達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

とある最近の本について

 最近発売された山口謠司『唐代通行『尚書』の研究』勉誠出版、2019)が大学の図書館に入っていました。

 個人的に興味のあった、第二章・第五節の「『群書治要』所引『尚書』攷」のうち、舜典について調査した部分から、「p.122、p.123の六つの条だけ」をチェックしたものを以下に載せます。ここは資料集になっている部分で(というより本書のほとんどが資料集なのですが)、『群書治要』所引の『尚書』と、現行本『尚書』の字句の異同がある箇所を比較して並べている部分です。

 念のため言っておきますが、自分の興味からこの部分を最初に読んだので細かくチェックしたというだけで、特にミスが多いところを取り立てて選んだわけではありません。

 ここは、見出し字が「」の中に二つ並べられ、場合によっては山口氏がコメントを附す、という形式になっています。最初の見出し字は「汲古書院影印の金沢文庫旧蔵鎌倉写本」の『群書治要』に引かれる『尚書』かと思われます(底本が何なのかはっきり書かれていないのですが)。次に書かれているのが「北京大学本」(十三経注疏整理本)です。

 なお、写本の書体は入力できない字(■で代用)が多くブログに載せにくいので、ここでは触れないことにしました。よって字句に関してコメントしているところは、全て「北京大学本」の条に関するものであることをご承知おきください。


 まず、最初の条。

 「■舜■■堯聞之聡明(側側陋微微賎)將使嗣位歴試諸難(歴試之以難事)」
 「虞舜側微(爲庶人故微賎)堯聞之聡明(側側陋微微賎)將使嗣位歴試諸難(嗣継繼也試以治民之難事)」(北京大学本、五九頁)

 舜典のこの部分は、偽孔伝である。今文『尚書』にはこの文章はなく堯典からすぐに「慎徽五典五典克從」に続く。はたして、今、「側側陋微微賎」は孔伝には見当たらない。『經典釋文』(敦煌本「舜典」)は「王氏注」として、この本文の「之(■)」「使(■)」「嗣(■)」「諸(■)」「作舜典」と挙ぐ。あるいは、『群書治要』所引の「舜典」は、『經典釋文』と同じ王肅注本を使っていたものかと思われる。『一切經音義』に「王注微賎也」とあり。

 北京大学本の条、「嗣継繼也」→「嗣繼也」、「賎」→「賤」、「堯聞之聡明(側側陋微微賎)」→「堯聞之聦明」(伝は削除すべき)、「歴」→「歷」。

 どれもただの異体字タイプミスですが、本書は各本における『尚書』の字句の揺れを考察するものであり、本書の他の部分では、普通は異体字として処置し気に留めない異同でも、非常に細かく掲出してあります。であれば、この辺りにも特に気を遣うべきです。本来は、これがこの本の強みになりうる唯一の点なのですが…。*1

 まあ、以上のような誤りなら、「細かいミス」ということで話は済むかもしれません(細かな字の異同をテーマにした研究書ですから、実際は致命的なミスなのですが)。問題は、次の山口氏の解説部分です。

 ①まず、「舜典のこの部分は、偽孔伝である。」という表現そのものに違和感があります。ここは経文であって孔伝ではないのですから。

 ②山口氏が言う「今文『尚書』にはない「舜典」の冒頭部分」とは、上の条の直後の「曰若稽古帝舜、曰重華協于帝、濬哲文明溫恭允塞、玄德升聞乃命以位。」の二十八字のことです。ここで挙げられる「虞舜側微、堯聞之聡明、將使嗣位歴試諸難、作舜典。」は、当然ですが、「書序」の文章です。『尚書』の書序と経文の区別がついていないとは、『尚書』の研究者としてはいかがなものでしょうか。
 また、そもそも、この二十八字部分は、齊の姚方興本によるものですから、「今文『尚書』にはこの文章はなく」という表現にも違和感を覚えます。古文『尚書』にももともとこの文章はなかったわけですから。(本書の他の部分を見てみても、著者は姚方興本のことをご存じないようです。)

 ③「「側側陋微微賎」は孔伝には見当たらない。」は事実としては正しいのですが、上の校勘のリストではあることになってしまっています。

 

 補足:先に述べたように、舜典の冒頭二十八字は齊の姚方興によったものであり、王粛よりも後代のものですから、仮に上に述べた問題点を取っ払って読んだとしても、そもそも議論になりません。ただ、上の部分は正しくは「書序」ですから、ここに王粛注が附される可能性自体はあります。

 さて、「『群書治要』所引の「舜典」は、『經典釋文』と同じ王肅注本を使っていたのかもしれない」という指摘は興味深いところです。最近、個人的に姚方興本受容の状況を少し調べているのですが、『群書治要』の例も調べてみようか、と思いました。(※2020.10.18追記:この点については、1940年代の研究である石濱純太郎『支那學論攷』に既に詳しく論じられています。このぐらいはチェックしてほしいものです。)

 


 その一つ次の条。

 「慎徽五典五典克從(五典五常之教也謂父義母慈兄■弟恭子孝舜舉八元使布五教于四方五教能從无違命也)」
 「慎徽五典五典克從(徽美也五典五常之教也謂父義母慈兄友弟恭子孝舜慎美篤行斯道舉八元使布之於四方五教能從無違命)」(北京大学本、六一頁)

 北京大学本、「五典五常之教也謂父義母慈・・・」→「五典五常之教父義母慈・・・」


 その一つ次の条。

 「納于百揆百揆時敘(揆度舜舉八凱以度百事百事時敘也)」
 「注揆度也度百事揔百官納舜於此官舜舉八凱使揆度百事百事時敘無廢事業」(北京大学本、六一頁)

