達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

句読の難―『困学紀聞』と『尚書大伝』(上)

 以前、「考証学における学説の批判と継承」と題して、『尚書』のある一条を題材に取り、考証学者たちの学説の変化を追ってみました(全五回)。この調査は、環境さえ整っていればそれほど難しいものではないのですが、なかなか興味深い結果が出てくることもあります。一条ごとでは研究と呼べる代物にはならないでしょうが、百回ぐらい繰り返せば、それなりに面白い何かが見えてくるかもしれません。

 今回の出発点は、王應麟『困学紀聞』です。この書は、早くも南宋において考証学の萌芽が認められるものであり、清朝考証学者に好んで読まれ、よく引用されているという印象があります。

王應麟『困學紀聞』卷二
 呉才老『書裨傳』考異*1云「伏氏口傳與經傳所引、有文異而有益於經、有文異而無益於經、有文異而音同、有文異而義同。」才老所述者、今不復著。「以閏月定四時成歲」、古文「定」作「正」、開元誤作「定」。・・・無逸「肆高宗之享國、五十有九年」、石經曰「肆高宗之饗國百年」、漢杜欽亦曰「高宗享百年之壽」。費誓説文作〓(北+米)誓史記作肹大傳作鮮度作刑以詰四方周禮注云度作詳刑。「哀矜折獄」、漢于定國傳*2作「哀鰥哲獄」。・・・

 今回の主題に関わる部分(下線部)については、敢えて句を切らずに掲げています。下線部に見える「大傳」とは、前漢尚書学者として著名な伏生の手になるとされる『尚書大伝』のこと。

 また、もう一つの材料として、もともと『尚書』に、以下のような一文があることを挙げておきます。

尚書』呂刑
 惟呂命、王享國百年、耄荒。度作刑、以詰四方。
(偽孔傳:度時世所宜、訓作贖刑、以治天下四方之民。)

 では、『尚書』のこの条に関わる、考証学者の学説を見てみましょう。まずは、王鳴盛(康熙61年-嘉慶2年、1722-1798)の『尚書後案』から。

王鳴盛『尚書後案』呂刑
 度作刑、以詰四方。
(案曰)鄭天官大宰、秋官大司寇注引、此俱作「度作詳刑。」『大傳』引此又作「鮮度偉刑以詰四方。」

 続いて、江声(康熙60年-嘉慶4年、1721-1799)の『尚書集注音疏』から。以前、この本がもともと篆書で木版印刷された珍しい本であることを言及しましたが、「中国哲学書電子化計画」で版本の写真が見られるようです。(よ、よみにくい…。)

江聲『尚書集注音疏』呂刑
 今文曰「鮮度作刑以詰四方」者、據伏生『書大傳』引『書』如此。

 続いて、孫星衍(乾隆18年-嘉慶23年、1753-1818)の『尚書今古文注疏』を開いてみましょう。『尚書今古文注疏』は、「清人十三経注疏」に収録されており、まず手軽に清人の説を確認する時に用いられる本でしょうか。

孫星衍『尚書今古文注疏』呂刑
 度作刑、以詰四方。
(注)大傳「度」作「鮮度」。馬融曰「度、法度也」。「刑」一作「詳刑」、「詰」一作「誥」。
(疏)大傳「度」作「鮮度」者、釋詁云「鮮、善也。」漢書刑法志云「度時作刑」、詩傳云「時、善也」、則今文「鮮度」「度時」、俱言「度善」也。或以度時爲相度時宜、非也。・・・

 つまり彼らは、尚書』の「度作刑以詰四方」を、『尚書大伝』では「鮮度作刑以誥四方」に作っていた、と考えているようです。注意すべき点は、『尚書大伝』は、『困学紀聞』が書かれた時、つまり南宋の頃にはまだ存在していましたが(この時すでに完本では無かったという説もあります)、清代には既に失われた本であったということです。
 ということは、彼らが利用した『尚書大伝』の文は、他書に残された佚文を利用したものであるということになります。『困学紀聞』以外にこの文章は残っていないようですので、先に挙げた清儒の引く『尚書大伝』の出所は、先の『困学紀聞』の文章であるはずです。
 そのように理解するためには、最初に掲げた『困学紀聞』の下線部を、「「費誓」、『説文』作「〓(北+米)誓」、『史記』作「肹」。『大傳』作「鮮度作刑以詰四方」、『周禮注』云「度作詳刑」。」と句読した、と考えなければなりません。

