達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

句読の難―『困学紀聞』と『尚書大伝』(下)

 前回の続きです。
 回りくどい話をしてきましたが、ここで登場するのが、丁杰(乾隆3年-嘉慶12年、1738-1807)です。まずは伝記資料から、彼の功績を確認してみましょう。

 『文獻徵存録』卷七
 丁杰、字升衢、歸安人。少以清苦建志、家貧不能得書。日就書肆中、讀自朝至晡、以爲常。肆主閔之、爲具食、不食也。久之、博學多通。・・・朱學士筠、盧學士文弨、戴編修震、程孝廉瑶田、皆與爲友、學益進、聚書益多。四十六年成進士。・・・尤善校書、雅雨堂盧氏所刻『書傳』乃惠徵君所裒輯、杰以爲疏舛。如「鮮度作刑以詰四方」、誤讀『困學紀聞』乃謬之甚者。

 最初の、「貧しかったため本屋に通って読書していた」というエピソードからは、『後漢書』王充伝が思い出されて興味深いところ。*1

 何はともあれ、『尚書大伝』における恵棟(康熙36年-乾隆23年、1697-1758)の輯佚作業にミスが多かったため、丁杰が補正した、という話が載せられていて、実例として前回紹介した例が引かれています。他に丁杰は、最初に王応麟が輯佚し、のちに恵棟が補った『周易鄭注』を、更に補正し、『周易鄭注後定』を作っています(この本は今でも見ることができます)。恵棟の作った輯佚本に全体的に誤りが多いことに気が付き、修正を施したのでしょう。

 文中の「雅雨堂盧氏」とは盧見曾(康熙29年-乾隆33年、1690-1768)のことで、彼の手にかかる「雅雨堂叢書」の中に、『尚書大伝』が収められています。そしてこの叢書に収められる輯佚本『尚書大伝』では、なるほど確かに、「鮮度作刑以詰四方」を本文として掲載しています。前回紹介した江声あたりは恵棟の直弟子ですから、誤りを継承してしまったのも頷けます。

 上は伝記資料なので、できれば本人の著作から確かめたいところですが、どうにも見つけられません。(彼の著作自体、『周易鄭注後定』を除くと国内にあまり所蔵がありません。)
 しかし、これが彼の発見であることについては、あちこちに記録が残っています。この説にいち早く反応し、自書に取り入れたのが段玉裁(雍正13年-嘉慶20年、1735-1815)です。

段玉裁『古文尚書撰異』呂刑
 度作刑、以詰四方。
 ・・・惠氏集『尚書大傳』、書云「鮮度作刑以詰四方。」丁小雅杰曰、『困學紀聞』云「費誓」、『説文』作「〓(北+米)誓」、『史記』作「肹」、『大傳』作「鮮」(句)、「度作刑以詰四方」、周禮注云「度作詳刑、以詰四方。」惠氏誤聯「鮮度」為句。

 奇しくも、前回紹介した例でも、王鳴盛『尚書後案』江声『尚書集注音疏』の誤りが、段玉裁『古文尚書撰異』では改められており、孫星衍『尚書今古文注疏』はどれもはっきり否定しない微妙な立場、というパターンでした。まだ僅か二例ですが、もう少し積み重ねれば何か見えてくるかもしれません。

 珍しい例では、途中で誤りに気が付いたと思われる人として、孫志祖(乾隆2年-嘉慶6年、1737-1801)が挙げられます。

孫志祖『讀書脞録』荒度
 呂刑「度作刑以詰四方」、蘇氏連上「荒」字作句、云「荒、大也。大度作刑、猶禹貢曰、予荒度土功。」以『尚書大傳』引書曰「鮮度作刑以詰四方」證之、似「鮮度」卽「荒度」之異文。蘇讀爲優。(丁小山云、輯『尚書大傳』者、讀『困學紀聞』破句以鮮度二字連文、致有此誤。)・・・