 急に「注揆度也・・・」と出てきて、北京大学本の項目の立て方がおかしくなっています(びっくりされると思いますが、本当にこうなっています)。すぐに気が付きそうなものですが…。前後の体例に合わせるなら、「納于百揆百揆時敘(揆度也度百事揔百官納舜於此官舜舉八凱使揆度百事百事時敘無廢事業)」とするべきでしょうか。


 その一つ次の条。

 「賔于四門四門穆穆(賓迎也四門宮四門也舜流四凶族。諸侯群臣來朝者舜賓迎之皆有美徳无凶人也)」
 「賔于四門四門穆穆(舜流四凶族四方諸侯來朝者舜賓迎之皆有美徳无凶人)」(北京大学本、六一頁)

 北京大学本、「賔」→「賓」、「徳」→「德」、「无」→「無」

 ここの偽孔傳、北京大学本は「穆穆美也四門四方之門舜流四凶族四方諸侯來朝者舜賓迎之皆有美德無凶人」で、前半が抜けています。

 ここだけ「。」があるのも、体例に合っていません。


その一つ次の条。

 「納于納于大■烈風雷雨弗迷(納舜於尊顕之官使大錄万機之政於是陰陽清和烈風雷雨各以期應不有迷錯■伏明舜之行合於天心也)」(欄下に「■」を「籀文愆字」と)
 「納于納于大麓烈風雷雨弗迷(麓錄也納舜使大錄萬機之政陰陽和風雨時各以其節不有迷錯愆伏明舜之𤤯合於天)」(北京大学本、六一頁)

 『北堂書鈔』(巻五十九)に王肅注として、「堯納舜於尊顕之官使天下大錄万機之政」とあり。

 北京大学本「納于納于大麓」→「納于大麓」、「𤤯」→「德」(びっくりする誤字ですが、本当にこうなっています)

 王粛注の佚文を『北堂書鈔』からのみ挙げていますが、他、『釋文』に「麓、錄也。」、『尚書正義』に「堯得舜任之事無不統、自慎徽五典以下是也。」があります。(この佚文は『藝文類聚』『太平御覽』にも見えます。)


 その一つ次の条。

 「正月上日受終于文祖(略)」
 「正月上日受終于文祖(上日朔日也終謂堯終帝位之事文祖者堯文𤤯之祖廟)」(北京大学本、六四頁)

 同じく、「𤤯」→「德」。

 なお、『釋文』に「王云、文祖、廟名。」とあります。また、『尚書正義』に「先儒王肅等以為惟殷周改正、易民視聽、自夏已上、皆以建寅為正、此篇二文不同、史異辭耳。」とあるのも参考に載せておいても良いかもしれません。

 

 その一つ次の条。

 「五載一巡守羣后四朝■奏以言明試以功車服以庸(略)」
 「五載一巡守羣后四朝(略)敷奏以言明試以功車服以庸(敷陳奏進也諸侯四朝各使陳進治禮之言)」(北京大学本、七二頁)

 北京大学本「敷陳奏進也諸侯四朝各使陳進治禮之言」→「敷陳奏進也諸侯四朝各使陳進治禮之言明試其言以要其功功成則賜車服以表顯其能用」

 なお、「治禮之言」を、北京大学本は阮元校勘記に従って「治理之言」に改めています。が、上ではそのままになっています。

 また、コメントに「『經典釋文』(北京大学本)は、「四朝、馬、王、皆云・・・」」とありますが、北京大学本の『經典釋文』とは、上までで使ってきた北京大学本の附釋音のことでしょうかね。附釋音には改変が多いですから、これもちょっとどうかと思います。

 

 本書は、以上のような異同のリストの部分が全体の八割近くを占めているのですが、果たして他のリストは使い物になるのでしょうか。はなはだ疑問です。

 他にも書きたいことは色々あります。①考証学者の文章の長大な引用に全く句点が入っていない上に、校勘した形跡がほとんど見受けられないこと(データベースそのままではないかと思います)。②○○の問題を解決するために異同を調査する、という形で異同の整理が始まるのに、その後ろに結局何ら結論が示されないこと。③本研究によって博士号を取得されていること(そして教…に…)。④「はじめに」と「おわりに」、などなど。しかし、もうここまでにしておきます。

 

 この本は大学の図書館に相当入っているようですので(現時点で22館)、注意喚起のために記事にしておきました。正直、使い物にならないです。『尚書』について知りたい方は、野間文史『五経入門』平岡武夫『経書の成立』といった概説書や、翻訳書(加藤常賢訳などがあります)をお勧めします。

(棋客)

 

*1:なぜ「北京大学本」と比べるのか、というのはよく分かりませんが、本書全体を通してそうなっています。本書には、「こうした部分を参照しても、越刊八行本は北京大学本とほぼ一致し、従って経注疏合刻の祖である越刊八行本は、比較的本文に誤刻の少ない本であったということが出来るであろう。」(p.80)といった表現もあるほどで、なぜか「北京大学本」に特別の価値を見出されているのかもしれません。北京大学本は最近作られた標点本で、便利なものではありますが、誤字が多いことも知られており、普通はわざわざ比較対象に選ぶ本ではありません。ただ、本書を読んでいると、もはやこの点に突っ込みを入れる気さえ失せ、それならそれでせめて正確にやってくれ、という気持ちになってきます。