達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

濱久雄『中国思想論攷―公羊学とその周辺』

はじめに

 本日は、終戦直後に大学を卒業し、自作農として晴耕雨読の生活を送りながら漢文に親しみ、後に研究の世界にカムバックした研究者のお話。

 濱久雄『中国思想論攷―公羊学とその周辺』(明徳出版社、2018)のあとがきを一部引用します。

終戦

 翌日の朝、池袋駅につき、一面焦土と化した惨状に接し、しばし茫然と立ち尽くした。しかし、幸運にも練馬区中村橋の自宅は無事であった。翌日、大東文化学院に行くと、すでに爆撃によって焼失し、跡形もなかったが、近くにある立教大学は無傷であった。早速、神田に赴いたが、書店街は無事でほっとした。山本書店にゆき、康有為の『新学偽経攷』『孔子改制攷』『大同書』を発見して購入し、意気揚々として帰宅した。

 同じ時代を生きた研究者にも、少しずつ違いはあるものだと感じます。文章から受ける印象ですと、川原先生に比べると濱先生には少し余裕があったのでしょうか。もしくは単に、専著を執筆中であった川原先生と、戦地に赴かず除隊した学生であった濱先生の立場の違いということかもしれません。いずれにせよ、荒れ果てた街に茫然としながらも、最初に書店で本を買う姿には心を打たれます。

終戦直後の大学

 少し省略して、大学の卒業試験についての一段。大学の校舎が焼失していたため、学長の邸宅を仮校舎とし、試験は青空のもと行われたようです。

 芝生の上で行われた『論語』の卒業試験では、高田真二先生が籐椅子に坐られ、試験監督をされた光景が鮮やかに思い出される。実に前代未聞のことであり、二度と在ってはならないことである。試験問題は、顔淵篇の「子貢、政を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足し、民にはこれを信ぜしむ。……」の一文に訓点を施し、解釈するもので、実に終戦の当時に象徴的な出題であった。

 青空の下の卒業試験とその内容。これほど身につまされる試験というのもなかなか無いのではないでしょうか。

 全体として、濱久雄先生は平易ながら骨と癖のある文章という印象を受けました。