達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

考証学読書会(4)―『經義述聞』第一・周易上

 前回の続き。以下は全て王引之の書いたところです。

 引之謹案、用者、施行也。【原注:『説文』「用、可施行也。」】「勿用」者、無所施行也。文言曰「潛之為言也、隱而未見、行而未成、是以君子非用也。」正謂君子不施行也。孔穎達『正義』曰「聖人雖有龍德、於此唯宜潛藏、勿可施用。」、引張氏曰「以道未可行、故稱『勿用』以誡之。」、其說是也。

 少しおさらいしておくと、問題となっていたのは乾初九「潛龍、勿用。」の「勿用」という語でした。この語を繋辞上伝「大衍之數五十、其用四十有九。」と関連させて理解する解釈は、前回王氏父子によって否定されたところです。

 では、王引之はどう解釈するのか?というのが今回の話題です。
 まず引之は、『説文解字』を根拠に挙げ、「用」の字義は「施行」であることを述べます。つまり「勿用」は「無所施行」となりますが、これは乾卦全体を解説する文言伝に「是以君子非用也。」とあることに符合します。つまり、この爻が出た時は、「君子(占われた人)は、行動してはならない」ということを意味することになります。
 そして正しく解釈している例として、『周易正義』に引かれている張譏(南朝梁~陳の人*1)の説を引いています。

 さて、ここまで「勿用」という語の分析がなされてきましたが、実は乾卦と坎卦の他にも、「勿用」の語が用いられるところはあるのです。例えば「師」の上六で、引之はそこに話を繋げていきます。

 竊嘗由是而推之、師上六「大君有命、開國承家、小人勿用。」、言小人處上六之位、惟當自守、不宜有所施行、有所施行、則必至於亂邦也。【原注:據李鼎祥『周易集解』所引干寶注。】故象傳曰「小人勿用、必亂邦也。」。

 ここでは『周易集解』に残る干寶注を挙げながら、ここでも「用」が「施行」の意で用いられているのは無いか、と述べています。つまり「小人は行動を起こしてはならない」となるのでしょうか。(但し、干寳注の該当箇所には「非所能矣」とあるだけ*2なので、果たしてこの例が適切なのかどうかはよく分かりません。)

 もともと、「小人勿用」は、「小人を用いてはならない」と解釈されることが多いようです。確かに、「勿用」が単独で用いられる例と「小人勿用」のパターンを同一視して良いのか、という点には若干の疑問が残るところです。

 以下、同様に「勿用」が見える例が三例出てきます。ほとんど同じパターンの解説になっていますので、詳細は省略。

 既濟九三「高宗伐鬼方、三年克之、小人勿用。」、言小人處九三之位、不宜有所施行、有所施行、則必至於喪亂也。大有九三曰「公用亨于天子、小人弗克。」、文義與此正相近也。【原注:象傳「公用亨于天子、小人害也。」正義曰「小人禍劣、不能勝其位、必致禍害。」】

 頤六三「十年勿用、无攸利。」、言拂養正之義、則不能有所施行、至於十年之久而猶然也。

 坎六三「來之坎坎、險且枕、入于坎窞、勿用。」、言當重險之地、進退皆危、唯當靜以待之、不可有所施行、猶洪範言「用靜吉、用作凶」耳。

 ちなみに、「勿用」という語が見えるだけの卦なら、他にも「蒙」六三「勿用取女。見金夫、不有躬、无攸利。」や「泰」上六「城復于隍、勿用師。自邑告命、貞吝。」があります。この場合は、「勿用取女」「勿用師」と直後に目的語が来て「○○を用いるな」という文脈であることが明かで上の例にはそぐわないので、引用しなかったのでしょう。

 最後に、誤った解釈の例を幾つか挙げて、結びとしています。

 解者或謂「小人勿用」為「勿用小人」【原注:師『正義』】、「十年勿用」為「見棄」【原注:王注】、「入于坎窞勿用」為「不出行」【原注:『正義』】、皆與乾初九之「勿用」義例參差、蓋未嘗比物醜類以求之也。

 「比物醜類」は『礼記』に見える言葉*3で、類例から推測すること。乾初九の「勿用」という語を考える際に、『易』の他の部分に見える「勿用」の例から推測して考えなければならないのではないか、と言いたいのでしょう。

 さて、前回と今回とを通覧した時、「竊嘗由是而推之」以下の王引之の補足は、果たして補足として妥当なのか?という疑問が少し浮かびました。他に「勿用」の例があることぐらいみな分かっていたでしょうし、その中でも「乾」は特別、という意識が荀爽や恵棟の中にあったのでは?という気もします。だからこそ、王念孫が挙げた、「乾」と同じく八つの純卦である「坎」の例が反例として利いてくるのでしょう。

 別に王引之の言う事が誤りと言いたいわけではないのですが、「他にも「勿用」の例があるから取り敢えず調べてみた」という感じがしなくもないな、と考えてみたりしたのでした。折角丁寧に読むのですから、王氏父子の考え方の違いといったところを読み取れたら良いと考えていますが、上手くいくかどうかはまだ分かりません。*4

*1:『陳書』儒林傳
 張譏字直言,清河武城人也。・・・譏所撰周易義三十卷,尚書義十五卷,毛詩義二十卷,孝經義八卷,論語義二十卷,老子義十一卷,莊子內篇義十二卷,外篇義二十卷,雜篇義十卷,玄部通義十二卷,又撰遊玄桂林二十四卷,後主嘗勑人就其家寫入祕閣。

*2:李鼎祥『周易集解』師・上六
 干寳曰、「大君」、聖人也。「有命」、天命也。五常為玉位、至師之家而變其例者、上為郊也。故易位以見武王親征、與師人同處於野也。離上九曰「王用出征、有嘉折首。」上六為宗廟武王、以文王行故、正開國之辭於宗廟之爻。明已之受命、文王之德也。故『書』泰誓曰「予克紂、非予武、惟朕文考無罪。受克予、非朕文考有罪、惟予小子無良。」。「開國」、封諸侯也。「承家」、立都邑也。「小人勿用」、非所能矣。

*3:『禮記』學記
 古之學者、比物醜類。【鄭玄注】以此相況而為之。醜、猶比也。醜或為之計。

*4:『經義述聞』は王念孫の著作と言うべきものであるが、父が子のために作者を譲った、という研究があります。陳鴻森「阮元刊刻『古韻廿一部』相關故實辨正―兼論『經義術聞』作者疑案」(『中央研究院歷史語言研究所集刊』76-3、2005)を参照。考証学上の重大な問題点がいくつか踏まえられていて、勉強になります。