達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

宋人之改竄《經典釋文》

 久々に、専門的な内容で書いてみます。『尚書』の以下の一節について。

尚書』益稷(阮元本・巻五・四葉裏)
 予欲觀古人之象、日月星辰山龍華蟲、作會。宗彝藻火粉米黼黻、絺繡。

 句点の区切り方は諸説あるようです。本題にこの内容はあまり関わらないので、訳文は省略。

 この「粉米」の部分について、『経典釈文』はこう云います。

『経典釈文』(通志堂本・尚書音義上・七葉裏)
 「粉米」、『説文』作「黺𪓋(黹+米)」。徐本作「䋛」、音「米」。

(試訳)
 「粉米」、『説文解字』は「黺𪓋」に作る。徐氏の本は、「䋛」に作り、音は「米」とする。

 ちなみに、私の手持ちの阮元本に附された『釈文』では、「徐本」の「本」を「米」に誤っています。(阮元校勘記にこの条への言及があり、そちらは「本」に作っているので、単純な誤刻だと思います。)

 この条に関する問題点は、現行本の『説文解字』に、「𪓋」という字が見当たらないということです。『説文』の「璪」字に引く「虞書」は「璪火黺米」に作ります(但し、小徐本は「璪火粉米」に作り、段注はそちらに従っています。)*1。また、逆に「䋛」の方は収録されています。*2

 この『経典釈文』の条について、段玉裁はこう云います。

段玉裁『古文尚書撰異』巻二・十九葉表
 按、陸氏當云、粉、『説文』作黺、為句。米、徐本作䋛、為句。傳寫家將「米」字譌「𪓋」而亂其句。但不知何以不云「米、『説文』作䋛」而云「徐本」。
 『汗簡』黹部、『古文四聲韵』上聲、皆有「𪓋」字云見『尚書』、而皆無「䋛」字。亦恐因『釋文』而誤耳。
 「䋛」、蓋壁中本字、至徐仙民時、尚有作「䋛」者。『説文』玉部引「璪火黺米」*3、此「米」字、當是本作「䋛」、轉寫佚其糸旁。『周禮』司服注引作「粉米」、則以今文讀之、易為「粉米」、久矣。鄭云「粉米、白米也。」是依所易之字、為易憭。

 段玉裁の主張は、粉米、説文作黺𪓋。徐本作䋛。」ではなく、、説文作黺。、徐本作䋛。」とするべき、ということです。句点を改め、「𪓋」字は「米」字の伝写の誤りとします。ただこの場合、「䋛」字も『説文』に見えるのですから、何故『説文』と言わずにわざわざ「徐本」と言うのか、という疑問は残ると段氏は述べています。(ここまで第一段落。)

 第二段落は、『汗簡』や『古文四聲韵』といった書物に「𪓋」字が『尚書』に見えると言うが、「䋛」字には言及しないことについて、『釈文』によって「𪓋」字の『尚書』本があると誤ったものとします。

 そして第三段落で、「䋛」と「米」の異同の問題に言及します。段氏は、「䋛」は壁中書本来の字であって、徐仙民*4の時までは、その字が残っていたと説明します。合わせて、『説文』引く「虞書」の「璪火黺米」も、「䋛」に直すべきとします。ついでに『周禮』鄭玄注についても、色々と辻褄を合せて説明しています。

 

 段氏の主張には色々ポイントがありましたが、ここで問題にしたいのは、「この『釈文』の条をどう読むべきなのか?」ということです。

 先日ご教授頂いて、王利器「経典釈文考」*5を読んでいたところ、『釈文』の上の一条を取り上げたところに出くわしました*6。読書会では完全にスルーしていたところでしたので、大きな驚きでした。

 王氏は、許瀚「書釋文校誤」(『攀古小廬雜著』卷一)を引きます。

許瀚「書釋文校誤」
 『書』益稷『釋文』「粉米、『説文』作黺𪓋。徐本作䋛。音米。」
 瀚案、「徐本作䋛」乃宋世校者之辭誤入『釋文』。彼葢謂徐鼎臣本作「䋛」、無「𪓋」字也。『説文』「黺」在黹部、「䋛」在糸部、本無「𪓋」字。
 陸氏引『説文』、當本是「黺䋛」、寫「釋文」者、因「黺」从黹而「䋛」亦誤書作「𪓋」。是猶「鳳皇」作「鳳凰」、「鉅鹿」作「鉅鏕」耳。
 校『釋文』者、以陸氏在前、恐其所見『説文』本異、不敢輒改、舉當時徐氏新校定本『説文』、證其異同、後人遂誤入『釋文』正文中矣。『釋文』類此者尚多、讀者宜詳審焉。與他處引「徐云」「徐某某反」「徐音某」之為徐仙民者不同。『集韵』『韵會』皆以「𪓋」為「䋛」重文、葢卽取之誤寫之『釋文』。

