達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

頼惟勤『説文入門』を読む(一)

 『説文解字』並びに段玉裁『説文解字注』に関する、“高度に学術的な入門書”(語義矛盾にあらず)といえば、頼惟勤先生の監修にかかる『説文入門』(大修館書店、1983年)が有名です。参照→『説文入門』 | 学退筆談 

 本書の第三章「段注の実際」の第三節は「段注の会読(「一」)」と題され、頼先生を中心とする段注の読書会を擬似的に再現した様子が描かれています。ここで例に挙げられているのは、『説文』の冒頭、「一」の字を読み進めるところで、その高度な内容には圧倒されるものがあります。

 さて、最近、段玉裁『古文尚書撰異』をパラパラと眺めていたところ、『説文入門』との関わりでちょっと問題にしたい例が見つかったので、ちょっと皆様のご意見をお伺いしたいと思います。まず今回は『説文入門』の文章を読み進め、次回、問題提起を行うこととします。

 『説文解字注』の冒頭の原文を掲げておきます。

段玉裁『説文解字注』一篇上
 「一、惟初大極、道立於一、造分天地、化成萬物。」
 段注:漢書曰、元元本本、數始於一。

 このうち「大極」の部分について、『説文入門』で再現される読書会の様子を、ちょっと覗いてみましょう。なかなか面白い本だということが、分かって頂けるかと思います(p.171-172より、一部省略を交えて引用。下線、強調は引用者による。)

司会:まず以上について、説文のテキストによる文字の異同があれば指摘してください。
副講:説解の「大極」について、大徐本と小徐本とに相違があります。すなわち大徐本は「太始」で、小徐本は「太極」です。従って段氏は小徐に拠ったわけです。なお、「一」の説文は、この点のみ異同があり、あとはありません。
発難:ここはどうして「太始」では駄目で「太極」でなければならないのでしょうか。理由を挙げてください。
主講:理由と言われても困ります。もともと「太始」も「太極」も『周易』繫辭傳(上)の語です。すなわち「乾知大始」「易有大極」というように出て来ます。どちらが、より由緒ある語とも言えません。本当はどちらでもよいのではないでしょうか。
発問:この件は「始」と「極」との他に「大」と「太」との違いもからんでいるようですが……
主講:「大」と「太」とは字体の違いに過ぎません。いわゆる「大音泰」の場合で、どの道「タイ」(tai)です。「大小」の「大」(da) ではありません。
発問:『周易』の諸本では「大」「太」はどうなっていますか。
副講:一覧表を作りましたから次に掲げます。
主講:易についての異同の大略は阮元の『校勘記』でわかりますし、殊に足利本の場合は山井崑崙の『七經孟子考文』でさらによくわかるわけです。ただ、足利学校の「越刊八行本」については、影印本でつらつら見ましたところ、疏の基くテキストは「太始」「太極」とあって「太」ですが、それに附けられている経文は「大始」「大極」とあって「大」です。『考文』もそういうところまでは書いていないようです。
発問:そうするとここの易の宇体としては「太」と「大」とどちらが古いのでしょう。
主講唐石經・岳本・釋文所據など、易としては古い系統のものは「太」でなく「大」です。そうすると「大」がより古い形だと思います。段氏が「大」とするのもそういうことによるのでしょう。〔「大」「太」終り〕

 なお、途中に出てくる「一覧表」を見ると、以下のことが分かります。
 唐石經、岳本、釋文所據本、八行本經字は「大始・大極」に作り、八行本疏引は「太始・太極」に作り、通行本は「大始・太極」に作る。

 さて、まず前提知識ですが、『説文』という書物はその伝来に問題が多く、版本によって字句の異同が多い書物です(『説文入門』第一章を参照)。段玉裁は、その校訂作業と注釈作成の両方を行っているので、注釈を附すところだけでなく、『説文』の本文を定めるという作業においても、段氏の主張がにじみ出てきているものです。そしてしばしば、その過程は段注において言及されません。

 上のやり取りは、『説文』の代表的な版本では「太始」「太極」となっているところについて、段氏がなぜ「大極」の字句を選択したのか、何とか解き明かそうと試みているところです。
 なお、ここは「大」と「太」の相異と、「始」と「極」の相異の二種が交じっていてややこしいところですが、この記事で問題にしたいのは「大」と「太」の部分ですので、上ではその結論が述べられるところのみを引用しています。

 読書会の結論は、『周易』の各版本を調査したところ、古いものはいずれも「大」に作ることから、段氏は「大」を用いたのだろう、とするものです。ここで一応断っておくべきことは、『説文』の代表的な版本だけを調べるといずれも「太」となっているわけで、純粋に『説文』の校勘から考えれば、まずは「太」としておくのが普通、と考えられることです(「極」の方は実際の小徐本の字句に従っているわけで、また意味が異なります)。
 ただ、段玉裁という人は、何といえばよいのか分かりませんが、「そういうタイプ」の学者ではありません。自分の中で、理想的な形・正しい経文というものがはっきり固まっている場合であれば、多少武断に見えるところでも、どんどん字句を改めるタイプです。

 さて、今後の議題は、“「太」を「大」に改めた段氏の意図は、以上の説明でよいのか”という点にあります。次回ここを問題にして、少し議論してみます。
 細かな一例ではありますが、何と言っても大著『説文解字注』の冒頭であり、段氏が特に考えを練ったところであったはずです。『説文入門』でもこう述べられています。

 段氏のころの学問の水準では、説文の開巻第一の説解が「太始」である位のことは常識であったと思われます。それを破って「大極」としたところに、この大著の始めを飾る著者の意気込みを見るべきです。(p.173-174)

 少しでも「意気込み」を見るべく、頑張っていきましょう。次回に続きます。

(棋客)