達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

喬秀岩「經學與律疏」―論文読書会vol.12

※「論文読書会」については「我々の活動について」を参照。

 

 喬秀岩「經學與律疏」(『北京讀經説記』萬巻樓2013、初出『隋唐五代經学國際研討会』文哲所出版2009)

【概要】

 喬氏は南北朝の義疏学から『五経正義』に至る学術史の研究を進めてきた研究者。唐朝による『正義』の編纂とほぼ同時期、『律疏』の選定も行われていた。両者は相似する点も多く、『正義』の学術の特徴を描写する上で、『律疏』への研究は必要不可欠である。

 まず、喬氏は『律疏』の形式上の特徴を整理する。『律疏』には初期の姿を残す敦煌本と宋元以降の刻本の二系統が存在している。元の律文の存在を前提として書かれ、疏文だけが書かれる敦煌本は経疏の単疏本に近く、律文を分離させて見出しとし疏文を付す形式の刻本は注疏彙刻本に近い。

 次に、『律疏』の疏解の具体的な検討と『正義』との比較に移る。第一に、『律疏』の篇題の疏文で「篇の次第の意義」を説く点に注目する。これは經学に於いても典型的に見られる手法であり、その共通性が認められる。但し『律疏』の場合、皇侃の義疏に代表される牽強付会の説とは異なり、真を捉えている場合も多い。故に、義疏の影響を完全に否定することはできないにしても、基本的には律学の自然な発展の結果と言えるだろう。ここには、皇侃疏を継承しつつも空理玄虚な説を排除した孔頴達『正義』に近い態度が見受けられる。第二に、『律疏』の「事同文異而無其義」という語と、『正義』の「無義例」という語の共通性とその背景を述べる。そもそも經学と律学は異なる原理で動いているのであって、それは杜預の「律注」に明らかである。杜預の「少しの異文に対して義例を立てない」という現実的・実践的即ち律学的な原則は、二劉から孔頴達にも共通しており、少しの異文に対しても完璧な理論体系を求める義疏学は『正義』で反駁されることとなった。この点にも『律疏』と『正義』の共通点が垣間見える。第三に、両者の相違点として、『律疏』は文義の解釈に重点を置かないという点が挙げられる。『律疏』は晋律から唐律に至る過程で体例が成熟しつつあった上、用いられている言葉も古語ではなく、文義への注釈は必要ではなかった。『律疏』の重点は、律を運用する上で必要となる補足事項が主であり、時おり存在する訓詁釈義の疏文も、伝統的な訓詁とは全く異なるものになっている。ここには、『正義』と比較した時の『律疏』の実用的な面が現れていると言えよう。尤も、少ないながらにも『律疏』にも歴史的背景を説明する疏文はあり、その権威性を高める役割を果たしている。また、時おり緯書や『孔子家語』、陰陽五行説を引く点には、「唐律―開皇律―北斉律」という継承関係に見える北学の系譜を感じさせるものがあり、学問の因襲関係も存在するのだろう。以上の四点をまとめると、『律疏』の疏解には現実的・実用的な色彩があり、これは律学そのものの本質である実践性に符合する。『律疏』の内容としては、経書の義疏と共通するところもあるが、義疏最大の特徴である論理や理論の追求は見られず、「疏」と名付けられているが「章句」に近いものがあると言える。

 結論として、義疏学と『正義』、『律疏』の内容の相異から、学術史を概観する。南北朝の義疏学は専門の学者によって行われ、その発展の自然な帰結として膨大で繁雑な理論を生み出した。律学はその学の特質と漢以後専門家が少なかったことから、このような発展は生まれず、『律疏』では具体的な例を平易に解説することが旨とされた。同時に編纂された『正義』も、義疏学を生み出した社会が失われた以上同じ学術は成り立たず、簡明かつ常識的な解釈を行った。両者の学問の整理と体系は大きな成果だが、終始平坦な解釈には生気が感じられず、理論や哲学に欠けるという点は否定できない。そこで生じる、より深層の哲学を求めようとする動きが、中唐以後の儒学の新展開へと繋がるのである。