達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

頼惟勤『説文入門』を読む(二)

 前回の続きです。

説文解字注』一篇上
 一、惟初大極、道立於一、造分天地、化成萬物。

 前回書いたように、『説文入門』での結論は「唐石經・岳本・釋文所據など、『易』として古い系統のものは「太」でなく「大」であるから、段氏は「大」の字を用いたのだろう」とするものです。むろん、段氏は経書本来の字句、つまり出来る限り「古い形」に戻そうとしているわけですから、まず部分的にはこの説明で良いのだと思います。

 ただ、個人的な感覚では、もう一押し、根拠が欲しいように思います。あくまで私の印象ですが、段玉裁という学者は、今回の例のような“「唐石經、岳本、釋文所據本、八行本經字」が「大」、「八行本疏引、通行本」が「太」なので、校勘学的に比較すれば「大」と判断される”とかいう場合でも、何か彼の信じる他の根拠があれば、容易に逆の「太」の方を採るようなタイプの学者です。上記の史料の中では「唐石經」が最も古いですが、例えば「これは唐人によって改竄されたのであって、本来は***であった」という説明も、段氏の十八番といってもいいほどよく見受けられる議論のパターンです。
 これは本段で、『説文』ではあらゆる版本が「太」であるのに、独断で「大」に直してしまう辺りからも、よく分かるのではないでしょうか。

 というわけで、ようやく本題です。前々回の記事でも話題にした『古文尚書撰異』をパラパラと眺めていると、こんな例に出くわしました。

『古文尚書撰異』禹貢
 「冀州、既載壼口、治梁及岐、既修大原。」
 大唐石經已下作「太」、非古本也。漢人書碑、廟號如「太宗」、官名如「太尉」「太常」「太中」、地名如「太原」「太陽」之類、皆作「大」。「泰山」亦作「大」。經典凡「太子」「太學」、皆作「大」。此經如「大原」「大行」「大華」「大甲」「大戊」等、衛包皆依俗讀改為「太」。而開寶中、又刪『釋文』「大音泰」之云矣。惟僞武成「大王」、僞畢命「大師」、未改。

 これは『尚書』禹貢篇の「大原」(現行本は「太原」)についての一段。他、調べてみると以下の例もあります。こちらは咸有一德篇の書序の「大戊」について。

『古文尚書撰異』書序
 「伊陟相大戊、亳有祥桑穀共生于朝、伊陟贊于巫咸、作咸乂四篇。」
 玉裁按、經無「太」字、皆本作「大」、而音「太」。衛包乃改為「太」字。開寶中、又盡刪『釋文』之「大音太」、以泯其與衛包鉏鋙之迹、然書序「大甲」皆作「太甲」。而「伊陟相大戊」釋文曰「大音太」、獨幸而未刪。禹貢「大原」「大行」「大華」皆作「太」、而楊州「大湖音太湖」、獨幸而未刪。以其未刪者僅存、則可藉以證全經之字也。

 一つ目の例では少しはっきりしないところもありますが、二つ目の例でははっきり「經無太字、皆本作大、而音太」と言っています。つまり、段氏はそもそも、「現行の経書にある「太」の字は、もとは全て「大」だった」という考えのようです。(加えて、「泰」の方に通じる例もあると考えているかとは思いますが。)

 もっとも、これはあくまで『古文尚書撰異』執筆時の学説であって、『説文解字注』でも完全に継承しているのかはまた考えねばならないところ。加えて、これは『尚書』に限った話で、『易』には通用しないのではないか、という反対意見もありましょう。ただ、そうはいっても、『易』に関する段氏の専著は残っていませんから、このように周辺材料から補強を試みるという方法を取らざるを得ない、という裏事情はあります。

 では、『説文解字注』の方ではどうような説明になっているのか。「一」字のところには段氏の説明は何もないので、「太」字の欄を見てみましょう。『説文』の「泰」字に「夳、古文泰如此。」と出ていますが、以下はそこの段注。

説文解字注』十一篇上「夳、古文泰如此。」
 段注:按、當作夳、取滑之意也。从大聲。轉寫恐失其真矣。後世凡言「大」而以爲形容未盡、則作「太」。如「大宰」俗作「太宰」、「大子」俗作「太子」、「周大王」俗作「太王」、是也。謂「太」即『説文』「夳」字。「夳」即「泰」、則又用「泰」爲「太」。展轉貤繆、莫能諟正。

 あらゆる「太」に通用する議論なのかは分かりませんが、後世に「大」では「形容未盡」と考えた人によって「太」字が作られたのだ、という説が見えます。先に見た『古文尚書撰異』の例ほど強く断言はしていないかもしれませんが、一応同様の主旨とは言えそうです。
 ただ実際のところ、『説文解字注』一書の中では、例えば「大廟」「大子」「大原」といった語を「太」の方で表記している例も散見されます。(但し、この種の不一致は、これだけの大著であれば仕方ないものではないか、と『説文入門』では別の例について述べられています(p.173)。無論、誤刻の可能性もあります。また、「大原」の例では、『説文』の本文や経書関係の場合は「大」、現在の地名としては「太」が用いられているように思われるところもあります。十一篇上一「汾」の項を参照。この辺りはなにぶん膨大で調べ切れていないというのが正直なところです。)

 結局のところ、完全な結論を出す材料はまだ整っていないのですが、少なくとも「大と太とは字体の違いに過ぎないが、『易』の各版本から判断し単に古い方を採った」という『説文入門』の説明では、やや不足ではないか、言い換えれば、段氏の学問の特異な点を説明しきれていないのではないか、と思います。

 さて、合わせて少々補足を。『説文解字注』の前身に『説文解字讀』という著作があったことはよく知られています。阿辻哲治『漢字学 説文解字の世界』東海大学出版会、1985、新版2013)を参照。
 この『説文解字讀』と同時期に執筆されたのが、『古文尚書撰異』です。もともと『説文解字注』は段氏の学問の集大成ですから、これを読むに当たっては、『六書音均表』『詩経小学』『毛詩故訓伝定本小箋』『周礼漢読考』、そして『古文尚書撰異』といった段氏の著作を参照すべきことは周知の事柄で、これはもちろん『説文入門』でも注意されています。
 しかし、その中でも『説文解字讀』と同時期の執筆である『古文尚書撰異』は、とりわけ関係が深いのではないか。最近読んだ陳鴻森氏の論文「段玉裁《説文注》成書的另一側面 段氏學術的光與影」(中国藝術研究院『中国文化』二〇一五年第一期)に、『古文尚書撰異』と『説文解字讀』に共通する条が挙げられています。

 というわけで、背景事情、実際に共通する学説、そして本記事で取り上げたような見えにくい例、といった点から見てみると、『説文解字讀』を基礎として作られた『説文解字注』を読むに当たっては、『古文尚書撰異』は特に意識するべき著作ではないか…とかそんなことを考えたのでした。

(棋客)