達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

銭大昕「與段若膺論尚書書」について

 最近、訳あって銭大昕「與段若膺論尚書書」を読んでいます。これは銭大昕が段玉裁と『尚書』に関して議論を交わした書簡であるということで考証学史において重要であると同時に、内容自体もなかなか興味深い書簡です。

 もとは、四部叢刊本『潜研堂文集』で読んでいたのですが、少し句点を確認しておこうと標点本を見たところ、銭大昕が見たら悲しむであろう誤字や句点の誤りを発見しました。標点本の誤りというのは日常茶飯事ですが、ちょっと面白い例だったので紹介してみます。
 ここでいう「標点本」とは、陳文和主編『銭大昕全集』(江蘇古籍出版社、1997)です。まずは内容の確認のために、冒頭から読んでみましょう。以下の句点は、一部カギ括弧を加えた以外は標点本のままです。

 承示考定『尚書』,于古文、今文同異之處,博學而明辯之,可謂聞所未聞矣。唯謂史漢所引『尚書』皆係今文,必非古文,則蒙猶有未諭。『漢書』儒林傳謂「司馬遷從安國問故。遷書載堯典、禹貢、洪範、微子、金縢、多古文説。」是史公書有古文説也。地理志「呉山,古文以為汧山。」「大壹山,古文以為終南。」是『漢書』有古文説也。

 銭大昕は、段玉裁による『尚書』の今文・古文の考定を評価しながらも(博學而明辯之、可謂聞所未聞矣)、段氏の主張する「『史記』と『漢書』に引かれる『尚書』は、全て今文に係る」という結論には、異議を唱えています(則蒙猶有未諭)。
 銭氏はその根拠として、①『漢書』儒林傳に司馬遷が古文説を採る場合があると指摘されていること②『漢書』地理志に「古文以為○○」の語が見えること、を挙げます。なお、ここでいう「段氏の『尚書』今文・古文の考定」は、最終的に段玉裁『古文尚書撰異』に整理されています。
 実際のところ、このようにすっぱり今文・古文を分けられるのか、というのは疑問の多いところですが、乾嘉の学のこの時期、更にその後の今文学派と呼ばれる人々にかけて、この問題が大きなテーマの一つとなっていたことは事実。

 とにかく、史記』と『漢書』が今文・古文のどちらを採るのか、というのが議論の主題。両者の相異は、段氏は今文であるとし、錢氏は古文も混じっているとする、というところにあります。以下、銭氏は『史記』と『漢書』が古文を用いる実例を列挙していくのですが、一部省略し、問題となる部分に進みます。

(中略)又如「漾」之為「瀁」、「冏」之為「臩」,此古文之見于許氏書者,而『史記』正與之同,是又『史記』兼用古文之明證也。
 足下以漢志、禹貢「瀁水」不從水旁,遂謂今文作「瀁」,『史記』亦當作「瀁」,淺人增加水旁。無論「莫須有」三字難以服天下,恐世間如此淺人正不易得。何也?淺人依『尚書』改『史記』,必改為「漾」,其能改作「瀁」者,必係通曉六書之人,豈有通人而肯妄改古書者!此可斷其必不然矣。
 『説文』以「瀁」為古文,則「漾」必是今文。『漢書』之「瀁水」即從古文而省水旁,决非今文別作「瀁」字。僕于經義膚淺,不敢自成一家言,聊罄狂簡,以盡同異,幸足下之教我也。

 ここは「漾」と「瀁」の字句の異同と、今文・古文の関係について述べるところです。銭氏の主張は、『説文解字』の「漾」字に「瀁、古文」とあって、『史記』は「瀁」を用いているのだから、『史記』も古文を用いることがあることが分かる、ということ。一緒に挙げられている「冏」と「臩」も同じ例です。(ここまで第一段落)

 問題が多いのは第二段落。まず、冒頭の「「瀁水」不從水旁」の語に、違和感を持たれないでしょうか。「いやいや、『瀁』って、『水旁』に従っとるやないかい!」ということです。
 版本に当たれば正解は一瞬で分かるのですが、折角なので、与えられた材料から推理していく体裁で進めていきましょう。この引っ掛かりを解く参考資料として、字句の異同は「尚書(現行本):漾」「史記:瀁」「漢書:養」という対応になっていることを挙げておきます。

