達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

大濱晧『朱子の哲学』

 私は研究書を読むとき、ついつい「あとがき」を先に読んでしまうタイプです。特に大家と呼ばれる先生の晩年の著作となると、他の有名な先生の若かりし頃のお話が載っていたりして、なかなか興味深いものです。基本的に研究の足しになるものではないのですが、本論よりあとがきのちょっとしたエピソードの方が記憶に残ることもしばしばあります。

 今回は、大濱晧『朱子の哲学』(東京大学出版会、1983)のあとがきから一部抜粋してみました。

 九大卒業後、東大大学院に進もうと思い楠本先生に申し上げた。昭和九年のことである。先生は、九大で注疏は読まなかったが、試験問題に出るかもしれない、といわれた。入試のとき、左伝からの出題もあったが朱子学に関するものもあった。四書の順序や大学のよみかたについてなど。前出の東方学で山室三良君はつぎにように言う。<先生の殆ど全関心は宋明学にあったので、経学の中の小学的な面は重視されなかったわけです。同学の大濱晧君が卒業後、東大の大学院の入試を受けた時、宇野先生が『大学』を示され、この「大」は何と発音するかと聞かれたわけです。不意をつかれた様なかっこうで大濱君が宇野先生の期待する様な答が出来なかったが、宇野先生は、「帰ったら楠本君によく伝えて置け。こうしたことをよく教えよと」大濱君に告げられた。・・・大濱君が帰ってその報告をした時、先生は珍しく言葉烈しく、「今度機会があったら楠本はそんな事には重点は置いていないと言っていたと伝えなさい」と大濱君を叱って居られました。>全くそのとおりであった。今にして思えば、宇野先生は楠本先生の学問の本質や特長を十分知っておられたので、私に対してあえてそのような設問をされたと考えられる。つまり、宋明学の内面や精神については十分教え込まれているであろうが、他面常識的な知識も心得ておく方がよい、という御気持ちであったと思う。また楠本先生の叱責は、東大に行っても思想の深処の究明を第一義にせよ、という親心であったと思う。

 文中にある「前出の東方学」とは、『東方学』第62集の「先学を語る」のこと。専門誌に時おり掲載されるこの手の文章も面白いですね。

 小学の追求と思想の深処の究明とは、必ずしも相容れない営みではないでしょう。それどころか、やはり両輪が噛み合ってこそ質の高い研究になるように思います。しかしその一方、上のようなやり取りにも何となく納得いくところもあります。どう両立させるか、永遠のテーマなのかもしれません。

 さて、大濱氏のこの本は、朱子理気論を、理気合離の思考法によって解説するものです。即ち、朱子理気論において矛盾があるように思われる箇所は、理と気を峻別して論じているか、或いは理と気を合一して論じているか、という観点から整理すれば、論理的に理解できるとし、そこから朱子の思想全体の解説へと進んでいきます。

 朱子学研究の界隈でどのような評価を受けている本なのかは存じ上げないのですが、平易な語り口なのでやや高級な入門書としても良いのではないでしょうか。