 本文では明らかに、『尚書大伝』に引く『尚書』の「鮮度作刑以詰四方」という例から、蘇軾の注釈を証明できるようだ、と述べています。しかし、自注(括弧内、原文では割注の形)では、丁杰(丁小山)の発見が引用され、輯佚書の誤りを指摘しています。そして後ろの省略した部分で、前半の説をやはりあまり良くないと否定しているのです。最初からこの説を知っていれば、「以『尚書大傳』引書曰、鮮度作刑以詰四方」とは言わないでしょうから、最初は輯佚本を見て誤りを踏襲していたのではないか、と考えられます。丁杰、段玉裁、孫志祖はほぼ同世代の三人で、交流があったのでしょう。

 以上は『尚書』の側からの考察ですが、『尚書大伝』の輯佚の側から焦点を合わせた考察として、このようなものも出てきました。

嚴元照(乾隆38年-嘉慶22年、1773-1818)『蕙櫋雜記』
 『尚書大傳』王厚齋猶及見之、殆亡於元明之際。令行世有三本。一仁和孫氏之騄本、一德水盧氏見曾本、一烏程董氏豐垣本。皆由采輯所成、盧本乃惠定宇所輯。其序中不詳言、但云「得之呉中藏書家」。竟似舊本之存於今者、似近於欺矣。其中踳駁甚多、聊摘一二言之。・・・丁小雅云、・・・又甫刑條書曰「鮮度作刑、以誥四方。」此誤讀『困學紀聞』也。『紀聞』云「・・・」。此其文義甚明、而定宇乃以『大傳』作「鮮度作刑、以詰四方」為一句、其疎不已甚乎。

 さて、結局のところ、『尚書大伝』の輯佚本の補正版は、まず陳寿(乾隆36年-道光14年、1771-1834)によって作られました(四部叢刊に収められる『尚書大伝』は、この本です)。その末尾に付された「尚書大傳辨譌」にて、上の問題点が指摘されています。*2

  『尚書大伝』の最善の輯佚本は、今文家として著名な皮錫瑞(道光30年-光緒34年、1850-1908)によって作られた『尚書大伝疏証』とされることが多いようですが、ここでも当然、誤りが正されています(繰り返しになるので、引用は控えておきます)。
 皮錫瑞が『尚書大伝疏証』を作った背景には、『尚書大伝』は前漢の伏生の作(もしくはその流れを汲む)ということで、今文学派には重要視された書であるということが背景にあります。これは陳寿祺も同様でしょうか。

 さて、今回の話題で、少々不憫なのは孫星衍です。前回紹介したように、『尚書今古文注疏』にて、「『大傳』「度」作「鮮度」者、釋詁云、鮮、善也。・・・」と、本来であれば必要のない訓詁を注釈し、無用な辻褄合わせをする羽目になってしまいました。(無論、彼自身の確認不足に責任の一端はあるのですが…。)

 逆に言えば、「何の由来もないでたらめな文章でも、訓詁を駆使すれば、無理やりそれっぽく読んでしまうことも可能である」と言えるのかもしれません。訓詁学、この成果なしに古典を読むことはできませんが、ちょっと「読めすぎてしまう」ところもあり、注意が必要なことが、上の例からよくわかります。改めて言うまでもないことかもしれませんが。(棋客)

*1:後漢書』王充列傳
 王充字仲任,會稽上虞人也,其先自魏郡元城徙焉。充少孤,鄉里稱孝。後到京師,受業太學,師事扶風班彪。好博覽而不守章句。家貧無書,常游洛陽市肆,閱所賣書,一見輒能誦憶,遂博通衆流百家之言。

*2:尚書大傳』(陳壽祺輯)尚書大傳辨譌
 『尚書大傳』南宋時已多佚脱、今坊間盛行。盧氏雅雨堂本、譌漏不可勝舉。・・・。『困學紀聞』云「・・・」。案此大傳作「鮮」、四字斷句、度作刑以下又一事、而誤連「鮮度作刑以誥四方」爲句。・・・