達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

考証学における学説の批判と継承(2)

 第一回の続きです。問題となる疏文を再度掲げておきます。

尚書』堯典(阮元本『尚書注疏』卷二 三葉上)

(疏)以庸生賈馬之等、惟傳孔學經文三十三篇、故鄭與三家同以爲古文、而鄭承其後、所註皆同賈逵馬融之學、題曰古文尚書、篇與夏侯等同。而經字多異、夏侯等書「宅嵎夷」爲「宅嵎䥫」、「昧谷」曰「柳谷」、「心腹腎腸」曰「憂腎陽」、「劓刵劅剠」云「臏宮劓割頭庶剠」、是鄭註不同也。

 閻若璩『尚書古文疏證』の後を受けて尚書研究を行った著作としてはまず恵棟『古文尚書考』が挙げられますが、管見の限りでは、当該箇所についての言及は特にないようです。

 ここでは、江声(康熙六〇・一七二一~)の『尚書集注音疏』を見ておきましょう。与太話になりますが、この書はもともと篆書で木版に刻されて印刷されており、(少なくとも私にとっては)尋常でなく読みにくい本になっています。なかなか興味深い例ですので、機会があればご確認ください。『皇清経解』所収の本は楷書の字体に直されており、読者の便宜を図るという意味では正しい判断と言えるでしょうか?

○江聲『尚書集注音疏』商書三十三

 今我其敷優臤揚歴、告爾百姓于朕志。

 我、僞孔本作予。茲從蔡邕石經。「優臤揚」三字、僞孔本作「心腹腎腸」四字。堯典正義云「鄭注尚書篇與夏侯等同而經字多異夏侯等書、心腹腎腸曰憂腎陽、是鄭本不同也。」據此則僞孔本「心腹」二字、鄭本止一「憂」字爾。劉淵林注左思魏都賦引尚書盤庚曰「優賢揚歴。」若據僞孔本則盤庚不有此文、乃知鄭本作「憂腎陽」者、乃「優賢揚」之譌。後人傳寫誤爾。鄭本實作「優賢揚」與下「歴」字聯讀也。「臤」古文以爲「賢」字、説文云。

 ・・・劉淵林注魏都賦引此經而解之曰「歴、試也。」三國魏志管寧傳注引此經而解之曰「謂揚其所歴試。」其必皆用舊説、葢漢人之注也。故皆采用之。

 四例全てその経文の項に解説があるのですが、全て見るのは手間ですから、ここでは他の議論も加わっていて興味深い「心腹腎腸」と「憂腎陽」の例のみを挙げています。
 では、ここの江声の論理を少し追ってみましょう。
①現行本(偽古文)の原文:「今我其敷心腹腎腸、歴告爾百姓于朕志。」(『尚書』盤庚下)
②先に挙げた堯典正義の文を、「現行本並びに夏侯氏の上四句:心腹腎腸」と「鄭玄本つまり真古文の下四句:憂腎陽」の差異を述べると理解。(閻氏に同じ)
③しかし、「憂腎陽」では意味が分からない。他書を見ると、『文選』魏都賦の劉淵林注に「尚書盤庚曰、優賢揚歴。」とあり、「憂腎陽」が「優賢揚」であったと分かる。この時「心憂」が「優」に化け、「歴」は上句に続けて読んでいたことも分かる。
④以上により真古文を復元すると、「今我其敷優臤揚歴、告爾百姓于朕志。」(臤は賢の古字)となる。

 かなり省略しましたが、件の堯典疏文を、閻若璩と同様に(つまり現代の定説とは真逆に)読んでいることは確かです。
 閻若璩『尚書古文疏證』はもともと未完ないしは未整理の書ではないかという話もあり、出版流通したのは執筆から少々遅れるようです。しかし江声ははっきり『尚書古文疏証』を読んだと言っていますし、この説も閻若璩から引き継いだものと言って良いと思います。
 そして江声のこの説は、これまた大儒の銭大昕(雍正六・一七二八~)に引かれています。 

○錢大昕『十駕齋養新録』答問二

 問、劉淵林注魏都賦引書盤庚「優賢揚歴」之語、訓「揚歴爲歴試。」今盤庚無此文、何故。

 曰、予聞之江叔澐氏矣。盤庚下篇云「心腹腎腸。」古文作「優賢揚」而以歴字屬上句。鄭康成固如是讀也。請以尚書正義證之。正義曰「鄭注古文尚書篇與夏侯等同而經字多異、夏侯等書心腹腎腸曰憂腎陽。」説者不解「憂腎陽」爲何語。徵諸太冲之賦淵林之注、始悟優爲憂、賢爲腎、揚爲陽、三字皆傳寫之訛。・・・

 叔澐は江声の字。銭大昕は『文選』注の側からアプローチしていますが、結論は同じです。銭大昕についての専論は色々ありますが、ここでは変わり種として木下鉄矢『清朝考証学とその時代―清代の思想』を挙げておきます。考証学者の思想、学説につい目を奪われがちな中国思想の研究者に、新たな視角を提供する本です。

 さて、この例を見れば、経書の一カ所の解釈の相違が、他書の研究にも影響を及ぼす場合のあることが、よく分かります。例えば、『文選』魏都賦の劉淵林(劉逵)注*1が何の本を見ていたのか、その当時古文尚書と今文尚書のどちらが盛んであったのか、といった研究にも、影響を与える可能性がありますね。(もちろん、この一例で云々言いたいわけではありません。あくまで可能性として。)

 進度が遅くて恐縮ですが、全五回で完結しますのでお許しください。次回、乞うご期待!

(棋客)

↓つづき

chutetsu.hateblo.jp

*1:正確に言えば、『文選』魏都賦の注釈者は張載で、呉都賦・蜀都賦の注釈者が劉逵です。更に蛇足ながら、三都賦の總序(皇甫謐)や注は全て左思の自作自演という説(劉孝標『世説新語』注)もあります。