達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

仁義とは結局なんだったのか?という初歩的すぎる問題-『孟子』を読む-(1)

 「仁義」という言葉は、誰でも聞いたことがあると思います。では、「仁義」という言葉の出典は、どこでしょうか。

 答えは、『孟子』です。『孟子』の冒頭にある、梁国の恵王と孟子の対話に「仁義」という言葉が出てきます。今は分かりませんが、少なくとも私が高校生の頃は、高校の漢文の教科書にも出てきた話です。漢文に馴染みのない方も、どこかで聞いたことがある話なのではないでしょうか。引用して、簡単に翻訳してみましょう。

〔原文〕
 孟子見梁惠王。
 王曰「叟不遠千里而來、亦將有以吾國乎。」
 孟子對曰「王何必曰、亦有仁義而已矣。

〔翻訳〕
 孟子は梁の恵王に謁見した。
 恵王は言った「先生は千里も遠くからいらっしゃいました、私の国にどんな利益を与えてくれるのでしょうか。」
 孟子は答えて言った「恵王様、どうして利益のことを口にするのですか、仁義だけが重要な問題なのです。

 時は戦国時代。各地の諸侯が領土拡張を謀って対立し、互いに謀略を掛け合い、戦争が続いた血生臭い時代です。そんな時代に活躍したのが、遊説家です。遊説家は、各地を回って、自身の思想や政策を諸侯に説きました。

 孟子もそんな遊説家の一人でした。恵王が開口一番に、我が国にどんな利益を、と言うのも当然です。ところが、孟子は、利ではなく仁義が重要なのだと説きます。では、仁義とは一体なんなのでしょうか。孟子の言葉は続きます。

〔原文〕
 王曰『何以利吾國』大夫曰『何以利吾家』士庶人曰『何以利吾身』上下交征利、而國危矣。
 萬乘之國、弑其君者、必千乘之家。千乘之國、弒其君者、必百乘之家。

〔翻訳〕
 王が『どうやって我が国に利益をもたらそうか』と言い、大夫が『どうやって吾が一族に利益をもたらそうか』と言い、士が「どうやって我が身に利益をもたらそうか」と言えば、身分が高い者と低い者が互いに利益を取りあい、国は危機に直面します。
 万の戦車を持つ国で、その国の君主を殺すのは、必ず千の戦車を持つ一族です。千の戦車を持つ国で、その国の君主を殺すのは必ず百の戦車を持つ一族です。

 君主が利益を追求すると、その影響が国全体に及んで、最終的には君主が下克上に遭うということでしょうか。孟子は、話を続けます。

〔原文〕
 萬取千焉、千取百焉、不為不多矣。苟為後義而先利、不奪不饜。未有仁而遺其親者也、未有義而後其君者也。王亦曰『仁義而已矣』。何必曰利。」

〔翻訳〕
 万が千を取り、千が百を取ることは、少ないとはいえません。しかし、義を後にして利益を優先すれば、奪わなければ満足できなくなります。仁であって親を棄てる者はいません、義であって君主を蔑ろにするものはいません。ですから、王は『仁義だけが問題だ』と言えば良いのです。どうして利益のことを口にする必要がありましょうか。」

 これで孟子の演説は終わりです。さて、ここまで読んで、「仁義」が何か、はっきり分かりましたか? 私にはさっぱり分かりませんでした。ここで説かれているのは、「利」を追求した政治を行った時の弊害です。つまり、「仁義は利ではない」という否定形で説明がなされています。じゃあ、具体的に仁義とは、どういう考えで何をすることなのかについては、説明がありません。この一節だけ読むと、なんとなく、利益の追求は良くないよ、というありがちな面倒くさいお説教かな、といった印象しか残りません。

 高校の授業でこの一節を読んで以来、ずっと引っかかっていました。仁義って結局なんなの?
 というのも、(中国学を専攻してるにも関わらず、恥ずかしながら)私は真面目に『孟子』を読んだことがなかったんです。『論語』とか『老子』とか『荘子』はそれなりに頑張って読んだんですけどね・・・
 実は、最近なんとなく『孟子注疏』を冒頭から読み始めて気づいたのですが、『孟子』がいう「仁義」は、これに続く話を少し読めば、すぐに分かります。どうして今まで、読んでいなかったのか、と恥ずかしい限りです。

 ところで、少なくとも私が高校生の頃は、高校の漢文の教科書には、先程翻訳した一節だけが載っていて、続く節は載っていませんでした。つまり、文章の冒頭部分だけを切り取って載せている状態です。この一節だけを読んでも、「仁義」とは何か、全く分からないどころか謎が深まってしまうのではないでしょうか。

