達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

疑義

京都大学学術出版会「プリミエ・コレクション」冒頭の湊総長の言葉への批判

京都大学学術出版会からは、「プリミエ・コレクション」というシリーズが継続的に出版されています。このシリーズは、若手研究者の初の単著を出版することが多く、上質な研究書を多く世に送り出していることで知られています。本ブログで紹介したことがある…

洪誠『訓詁学講義』より(1)

最近、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)を読み返していました。 本書は、漢文の読み方をいわゆる「訓詁」から丁寧に解き明かした、日本語で読める数少ない本の一つです。何度読…

桃崎有一郎「日本「肉食」史の進展に寄せて〈学術雑誌の書評のあり方〉を問う:中澤克昭著『肉食の社会史』を題材に」

今回は、桃崎有一郎氏の「日本「肉食」史の進展に寄せて〈学術雑誌の書評のあり方〉を問う:中澤克昭著『肉食の社会史』を題材に」という論考を取り上げて、私なりの感想を述べたいと思います。 digital-archives.sophia.ac.jp この論考は、前半中澤克昭『肉…

鄭玄が注を書いた順序(3)

前回の続きです。藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)から、鄭玄の著作の執筆順を考えていきましょう。 残された疑問は、『周礼』『儀礼』『礼記』の三礼注がどの順番で成立したのか、というものです。三礼注が党錮の禁に坐して…

鄭玄が注を書いた順序(2)

先週の続きです。 藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)から、鄭玄の著作の執筆順を考えていきましょう。今回は、併せて池田秀三「鄭学における「毛詩箋」の意義」(渡邉義浩編『両漢における詩と三伝』汲古書院、二〇〇七)、間…

鄭玄が注を書いた順序(1)

藤堂明保「鄭玄研究」(蜂屋邦夫編『儀礼士昏疏』汲古書院、1986)は、鄭玄についての古典的な研究です。後篇第四章が闕文になっているのですが、それでも今なお鄭玄研究の第一に挙げられる基礎的な論文といえます。 この論文には、鄭玄の生涯、また社会的背…

小徐本「祁寯藻本」についての記事の訂正

先日、木津祐子先生の論文「京都大学蔵王筠校祁寯藻刻『説文解字繫伝』四十巻について」(『汲古』78号、p.21-28、2020-12)に、本ブログへの言及があると知り合いに教えていただき、驚きでひっくり返りました。確認してみると、筆者が以前書いた記事の誤謬…

「余計な校勘」の一例

標点本というのは大変便利なものですが、句点が間違っていたり、字形を誤っていたり、脱字があったりするので注意が必要、というのは耳にたこができるぐらい言われているでしょうか。以前、字形と句点の誤りの具体例を示したことがあります。 今回は、「標点…

とある最近の本について

最近発売された山口謠司『唐代通行『尚書』の研究』(勉誠出版、2019)が大学の図書館に入っていました。 個人的に興味のあった、第二章・第五節の「『群書治要』所引『尚書』攷」のうち、舜典について調査した部分から、「p.122、p.123の六つの条だけ」をチ…

齋木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』について(2)

前回紹介した鄭玄『發墨守』『鍼膏肓』『起廢疾』は現存しない佚書であり、様々な輯佚書が作られています。 仮に『増訂四庫簡明目録標注』によって挙げておくと、漢魏叢書本、藝海珠塵本、問經堂叢書本、范述祖本、孔廣森『通德遺書所見録』本、袁鈞『鄭氏佚…

齋木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』について(1)

最近、斎木哲郎『後漢の儒学と『春秋』』(汲古書院、2018)の第六章「鄭玄と何休の『春秋』論争」を読んでいたところ、色々と気になる記述にぶつかりました。そのうちの一部をご紹介します。鄭玄の文を読むのは非常に難しく、あまり自信はないのですが…。 …

岩本憲司『春秋学用語集 三編』について

先日、久々に論文読書会を開き、後輩の学部生の担当で池田秀三「訓詁の虚と実」を読みました。その関係で、下調べとして岩本憲司『春秋学用語集 三編』(汲古書院、2014)の「無寧」の項目を見たのですが、少し気になる記述を見つけたのでメモしておきます。…

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(4)

前日の続きです。今回は気になる点というより、わからなかった点という内容です。 第十二条 〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。 〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅…

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(3)

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモ。ここも巻四十一、昭公元年のところです。 第九条 前回の最後の疏文の続きです。 「離」之為「陳」、雖無正訓、兩人一左一右、相離而行、故稱「離衞」、「離」亦「陳」之義。 「離」を「陳」と見なすのは、正訓が…

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(2)

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモの続き。ここも巻四十一、昭公元年です。 第五条 〔傳〕叔出季處、有自來矣。吾又誰怨。 〔杜注〕季孫守國、叔孫出使、所從來久。今遇此戮、無所怨也。 〔疏〕正義曰、歷檢上世以來季孫出使、不少於叔孫、而云「叔…

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊について(1)

野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊を、冒頭の「巻四十一」(昭公元年)から少しずつ見ています。折角ですので、気付いた点を適宜メモしておこうと思います。(事情は前回の記事を参照。)全部で三回の記事になりましたので、今日、明日、明後日で更新しま…

銭大昕「與段若膺論尚書書」について

最近、訳あって銭大昕「與段若膺論尚書書」を読んでいます。これは銭大昕が段玉裁と『尚書』に関して議論を交わした書簡であるということで考証学史において重要であると同時に、内容自体もなかなか興味深い書簡です。 もとは、四部叢刊本『潜研堂文集』で読…