義疏
今日は、小尾郊一氏の「古典注釈の態度」を紹介します。以下のまっつんさんのツイートに教えていただきました。 国会図書館デジタルコレクションの恩恵にあずかり「古典注釈の態度」(小尾郊一 著 中国中世文学研究22)読了。「義疏」や「正義」を中心に、中国…
今回は、『礼記子本疏義』という文献について紹介しようと思います。以下のように、何度かこのブログに登場しているのですが、きちんと説明したことはありませんでした。 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録 大坊眞伸「『禮記子本疏義…
以前、『礼記』の楽記篇の句読について整理した際、崔靈恩という人の説を紹介しました。 chutetsu.hateblo.jp 残念ながら、崔靈恩が書いた本は、いまはそのままの形では伝わっていません。しかし、『礼記』の経文と鄭玄注について注釈を附した『礼記正義』と…
最近、法蔵館より、古勝隆一先生の『中国中古の学術と社会』が上梓されました。 pub.hozokan.co.jp 3~8世紀、中国中古時期は治乱興亡の時代環境を背景に学術が展開した時代であった。儒仏道・目録学・注釈学・国家権力・地域性に着目して、中古時期の思想…
本ブログでは、慶應義塾大学斯道文庫による『論語義疏』古写本の発見について、これまで何度か取り上げてきました。 慶應義塾大学蔵『論語義疏』古写本の発見について - 達而録 慶應義塾図書館展示会「古代中世 日本人の読書」に行ってきました - 達而録 『…
前回の続きで、劉炫の『孝經述義』の廣至德章を見ていきます。経・伝は以下です。 教以孝、所以敬天下之爲人父者也。〔孔伝〕所謂「敬其父則子悦」也。以孝道敎、卽是敬天下之爲人父者也。 教以弟、所以敬天下之爲人兄者也。〔孔伝〕所謂「敬其兄則弟悦」也…
『孝経』の様々な注釈を読み比べていると、色々と面白い発見があるものです。むろん、それはどんな経書であっても同じなのですが、『孝経』の場合は全体量が少ないですから、手軽に取り組めるという利点(?)があります。 今回は、劉炫の『孝經述義』の廣至…
前回→ 井筒俊彦「儒教の形而上学におけるリアリティの時間的次元と非時間的次元」(3) - 達而録 これまで、井筒俊彦著(澤井義次監訳、金子奈央・古勝隆一・西村玲訳『東洋哲学の構造 : エラノス会議講演集』(慶應義塾大学出版会,、2019)の中から、第六…
最近、『北史』を眺めています。一つ、印象に残っている話を紹介します。(『魏史』でもほとんど同じ内容が載せられています。) 『北史』儒林伝上に、李業興という人の伝記が載せられています。彼は北朝の儒者の徐遵明に学んだ人です。北朝の多くの儒者は徐…
前回の続きです。まず、ここまで考察したことを整理しつつ、新たに気が付いたことを加えてお示しします。 ①『公羊疏』に「『孝経疏』を参照せよ」という文言がある(三例)ことから、『公羊疏』の著者は『孝経』にも義疏を書いていたことが分かる。 ②内容を…
前回の続きです。『公羊傳疏』に『孝経疏』という言葉が引かれる例は、三ケ所あるようです。前回紹介したものも含めて、下に掲げておきます。 ・『公羊傳』襄公二十九年疏 云「孔子曰,三皇設言,民不違,五帝畫象,世順機,三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多…
何気なく『公羊傳疏』を読んでいたところ、不思議な記述に出くわしました。 『公羊傳』襄公二十九年 〔傳〕閽弒吳子餘祭。閽者何。門入也。刑人也①。刑人則曷為謂之閽。刑人,非其人也。君子不近刑人。近刑人,則輕死之道也。 〔注①〕以刑為閽。古者肉刑墨、…
『論語義疏』について、オンラインで見ることができる画像を自分用にメモしておきます。ついでに、『論語義疏』に関する研究書も簡単にまとめておきました。 da.library.ryukoku.ac.jp 完本。日本で伝えられてきた『論語義疏』抄本は、影山輝國氏によれば、…
先週紹介した『論語義疏』が一般公開されているということで、観てきました。 chutetsu.hateblo.jp 第32回慶應義塾図書館貴重書展示会「古代中世 日本人の読書」(@丸善・丸の内本店4階ギャラリー、今日の16:00まで)にて公開されています。今日はその感想…
最近、衝撃的なニュースが飛び込んできました。かの『論語義疏』の古写本の一部が発見されたというのです。 www.keio.ac.jp www.asahi.com 以下のように、既にブログで解説している方もいます。 hirodaichutetu.hatenablog.com 一部上の記事と重なるところも…
『史林』第101巻、第5号(2018年9月)掲載の李弘喆「世本探源―『世本』受容史研究序説」を読みましたので、簡単に内容をご紹介します。 『世本』とは、上古から春秋時代にかけての王や諸侯の系譜、その周辺情報を記した本で、古くはよく資料として用いられた…
伝統的な経学において、宮室の構造について議論される際、鄭玄の唱えた「宗廟及路寢制如明堂」(「宗廟」と「路寢」の建物の制度は「明堂」と似ている)という説との関わりが常に問題になってくるようです。今回は、この問題について議論した『毛詩』小雅・…
前日の続きです。今回は気になる点というより、わからなかった点という内容です。 第十二条 〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。 〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモ。ここも巻四十一、昭公元年のところです。 第九条 前回の最後の疏文の続きです。 「離」之為「陳」、雖無正訓、兩人一左一右、相離而行、故稱「離衞」、「離」亦「陳」之義。 「離」を「陳」と見なすのは、正訓が…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊のメモの続き。ここも巻四十一、昭公元年です。 第五条 〔傳〕叔出季處、有自來矣。吾又誰怨。 〔杜注〕季孫守國、叔孫出使、所從來久。今遇此戮、無所怨也。 〔疏〕正義曰、歷檢上世以來季孫出使、不少於叔孫、而云「叔…
野間文史『春秋左傳正義譯注』第五冊を、冒頭の「巻四十一」(昭公元年)から少しずつ見ています。折角ですので、気付いた点を適宜メモしておこうと思います。(事情は前回の記事を参照。)全部で三回の記事になりましたので、今日、明日、明後日で更新しま…
野間文史氏の『春秋左傳正義譯注』(第一冊~第六冊)は、『左傳正義』の初めての全訳本です。注疏の全訳というのは、その全体量と内容の難解さから、とにかく難事業と言えます。 例えば、吉川幸次郎氏らによって『尚書正義』全訳は成し遂げられましたが、継…
※「論文読書会」については「我々の活動について」を参照。 喬秀岩「經學與律疏」(『北京讀經説記』萬巻樓2013、初出『隋唐五代經学國際研討会』文哲所出版2009) 【概要】 喬氏は南北朝の義疏学から『五経正義』に至る学術史の研究を進めてきた研究者。唐…
前回の記事について、有志の方より、「『経典釈文』の単行については、清初の頃から知られていたのではないか」とコメントを頂きました。少し調べてみたところ、あくまで一例ですが、以下のような言及例がありました。 顧炎武『亭林文集』巻二 音學五書後序 …
現在は経・注・疏が合刻された形で見ることの多い「十三経注疏」ですが、かつては「疏」は単行していたことがよく知られています。一般に「単疏本」と呼称される形態です。 では、清朝考証学者の間で、この「疏の単行」を最初に取り上げたのは誰だったのかと…