテクストであると主張する。
  2. テクストの意味を解くために必要な唯一の鍵としてテクストそれ自体の自律性を主張し、「全体のコンテクスト」を再構築しようとするいかなる試みをも「余計な、そしてひときわ有害なこと」として斥ける。

 スキナーはこの両者に、どちらも基本的な欠陥があることを指摘しようと試みます。これが第一章の内容です。よって、本章は過去の研究に対する批判・否定(というより、過去の研究がなぜそのような誤謬に達してしまったのか分析し、その原因を性質ごとに分類)が多くを占めています。しかし、結論は積極的なものであり、「思想史」の新たな現代的意義を示すものでもあります。

 では、彼がどのように過去の研究の方法論に対する批判を進めているか、見ていきましょう。まず、②に対する批判を見ていきます。

 このアプローチ(筆者注:②のアプローチ)それ自体は、より限定された文学研究の場合に劣らず、思想史においても、研究行為そのものに対する次のような独特の形態の正当化と論理的に結びついている。すなわち、きわめて特徴のある言い方がされるのだが、過去の哲学(あるいは文学)作品を研究する意義はこぞって、それらの作品が(好まれる言葉で表わすならば)「普遍的観念」という形での「時代を超越した要素」を、いや「普遍的応用性」をもった「超時間的知恵」すらも含むことにあるというのである。

 …その目的は、「古典的作品を、歴史のコンテクストからまったく切り離して、政治の真実についての普遍的命題を提示しようとする、変わることなく永久に重要な試みとして再評価すること」でなければならない。なぜならば、反対に、社会的コンテクストの知識が古典的テクストの理解にとって必要条件であると提唱することは、そのテクストがまさに時代を超えた永遠の重要性を持つことを否定するに等しく、それゆえに、テクストが言ったことを研究する意味をすべて抹殺するに等しいからである。

 いかなる古典の作者も当然に、「永遠の関心」をひく明確な一組の「基本的諸概念」を考察し、その意味を明らかにしていると考えられるというこの絶対的な確信こそ、文学や哲学の思想の歴史の研究に対してこのアプローチがもたらした混乱の主たる源であると思われる。

 ②のアプローチは「テクストそれ自体の自律性を主張する」ことです。こう聞くと難しいですが、例えば、古典の文章を現代への警句として読み取ろうとする場合、どうしてもこのような読み方になります。

 このアプローチには、以下の最大のディレンマが存在します。

 思想史との関連―とりわけ歴史家はただテクストだけに集中すべきであるという主張との関連―では、言うまでもなく、このディレンマの意味は次のところにある。すなわち、そもそも所与の古典的作品が言ったこと(とりわけ異文化の中で言ったこと)は、彼がこう言っていたにちがいないとあらかじめ何らかの予想をつけた上でなければ、まったく研究できないということである。これは要するに、心理学者にとっては馴染みの、(明らかに逃れようもない)決定因としての観察者の心の構え(set)のディレンマである。…すなわち、われわれが知覚や思考を作り上げ、調整するに際して不可避的に用いざるをえないこれらのモデルや先入見は、それら自体、われわれが考え、知覚する対象を決定するものとして作用する傾向をもつという命題である。われわれは理解するためには分類しなければならないが、既知のものを通してしか未知のものを分類できないのである。われわれの歴史理解を拡げようとする試みに常につきまとう危険は、このように、誰かがあることを言っているにちがいない、あるいは行なっているにちがいないというわれわれの側の期待それ自体が、主体自身は自分が実際にしていたことの説明としては認めようとしない―あるいは認めることすらできない何事かをその主体がしているというわれわれの理解を決定してしまうところにある。

  たとえば、『論語』や『老子』の文章に対して、これはよくある哲学の問題―心と身体、名と実、意識と無意識などなど―について語っているはずだ、と「構え」を持つことがいかに解釈を変化させるかということは、よく分かる話でしょう。(一例として便宜上簡単に説明しましたが、実際はもっと原理的な問題を孕んでいます。)

 スキナーは、ここから生じる問題点を二つ挙げます。

 私が試みるのは次の二点である。第一に、それぞれの古典作者が言っていることだけを研究することは不可避的に、さまざまな種類の歴史的背理に陥る不断の危険を冒すものであり、しかもその危険の冒し方にもさまざまな形態があると主張することである。第二に、したがってその結果は歴史とはとても言えず、神話とでも言った方がふさわしいものになってしまう、これまたさまざまな形態を分析することである。

 では次回、この「神話」のパターンを見ていくことにしましょう。

→次回はこちら

(棋客)

三国志にも登場する大学者、「鄭玄」を学ぼう!

 …柄にもなく、ポップなタイトルをつけてしまいました。

 

 ここ一か月の間、noteにて、後漢から三国時代を生きた大学者である「鄭玄」について、初学者の方でも分かりやすく読めるような記事を更新しておりました。

note.com

※目次は→『鄭玄から学ぶ中国古典』もくじ|棋客|note

 

 先日、このシリーズの全15本の記事を無事に書き終えることができました。

 はじめにでも書いたように、鄭玄はとても魅力的な人であると同時に、彼の学問の内容も濃厚で面白いものです。私がこれをうまく伝えきれているかは分かりませんが、そもそも「鄭玄」を誰にでも分かりやすく説明しようとする試み自体、私が最初かもしれません。初めての挑戦ということで、応援していただけると嬉しいです。

 後半に進むにつれて内容が難しく(そして面白く)なっていきますので、ごゆっくり読み進めてください。また、参考文献のページは、読書リストとしても使えますので、タイトルを見て興味のある本がありましたら、ぜひ読んでみてください。

 

 今回はお知らせでした。

(棋客)