達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

阮元「塔性説」―仏典の漢訳にまつわる話

 自宅のプリント整理に勤しんでいたところ、数年前に大学の演習で阮元「性命古訓」を扱った関係で、少しだけ自力で読んでいた阮元「塔性説」のコピーが出てきました*1。少し調べてみると、王國維『靜庵詩文集』にも少し言及がある文章のようです。

 論旨が明快で、当時の私でも割合すらすらと読めた記憶があります。ちょっと面白い文章ですので、紹介してみます。(適宜省略を加えています。底本は四部叢刊本。)

 東漢時、稱釋教之法之人皆曰「浮屠」、而其所居所崇者、則別有一物。或七層九層、層層梯闌、高十數丈。梵語稱之曰「窣堵波」。
 晉宋姚秦間、翻譯佛經者、執此「窣堵波」、求之於中國、則無物無文字以當之。或以類相擬、可譯之曰「臺」乎。然「臺」不能如其高妙、于是別造一字曰「塔」以當之。絶不與「臺」相混。「塔」自高其為塔、而「臺」亦不失其為臺。

 話は、仏教が中国に伝来した頃に遡ります。インドから伝えられた仏典は、梵語のままでは漢字文化圏に広く理解されないということで、漢文に翻訳されることになります。その際、「音を取って漢字を当てる」「意味を取って漢字を当てる」「仏典翻訳のための新しい漢字を作り出す」といった様々な手法(並びにその合わせ技)が用いられました*2

 阮元が挙げた例は、「stūpa」(ストゥーパ)という言葉の翻訳についてです。音訳では「窣堵波」と当てられています。このまま音訳語の「窣堵波」が翻訳に用いられ続ける可能性もあったでしょうが、実際は「塔」という漢字が用いられてゆくことになります。
 阮元は、stūpaに意味を取って漢字を当てるとどうなるか、という例に「臺」を挙げ、しかし「臺」では微妙に原義と異なってしまう(「臺」ではstūpaの高層なさまを表せない)と否定します。そこで実際は、別に「塔」という漢字を新たに作り、訳に当てられることになりました。音の一部を取った「荅」に、土偏を付けて意味を示し、「塔」となった、というところでしょうか。阮元は、これにより、「臺」と「塔」は混同されることなく、ともに原義を保つことができた、と評価しています。

 以上は「塔」に関する議論ですが、「塔」「性」説という題が示す通り、もう一つの主題である「性」の字に関する議論が以下に続きます。むしろ、阮元の主眼は「性」の方にあるのです。

 至于翻譯「性」字、則不然。浮屠家説、有物焉、具於人未生之初、虚靈圓淨、光明寂照、人受之以生。或為嗜欲所昏、則必靜身養心、而後復見其為父母未生時本來面目。此何名耶。無得而稱也。即有梵語可稱、亦不過如「窣堵波」徒有其音而已。
 晉宋姚秦人翻譯者、執此物求之於中國經典内*3、有一性字似乎相近。彼時經中「性」字縱不近、彼時典中「性」字已相近。

 阮元はまず、仏典において「性」に訳される概念を説明します。(第一段落。この説明がどこまで正確なのかという話は、ここでは置いておきます。)この概念は「窣堵波」のように音訳するしかなかったもので、経書儒学)における「性」とは遠くかけ離れており、老荘の「性」に少し似ている(が異なる)もの、というのが阮元の主張です。

 此譬如執「臺」字以當「窣堵波」、而不別造「塔」字也。所以不別造字者、此時中國文人已羣崇典中之「性」字、就其所崇者而取之。且若以典中「性」字之解、不若釋家無得而稱之物尤為高妙、典中之解「性」字、未盡其妙也。然而與儒經尚無渉也。唐李習之以為不然、曰「吾儒家自有性道、不可入於二氏。」、於是作「復性書」。

 先に、「stūpa」は、「塔」という新しい字が当てられたため、既存の概念と混同されずに済んだ、という話がありました。阮元は、「性」の場合はこの逆だ、と言っているわけです。
 つまり、①本来、仏典において「性」に訳される概念は、漢字では訳し得ないもの(無得而稱之物)。②老荘を尊んだ晋宋の人が、仏典のその概念と老荘の「性」が似ていたことから、そのまま「性」と訳す。③よって本来儒教とは関わりがないはずだが、李翺「復性書」*4以来、混同されて用いられてきた。…といったところになるでしょうか。
 阮元は、李翺「復性書」の批判をこの文章以外でも繰り返し行っています。個人的には、その後の朱子学における「性」の展開をも暗に批判しているように思えるのですが、どうでしょうか。

 最後に阮元は、

 佛經明心而見之物原極高明淨妙。特惜翻譯者不別造一字以當其無得而稱者、而以典中「性」字當之、不及別造「塔」字之有分別也。

 と締めています。尚、ここに挿入されている原注に「此與莊子復初之性、已為不同。與召誥孟子之性、更相去萬里。」とあるので、阮元が老荘の「性」と仏典の「性」が、似ているけれどもあくまで異なるものであると考えていたことは明白です。

 では、儒教における「性」の原義は何なのか、という点が大きな疑問として残ります。阮元によるこの問いへの解答が記される文章が、先に挙げた「性命古訓」に他なりません。大部ですので今日は紹介できませんが…。
 また、『荘子』における「性」字の意味を議論した阮元の文章に、「復性辨」があります。参考まで。

 現代的な視点から見れば、阮元の議論は少々排他的に映るでしょう。とはいえ、仏典翻訳という問題から、「塔」という例と対比しつつ、(やや強引に)「性」という中国思想における重要概念の展開をさらっと流す書きぶりは、流石という感じがします。

 最後に余談。これは最近気が付いたことですが、実は『辞源』の「塔」の項目に、「參閲翻譯名義集七寺塔壇幢、清阮元揅經室集續集三塔性説」と、この文章が紹介されています。子曰、辞源可畏。

(棋客)

*1:どちらも阮元『揅經室集』に所収。阮元は清代の考証学者。特に『経籍籑詁』『十三経注疏』『皇清経解』の編纂で有名。

*2:詳しくは、船山徹『仏典はどう漢訳されたのか――スートラが経典になるとき』岩波書店2013を参照。

*3:原注:『經典釋文』所謂「典」者、老莊也。

*4:李翺「復性書」並びに韓愈「原性」の研究は、中国思想研究の一つの花形という印象で、先行研究も非常に多いです。多すぎてさっと紹介できないので、興味のある方は調べてみてください。いずれにせよ、ここで名前が挙げられるぐらいに、彼らが思想史の一つの転換点であったことは確かでしょう。