 簡単に調べてみた限りでは、この説は、他に阮元(乾隆29年-道光29年、1764-1849)の『詩書古訓』や、莊述祖(乾隆15年-嘉慶21年、1750-1816)の『尚書今古文考證』にも見えるようで、当時それなりに受け入れられていたようです。

 しかし、これはどうにもおかしい。『困学紀聞』の前後の体例を見ると、例えば一条目は

「以閏月定四時成歲」、古文「定」作「正」、開元誤作「定」。

 また直前の条は、

無逸「肆高宗之享國、五十有九年」、石經曰「肆高宗之饗國百年」、漢杜欽亦曰「高宗享百年之壽」。

 と、最初に問題となっている経文を出し、後ろにその異同を付す、という形式になっています。一方、先の問題の箇所については、先ほどの句読をもとに分断すると、

「費誓」、『說文』作「〓誓」、『史記』作「肹」。
『大傳』作「鮮度作刑以詰四方」、『周禮注』云「度作詳刑」。

 と分けるよりありません(「費誓」は篇名で、そこを「鮮度作刑以詰四方」に作ったとは読めず、別条とみなすべき)。すると、後半の見出し語が見当たらず、どうにも宙ぶらりんの格好になってしまいます。
 この問題を解決する第一の手段は、「大傳」の前に、「度作刑以詰四方」の見出し語の七字を補って読むという方法です。なるほど、可能性としては考えられます。が、七字をまるまる補うからには、別の証拠が欲しいところです。

 …とまあ、長々と前口上を述べましたが、実はそれほど難しい問題ではありません。以下のように句読すれば、万事解決する話なのです。(現代の標点本も同様に作っています。)

「費誓」、『說文』作「〓誓」、『史記』作「肹」、『大傳』作「鮮」。
「度作刑以詰四方」、『周禮注』云「度作詳刑」。

 つまり、前半は「費誓」を「〓誓」、「肹誓」、「鮮誓」に作るテキストがあると述べるだけ、後半は「度作刑以詰四方」が見出し語で以下に異同のリスト、という構造になっているわけです。(なお、「費誓」を『尚書大伝』で「鮮誓」に作るという例は、『史記索隠』にも言及があり、追証できます。*3

 やれやれこれで一件落着…とはならず、まだ疑問が残っています。『困学紀聞』の当該箇所は、上に示した通りに体例が統一されており、並み居る考証学者がみな誤るほどに複雑なものではないように思われるのに、何故みな同じ誤りを犯しているのでしょうか。(次回紹介しますが、正しく認識している学者も存在するのです。)

 まず、『尚書』全体に対する注釈書としての成立が早い王鳴盛『尚書後案』や江声『尚書集注音疏』の誤りを、後続の学者が引き写したという考え方があるでしょう。実際そういう側面もありそうですが、結局、ではなぜ王鳴盛や江声は誤ったのか、というところに話は戻っていきます。

 ここで、『尚書大伝』が、「清代には失われていたものの、早くから輯佚本が作られていた」という事実が利いてきます。つまり、彼らはいちいち『困学紀聞』の該当箇所を見て『尚書大伝』の佚文を見つけ出していたのではなく、恐らくは簡便に『尚書大伝』の輯佚本を利用していたはずで、その「輯佚本」が全ての誤りのもとになっているのではないか?ということが推測できます。

 大分長くなってしまいましたので、「誤った輯佚を行ったのは誰か」、そして「その誤りを正したのは誰か」という話は、また来週!

*1:呉才老は呉棫、宋代の人。閻若璩『尚書古文疏証』で、偽古文尚書の存在を最初に疑った人として紹介されることでよく知られる。また、『韻補』も、音韻学に多大な貢献があったことで知られる。

*2:漢書』于定國傳の贊に見える言葉。

*3:史記』魯周公世家「伯禽即位之後、有管、蔡等反也、淮夷、徐戎亦並興反。於是伯禽率師伐之於肸、作肸誓。」(集解)徐廣曰「肸、一作『鮮』、一作『獮』。」・・・(索隱)尚書作「費誓」。徐廣云一作「鮮」、一作「獮」。按、『尚書大傳』見作「鮮誓」、 鮮誓即肸誓、古今字異、義亦變也。・・・