 王氏は、「宋人之改竄《經典釋文》」という節においてこの論を引いています。つまり、『経典釈文』が如何に後代の改変を蒙っているか、ということを説明する一例として引き合いに出されているわけです。
 無論、王氏はこの一条の他にも様々な例を挙げて証明しています。特に、敦煌写本との比較という実証性の高い例があり、『釈文』が後世の編集により多々書き換えられていること自体は異論のないところだと思います。

 さて、許瀚の主張は、「徐本作䋛」の部分は、『釈文』の原文ではなく、後世に混入した部分である、という一点に尽きます。どういうことかというと、ここは『尚書』に対して附された『釈文』ではなく、『釈文』の引く『説文』に「黺𪓋」とあることに対して、徐鼎臣(徐鉉)の本(=大徐本)は「𪓋」を「䋛」に作ると後世にコメントした部分が竄入した、と見るわけです。徐鉉は南唐から北宋の人ですから、隋初の成立とされる『釈文』の原文に引用されるはずがありません。

 そして第二段落で、そもそも『釈文』の原文ももと「黺䋛」であったはずで、「黺」字の「黹」につられて「䋛」を誤って「𪓋」にしたのだ、と述べます。

 最後に、①『釈文』を校定した者は、当時通行の『説文』と字句が異なっていてもそのたびごとには改めず異同を記すだけにしておき、それが後世に区別されなくなったこと、②『釈文』に見える「徐」は通例徐仙民だがここでは異なること、を述べます。

 

 なるほど、なかなか面白い説明です。結局疑問として残るのは、宋本『説文』に引く「虞書」は「璪火黺(粉)米」とあり、『釈文』引く『尚書』の「粉米」と、「米」の部分に異同が見当たらないところでしょうか。但し、『説文』䋛字の方には「䋛、繡文如聚細米也。」とあり、これが上の『尚書』本文の部分を説明していることは確かでしょうから、ここから『説文』の拠る『尚書』は「黺䋛」であったとも考えられます。(すると、逆に「璪火粉米」の方が改められた後であるという見方が出てくるわけで、段氏が「『説文』玉部引璪火黺米、此米字、當是本作䋛」と言うのは、ここから来た考え方です。)

 または、単に「徐本作䋛」といい、「徐本作黺䋛」と言わないのは、校正者は「虞書、璪火黺(粉)米」の部分を見たのではなく、単に「䋛」の説解を見て『尚書』の該当部分であると判断し校勘を附したからだ、という説明もできるでしょうか。

 加えて、もう一つの疑問は、「徐本作○」という表現が、『釈文』でそこまで特異なわけではないという点です。普通に徐邈の本を引く時もこう表現するのでしょうから、これを特別扱いして大徐とする根拠が十分かどうか、吟味する必要がありましょう。

 

 整理表を作っておくと、こんな感じになります。

・現行本『尚書』:粉米
・大徐本『説文解字』引「虞書」:黺米
・小徐本『説文解字』引「虞書」:粉米
・『經典釋文』引『説文』:黺𪓋(但し、「𪓋」は現行本『説文』に収録がなく、「」字に『尚書』該当箇所を元にしたと思しき説解がある。)
・『周禮』鄭玄注引『書』:粉米
・他、『左伝』杜預注にも「謂山龍華蟲藻火粉米黼黻也」(昭公二十五年「以奉五味為九文」)という表現が見えています。

 

 …結果、どう考えるべきなのか、すぐには判断できません。段氏、許氏ともに文献にかなり操作を加える読解なので、容易に取りがたいというところもありますね。尤も、両者の見解は、「徐本」については異なっていますが、全体としては似たようなところではあります。みなさんはいかがお考えでしょうか? コメントお待ちしております。

 王利器「経典釈文考」、その該博な引用に圧倒されました。また他の例も紹介してみようと思います。

(棋客)

*1:説文解字』王部・璪「璪、玉飾、如水藻之文。从王。喿聲。虞書曰、璪火黺米。」、最近入手した国家図書館出版社『宋本説文解字』も同じ。

*2:説文解字注』十三篇上・十三葉・糸部・䋛
 䋛、繡文如聚細米也。〔繡謂畫也。米䋛曡韵。今咎陶謨作粉米。許所見壁中古文作黺䋛。黹部云。黺、畫粉也。此云䋛、繡文如聚細米也。皆古文尚書説也。此不言虞書者、經文巳見於七篇矣。畫粉爲衞宏説。此葢亦衞説與。〕从糸米。米亦聲。〔莫禮切。十五部。〕

*3:先に述べたように、段注では小徐本に從って「粉米」に改めるが、『撰異』の時点では未訂正。また、「米」を「䋛」にすべき、といった主張は段注には引かれていない。

*4:徐邈、東晋の人で、『尚書音』を作ったことが『釈文』叙録から分かります。参考→徐仙民 | 学退筆談

*5:『曉傳書齋文史論集』1989、香港中文大学出版社、p.9-74

*6:p.54