達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

地元の儒者を尋ねて―「亀井南冥」篇・おまけ

 中哲ブログということで、前回までの記事の中に出てきた「典拠のある言葉」を、少し振り返ってみましょう。第1回はこちら。第2回はこちら。

 まず、修猷館の「修猷」という言葉。これは尚書』 微子之命の一節を踏まえる言葉です。修猷館高校の公式サイトには、このように書かれています。

 修猷館の名は 『尚書』 の一篇「微子之命」の中の「践脩厥猷」を典拠とする。
 「践脩厥猷」は「厥(そ)の猷(みち)を践(ふ)み修(おさ)む」と読み、「その(成湯の偉大な)道を実践し修める」ということである。「微子之命」は、周の成王が微子を宋の国に報じた時の誥命であり、殷の祖である成湯(湯王)の猷を修めて有徳の誉高い微子に、永く殷の祭祀を継承させようとしたものである。

※引用元:践修厥猷・六光星・孔子像 / 福岡県立修猷館高等学校

 『尚書』微子之命の該当部の前後を引くと、「爾惟踐修厥猷、舊有令聞。」とあり、偽孔傳では「汝、微子、言能踐湯德、久有善譽、昭聞遠近。」(あなた、微子は、湯王の道を踏み治めることができ、久しく善い誉れを受け、その評判は遠くにも近くにも伝わっている。)と解釈されています。
 公式にここまで解説されているのでもう疑問はないのですが、「微子之命」は偽古文ですので、一応そのもう一段階前までさかのぼってみたくなるものです。
 あまりぴったりした例はないのですが、「踐脩」は『左傳』文公元年「踐脩舊好、要結外援。」の例があります。杜預注は「踐、猶履行也。」といいます。
 いずれにせよ、きちんとした典拠のある校名があるというのは、羨ましいものです。

 続いて、甘棠館の「甘棠」という言葉。これは『詩』國風・召南にある「甘棠」の詩を踏まえています。この詩は、詩序に「甘棠、美召伯也。」とあるように、伝統的には召公を讃える詩として解釈されてきました。「甘棠」とは直接にはナシやリンゴの木を指すようですが、それだけではなぜ校名に採用されるのか分からないので、もう少し読んでみましょう。
 詩の冒頭は、「蔽芾甘棠、勿翦勿伐、召伯所茇。」という一説から始まります。ここの鄭玄箋には「茇、草舍也。召伯聽男女之訟、不重煩勞、百姓止舍小棠之下、而聽斷焉。國人被其德、說其化、思其人、敬其樹。」とあります。
 つまり、召公は甘棠の木のそばで民衆の訴えを聞いて善政を行っていたため、みなその甘棠の木も敬うようになった、ということ。とにかく良いイメージのある言葉なわけですね。

 続いて、当仁小学校の「当仁」という言葉。これは論語』衛靈公の一節の「子曰、當仁不讓於師。」(子曰く、仁に当たっては師にも譲らず。)から来ているのでしょう。孔子の教えをそのまま校名にしているパターンです。
 「当仁」が、小学校のある場所の地名である「唐人町」に引っ掛けてあるわけで、なかなかお洒落な校名ですね。「師にも譲らない」という大胆な言葉を学校の名前にしてよいものか逡巡してしまいそうですが、そこを敢えて名付ける辺りに、ちょっとした心意気があるのかもしれません。(そこまで考えていたのかは分かりませんが…笑。)

 最後に、「咸宜園」の「咸宜」という言葉。これはそのまま読んでも「咸な宜し(みなよろし)」となって意味は分かりやすいですが、そうはいっても、ただ意味から考えて名付けられたものではなく、経書に典拠のある言葉を選んで名付けています。これは『詩』商頌・玄鳥の「殷受命咸宜、百祿是何。」という一節から取られています。「玄鳥」は、詩序によれば高宗を祀った頌ということです。

 最後に、今日出てきたところを一覧にまとめてみましょう。

修猷:『尚書』微子之命「爾惟踐修厥猷、舊有令聞。」
甘棠:『毛詩』國風・召南・甘棠「蔽芾甘棠、勿翦勿伐、召伯所茇。」
当仁:『論語』衛靈公「子曰、當仁不讓於師。」
咸宜:『詩』商頌・玄鳥「殷受命咸宜、百祿是何。」

 身近なところにも、典拠のある言葉というのは隠れているものですね。(棋客)