達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「禜祭」について(1)

 以前棚上げにしておいた、「禜祭」について整理してみました。こういうことを調べる時にはどのようにするのか、参考までにご覧ください(あくまで現時点での私の方法ですが)。全四回の記事で、『説文解字注』『周禮正義』『求古録禮説』などを扱いました。

 まず、『説文解字』の段玉裁注で、字義の確認をしておきましょう。(「経学」の調べごとでは、まず段注を手掛かりにするのはなかなか有効です。)

説文解字』一篇 示部・禜

 禜、設緜蕝爲營、以禳風雨、雪霜、水旱、癘疫於日月星辰山川也。从示。从營省聲。一曰禜、衞使災不生。

〔段注〕『史記』『漢書』叔孫通傳皆云「爲緜蕞野外習之。」韋昭云「引繩爲緜、立表爲蕞、蕞卽蕝也。」詳艸部。凡環帀爲營。禜營曡韵。『左氏傳』「子産曰、山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。日月星辰之神、則雪霜風雨之不時、於是乎禜之。」許與鄭司農『周禮』注引皆先日月星辰。與今本不同也。

 よく分からなくても、一つ一つ典拠に当たることが大切です。段注に従って、『史記』『漢書』の叔孫通傳を見ておきます。(『左傳』の例は前の記事で取り上げたところですね。)

史記』叔孫通傳

 遂與所徵三十人西、及上左右為學者與其弟子百餘人為緜蕞野外。

〔集解〕徐廣曰「表位標準。音子外反。」駰案、如淳曰「置設緜索、為習肄處。蕞謂以茅翦樹地為纂位。春秋傳曰『置茅蕝』也」。

〔索隱〕徐音子外反。如淳云「翦茅樹地、為纂位尊卑之次」。蘇林音纂。韋昭云「引繩為緜、立表為蕞。音茲會反」。按、賈逵云「束茅以表位為蕝」。又『纂文』云「蕝、今之『纂』字。包愷音即悅反。又音纂」。

  次に、漢書

漢書』叔孫通傳

 遂與所徵三十人西、及上左右為學者與其弟子百餘人為緜蕞野外。

〔師古注〕應劭曰「立竹及茅索營之、習禮儀其中也。」如淳曰「謂以茅翦樹地為纂位尊卑之次也。春秋傳曰『置茅蕝』。」師古曰「蕞與蕝同、並音子悅反。如説是。」

 歴代の注釈家たちが色々と注を付けているということは、それなりに難読の箇所なのでしょうね。現代人が分からないのも当たり前です。

 賈逵、韋昭、徐廣、顔師古の解釈は恐らく共通していて、「叔孫通は、朝廷の儀式を制定した際、野外に縄を引いたり茅の束で表を立てたりして、各人の尊卑の位に従って位置を示した」ということか。應劭説は「竹や茅で取り囲んで、その中で弟子に礼儀を習わせた」ということ。如淳説は文献によって内容が微妙に違っているのでややこしいですね。下に示しておきました。

〔集解引〕置設緜索、為習肄處。蕞謂以茅翦樹地為纂位。春秋傳曰「置茅蕝」也。

〔師古注引〕謂以茅翦樹地為纂位尊卑之次也。春秋傳曰「置茅蕝」。

〔索隱引〕翦茅樹地、為纂位尊卑之次。

 『集解』が一番古く、如淳説の内容も充実していますが、「為纂位尊卑之次」の部分が異なっています。仮に合わせて読めば、「縄を設置して儀礼を習う場所を作り、茅束を地面に立てて尊卑の順次を示す」といった具合になり、先の二つの解釈を合わせたような感じになります。「纂位」は「位を継ぐ」の意と辞書にはありますが、ここではどういう意味なのでしょう。

 尚、辞書を調べてみると、「緜蕝」「緜蕞」「綿蕝」という熟語はここから派生し「儀式の典章を作る」「礼制を整備する」といった意味で後世使われるようです。

 

 一応、如淳注に出てきている「置茅蕝」の例も掲げておきます。

『國語』晉語八

 昔成王盟諸侯于岐陽、楚為荊蠻、置茅蕝、設望表、與鮮卑守燎、故不與盟。

〔韋昭注〕置、立也。蕝、謂束茅而立之、所以縮酒。望表、謂望祭山川、立木以為表、表其位也。鮮卑、東夷國。燎、庭燎也。

 また韋昭注が出てきてややこしいですが、一旦この辺りで切り上げておきます。

 

 『説文』の場合はあくまで「禜」という祭祀の説明です。ここで挙げられている叔孫通傳や『國語』は、儀礼整備や外交儀式の話なので文脈は異なっています。ただ、「設緜蕝爲營」の解釈は共通している、というのが段注の意図でしょう。

 段注によった『説文』の原文の試訳を掲げておきます。

 禜、設緜蕝爲營、以禳風雨、雪霜、水旱、癘疫於日月星辰山川也。

 「禜」とは、縄を引き茅束を立てて囲いを作り、風雨、雪霜、水害・旱害、疫病から免れるよう、日月、星辰、山川に祈祷することである。

 「縄を引き茅束を立てて囲いを作る」とは結局、祭祀の場所を作り、位の順次を示す印を立てる、ということになります。

 さて、ここから「禜」という祭祀の具体的な方法、意義、種類、時期、『春秋』に該当記事はあるか……といったことを細々と考え出すのが「経学」というものです。ここでは一旦「本当にそのような祭祀が存在したのかどうか」という歴史的事実の探求は棚に上げておいて、経学者たちの間で観念的にはどう理解されてきたのか(とはいえ、彼らにとってはそれが現実そのものであったのだと思いますが)、という方向から考えていきましょう。

 次回に続きます。

(棋客)