 ①まず、“漢志、禹貢「瀁水」不從水旁”は、“漢志「禹貢養水」不從水旁”に作るべき。『漢書』地理志にそのまま「禹貢養水」とあって(正確に言えば、班固の自注に入っています)、この「養」は水旁に従っていないのだから…と続くわけです。
 ②次に、“遂謂今文作「瀁」”も、やはり“遂謂今文作「養」”に作るべき。『漢書』に「養」とあることから、段氏はそのまま「養」を今文と判定した、ということを言っています。「遂」は「それをそのまま」という語気。段氏にとっては、『漢書』が今文を採ると考えているので、ここも「養」は今文であろう、と考えるわけです。
 ③更に、“史記』亦當作「瀁」”も、やはり“史記』亦當作「養」”に作るべき。段氏にとっては『史記』は同じく今文ですから、現行本の「史記:瀁」は字句が改められており、もとは「養」だったはずで、そこに浅人が水旁を加えた(淺人增加水旁)と考えるわけです。

 最初の「漢志、禹貢」のところは、流れ作業で句点を入れるとうっかりしてしまいそうですし、その後のチェックもすり抜けてしまいそう。「養」が「瀁」になっている方は、版本を見れば明らかに「養」である上、「瀁」では文意が明らかに通じなくなるので、何とかしてほしい感じも。当然ながら、第三段落“漢書』之「瀁水」”もやはり誤字。
 つまり、「養」と「瀁」の区別が肝心なところなのに、「養」が全て「瀁」に化けてしまっているわけです。銭氏、そして段氏にしてみれば、自説の肝心な部分が解読不明になってしまっているということになり、ちょっとかわいそうです。念のため、四部叢刊本の画像を載せておきます。赤丸が「養」、青丸が「瀁」の字です。どちらも『説文』の字体に従っているので通行字「養」と字の作りが異なりますが、さんずいの有無ははっきり分かるでしょう。

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 さて、正しい句点になったところで、次は内容面に踏み込んで考えてみたいところですが、なかなか深い問題と関係してくるので、正確に整理するにはまだ時間がかかります。また期間をあけて書こうかと思います。

 さわりだけ段氏の説を整理しておくと、『古文尚書撰異』では「壁中故書:瀁」「孔安國:漾」「今文尚書:養」という対応、『説文解字注』では「壁中古文:瀁」「篆書:漾」「今文尚書:養(假借)」という対応で説明されています。ここには、銭氏と段氏の、『尚書』今古文の字句・義説に関する認識の差だけでなく、『説文解字』の体例に関する認識の差、『漢書』の体例に関する認識の差、といった幅広い問題が背景にあります。また、ここまで言えるかはまだ分かりませんが、単なる部分的な学説や認識の差ではなく、両者の思考法や考証法、学術の特徴の差といった話まで繋げられるかもかもしれません。もっとも、上記の通り重要な書簡ですので、既に研究があるかもしれませんが。

 余談ですが、少し不思議なのは、「中国基本古籍庫データベース」の字句も上の標点本と全く同じように誤っていること。版本で明らかに「養」のところを全く同じように誤るとは考えにくいので、もしかすると、標点本のデータをそのままデータベースに用いているのかもしれません。

・追記(2019.9.27)
 読者の方が、他の標点本についても調査して下さいました。
 まず、上の陳文和主編『銭大昕全集』の増訂版が、鳳凰出版社より2016年に出ています。これは同じく誤りを継承しているとのこと。
 もう一つ、活字版で出た少し古い本の、呂友仁標校『潛研堂集』(上海古籍出版社、1989)にもこの手紙が収められています。こちらでは、基本的に正しい字に作ってあります。(但し、「漢志禹貢瀁水」のところの標点は同様に誤っていました。)
 古い標点本の方が正しい、というのは少し悲しい結果ですね。

(棋客)