 まずい、このままでは高校生の漢文嫌いが加速してしまう・・・そこで、教科書を補うべく、続く節を紹介していきます。高校生の方も、昔高校生だった方も、読んでいただけると嬉しいです。

 直後の文章は以下です。梁の恵王は、孟子を御苑に連れて行きます。

〔原文〕
 孟子見梁惠王。王立於沼上、顧鴻雁麋鹿。曰「賢者亦樂此乎」
 孟子對曰「賢者而後樂此。不賢者、雖有此不樂也。

 〔翻訳〕
 孟子は梁の恵王に謁見した。王は御苑の池の辺に立って、放し飼いにされている大雁や雁、大鹿、子鹿を見ながら言った「賢者もこういうものを楽しむのでしょうかね。」
 孟子は答えて言った「賢者であって始めて楽しむことができます。賢者でなければ、こうした御苑を持っていても楽しめません。」

 梁の恵王の言う賢者とは、暗に孟子を指しています。利よりも仁義だと謎の説教を食らって苛ついていたのでしょうか、或いは単なる自慢でしょうか、仁だの義だの言う賢者は、こういう壮大な御苑を楽しめるのでしょうかねえ、と恵王は言います。

 ところが、恵王の反撃に対して孟子は堂々と答えます。賢者こそ楽しめるのだと。孟子は続けます。

〔原文〕
 詩云『經始靈臺、經之營之、庶民攻之、不日成之、經始勿亟、庶民子來。王在靈囿、麀鹿攸伏、麀鹿濯濯、白鳥鶴鶴、王在靈沼、於牣魚躍。』
 文王以民力為臺為沼、而民歡樂之、謂其臺曰靈臺、謂其沼曰靈沼、樂其有麋鹿魚鼈。古之人與民偕樂、故能樂也。

 〔翻訳〕
 古の詩にこうあります『霊台を計り作る、計り作る、民衆がこれに携わり、程なくして完成した、計り作るのに急かしはしなかったが、民衆は子供のようにやってきてた。王が霊囿にいると、牝鹿は安心して子供を産む、牝鹿はつやつやと毛を耀かせ、白鳥は白く美しい、王が霊沼にいると、魚は踊り跳ねて喜ぶ。』
 文王は民衆の力によって物見台や池を作りましたが、民衆は喜んで、その物見台を素晴らしい台(霊台)と呼び、その池を素晴らしい池(霊沼)と呼び、大鹿や子鹿、魚や亀がいることを楽しみました。古の人は民衆とともに楽しみました、だからこそ楽しむことができたのです。

  孟子が引用した詩では、古の聖王である文王が、民衆の支持を得て御苑を作った様子が描写されています。文王が御苑を作ろうとすると、自然と大勢の民衆が集まってきて、すぐに完成させてしまいます、そして、御苑は美しい動物で溢れた、というのです。
 孟子が強調したいのは、民衆とともに、ということでしょう。民衆の支持があり、民衆が喜んでいたからこそ、文王は美しい御苑を手に入れたのだ、と孟子は言いたいのです。

 続けて孟子は、古の書物の一文を引用します。

〔原文〕
 湯誓曰『時日害喪、予及女皆亡』
 民欲與之皆亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉。」

〔翻訳〕
 古の書の一篇である湯誓にこうあります『この太陽(暴君であった桀)はいつ亡ぶのだろうか、もし亡ぼせるなら我が身が亡んでもかまわない』
 民衆は桀とともに亡ぶことを望みました、御苑に物見台や池、鳥獣がいても、どうして独りで楽しむことができるでしょうか。」

 湯誓は、『尚書』(『書経』ともいう)の一篇です。これは、殷王朝の創始者である湯王が、夏王朝最後の王となる桀を伐つ前にした演説の中の言葉です。この言葉は民衆の発言の引用です。
 孟子は、桀の例を持ち出しました。文王が成功例だとすると、桀は失敗例です。そして、ここでも、民衆の支持が重要な問題になっています。民衆は桀が亡ぶなら自分が亡んでもかまわないと思う程に、桀を憎んでいました。
 ここではっきりと、自分の御苑を自慢した恵王に対する批判しています。王よ、目の前のこの立派な御苑は、民衆の支持があって作られているのですか?文王のことを考えてみて下さい、桀のことを考えてみて下さいと。

 ここまで読むとなんとなく、「仁義」の輪郭のようなものが見えてきたのではないでしょうか。孟子と恵王の対話はまだ続きます。

 孟子の翻訳書については、こちらの記事を御覧下さい。

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