達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

小倉芳彦『古代中国を読む』

 前回、小倉芳彦『古代中国を読む』(岩波新書、1974)(論創社、2003)を話題に出すに当たって、数年ぶりに読み返してみました。やはり、何度読んでも面白いものです。

 折角ですので、少し引用しながら紹介してみます。

 前回、この本は「小倉氏の研究者としての苦悩を描き出す本」だと紹介しました。当然、論文・研究書に近い専門的な部分も含まれるのですが、その研究に至る動機、研究の経過と自身の生活、結論が出るまでの思考過程といった、研究者の非常に個人的な面が同時に描かれている点に、大きな特徴があります。

 さて、私が好きなのは「『論語』耽読」章です。この章は、若かりし頃の小倉氏が、自己流でがむしゃらに研究を進めていた頃のノートを再現した部分が主要な部分を占めています。

 あの二十歳代の無償のエネルギーは、今いくら掻きおこしても、再燃はしない。仕事から逃れようとする自分を罰する思いで、一思いに髪を刈って丸坊主になったときのような燃焼は、もはや今の私にはない。(中略)そういう傷つきやすい時期が私にもあった。(p.29、以下頁数は岩波新書版に準ず。)

 「傷つきやすい時期」に、「無償のエネルギー」をもって、自分一人で進められた研究とは、如何なるものだったのか。

 例えば、学而篇の第一章「子曰。學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。」には、こんなノートがつけられています。

 貝塚さんは、『孔子』で、学ぶことのよろこびを、これほど簡潔に、しかも余韻をこめて語る人格、とかなんとか言ってたが、さてそういうものを、どうやったら汲み取れるのか、私としては何を汲みだしたらいいのか。教師としての確乎たる教訓の口調、といったものの方が残るのだがなァ・・・(ここで妄念しきり)・・・ともかくこの章にもどって―、学びながら時々それを習う、反復する、それが楽しい、はたして楽しいだろうか・・・(ここで突き当たってアクビが二つ出る。しばらく休憩)・・・、学と習、朋と来、不知と不慍、この三つが対になって並んでいることの意味は何だろう。(中略)

 どうも、よくわからぬ。三つのうちで、朋と来、がなんとなくわかりそうだ。朋って何だ。来てはじめて朋とわかるってことか。朋と思ってたやつが来て、やっぱり朋だったとわかる、というのか。前の方を自分はとりたい気がする。(以下略)(p.34)

 つづいて、私が最も印象に残っている第二章「有子曰。其為人也孝弟、而好犯上者、鮮矣。不好犯上、而好作亂者、未之有也。君子務本、本立而道生。孝弟也者、其為仁之本與。」のノート。

 どうも平凡なことばだ。考弟ということばが死んでいる。有子(有若)は考弟なるものの本質をなにも知っていないみたい。そのくせ、というより、それだから、「考弟ハ仁ノ本」なんて言ってみる。これでは、少しこきおろしすぎかな。「有子曰」と冠してあるので、孔子と較べてあげ足を取りたくなっているのちがうか。・・・

 有若のこの理屈は、なるほど、そういうことになるでしょうね、と同意する以外にない。ハッとさせるようなものがない。有若―理屈だけのすました先生。かえって孔子よりも偉そうな話しぶりだ。(p.38)

 終始こんな調子で、学而篇を読み進めていきます。ここはまだ整っているところですが、徐々に若者の意気や悲鳴が交じり、非常に生々しく『論語』と格闘する姿が見えてきます。これだけ深く研究者の内面を暴露した本は、他になかなかないでしょう。

 最後に、小倉氏がこの本を紹介するときの言葉を引いておきます。

 この本は、私にとっての解毒剤ですよ。だから、あなたの体内の毒に利かないこともないが、へたに飲むと栄養どころか、毒にあたりますよ、と。(p.25)

 毒にあたって(?)、中国学の泥沼に引きずり込まれたのが、私というわけです。

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(棋客)