達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「禜祭」について(2)

 「禜祭」について。前回の続きです。

 段注の最後に「『周禮』注引・・・」とありました。ということは、『周禮』に関連する記載があるということです。実際、調べてみると、禜祭の記載は『周禮』の中に数ヶ所あります。

 「経学とは礼学である」というのはよく言われることですが、礼に関する事柄は、まず鄭玄注を確認することになります。これは鄭玄注が歴史的に正しいということではなく、経学の学説の展開が鄭玄説を中心に動いてきたため、その所説を確認することが経学を学ぶ上では通らざるを得ない道である、ということです。

 そしてこれもよく指摘されることですが、鄭玄の礼学体系は基本的には『周礼』を中心に構成されています。実際、鄭玄説を確認する作業を続けていると結局『周礼』に行き着くというのはよくあることです。

 

 では、『左傳疏』でも取り上げられていた『周禮』大祝の項を見てみましょう。「大祝」は神祇を掌る官です。

『周禮』春官・大祝

〔經〕掌六祈、以同鬼神示、一曰類、二曰造、三曰禬、四曰禜、五曰攻、六曰説。

〔鄭注〕祈、嘄也、謂為有災變、號呼告神以求福。天神、人鬼、地祇不和、則六癘作見、故以祈禮同之。故書造作竈、杜子春讀竈為造次之造、書亦或為造、造祭於祖也。

 鄭司農云「類、造、禬、禜、攻、説皆祭名也。類祭于上帝、詩曰『是類是禡』、『爾雅』曰『是類是禡、師祭也。』又曰『乃立冢土、戎醜攸行。』『爾雅』曰『起大事、動大眾、必先有事乎社而後出、謂之宜。』故曰『大師宜于社、造于祖、設軍社、類上帝。』司馬法曰「將用師、乃告于皇天上帝、日月星辰、以禱于后土、四海神祇、山川冢社、乃造于先王、然後冢宰徵師于諸侯曰、某國為不道、征之、以某年某月某日、師至某國。」禜、日月星辰山川之祭也。春秋傳曰『日月星辰之神、則雪霜風雨之不時、於是乎禜之。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。』

 玄謂類造、加誠肅、求如志。禬禜、告之以時有災變也。攻説、則以辭責之。禜、如日食以朱絲縈社。攻、如其鳴鼓然。董仲舒救日食、祝曰「炤炤大明、瀸滅無光、奈何以陰侵陽、以卑侵尊。」是之謂説也。禬、未聞焉。造類禬禜皆有牲、攻説用幣而已。

 ここには六種の祈祷(類、造、禬、禜、攻、説)が掲げられています。鄭玄によれば、いずれも何か災害や変異があった場合に、福を求めて神に向けて行うもの、とされています。このうちの一つが話題の「禜」です。

 鄭衆によれば、「禜」は「日月星辰山川之祭」であり、先日読んだ『左傳』昭公元年の記事を引いています。つまり、雪霜風雨の不順や、水旱癘疫の災害が発生したときに、それが収まることを祈祷するわけですね。これは『説文』の説と同じ。

 それに対して鄭玄は、「禜」は「如日食以朱絲縈社」(先日引いた『公羊傳』莊公二十五年の記事。日食の際に朱色の絹糸で社を囲むこと。)と述べています。

 

 これがどういう風に噛み合うのか、よく分かりません。『周礼』の経注でよく分からないことがある場合は、まずは賈公彦『周禮疏』や孫詒讓『周禮正義』の意見を聞いてみましょう。ここでは、『周禮正義』を見てみます。(大体、『周禮正義』を見れば賈公彦説も整理して示してくれています。)

孫詒讓『周禮正義』卷四十九・春官・大祝

 云「禜如日食以朱絲縈社」者、賈疏云「案、莊公二十五年六月辛未朔、日有食之、鼓用牲于社。『公羊傳』云「日食則曷為鼓用牲于社。求乎陰之道也。以朱絲縈社、或曰脅之、或曰為闇、恐人犯之、故縈之。」何休云「朱絲縈之、助陽抑陰也。或曰為闇者、社者、土地之主尊也、為日光盡、天闇冥、恐人犯歷之、故縈之。然此説非也。記或傳者、示不欲絶異説爾。先言鼓後言用牲者、明先以尊命責之、後以臣子禮接之、所以為順也。」鄭引『公羊傳』者、欲見「禜」是「縈」之義。」

 、①鄭言此者、亦補先鄭義、謂日月星辰山川之外、又有社稷之禜也。今本『公羊』經注「縈」並作「營」、鄭賈引作「縈」、與『公羊釋文』所載一本同。②『春秋繁露』止雨篇亦云「以朱絲縈社十周。」疑西漢公羊師讀如是。③但鄭此注釋「禜」為「縈」、鬯人「禜門用瓢齎」注云「禜謂營酇所祭」、又釋為「營」者、「禜」「縈」「營」聲義並通、鄭各舉一端為釋、義得兼含也。④又禜有二、有有常時者、黨正「春秋祭禜」是也。有無常時者、遇災而禜日月星辰山川社稷國門、及翦氏之攻禜是也。此禜亦通晐之矣。

 孫氏の論点は色々ありますが、簡単に整理しておきます。

 ①ここで鄭玄が『公羊傳』を引くのは、鄭衆(先鄭)が『左傳』を引いて「日月星辰山川を祭る“禜”」があると述べたので、それに補足し、他に「社稷を祭る“禜”」があることを示すため。(『公羊傳』には「鼓用牲于」「以朱絲縈」とある。)

 ②『春秋繁露』に「以朱絲縈社十周」とあるから、この説は公羊家で受け継がれてきたものではないか、とする。

 ③鄭玄はここで「禜」を「縈」と解釈するが、『周禮』鬯人では「營」と解釈する。「禜」「縈」「營」は音が通じていて、鄭玄はそのうちの一端を挙げて解説したまでであり、それぞれで矛盾する解釈をしているわけではない。

 ④「禜」には二種類有る。★定期的に行われるもの:『周禮』黨正の「春秋祭禜」のこと、★不定期に行われるもの:災害の際に日月・星辰・山川・社稷・國門を祭るもので、『周禮』翦氏の「攻禜」のこと。

 

 とすると、①から、かつての疑問が一つ解けます。問題となった『左傳』の疏を再度掲げておきましょう。

『左傳』昭公元年

〔傳〕由是觀之、則臺駘汾神也。抑此二者、不及君身。山川之神、則水旱癘疫之災、於是乎禜之。

〔杜注〕有水旱之災、則禜祭山川之神若臺駘者。周禮四曰禜祭。為營攅用幣、以祈福祥。

〔疏〕周禮大祝「掌六祈以同鬼・神・示。一曰類、二曰造、三曰檜、四曰禜、五曰攻、六曰説」、鄭衆云「禜日月星辰山川之祭也」、鄭玄云「禜告之以時有災變也。禜如日食以朱絲禜社也」。玄之此言、取公羊為説。莊二十五年『公羊傳』曰「日食以朱絲禜社。或曰脅之、或曰為闇、恐人犯之、故營之」。然社有形質、故可朱絲營繞、日月山川、非可營之物、不得以此解禜也。

 左傳疏では、鄭玄説は「不得以此解禜也。」と言われて否定されています。しかし、ここの鄭玄注は「社稷の禜」の説明をしているところであって、「日月星辰山川の禜」の説明ではありません。この疏の引用の仕方では、鄭衆説と鄭玄説が並列しているようになっていますが、実際には、鄭玄は鄭衆説を認めていて、そこに別の場合を付け加えただけ、ということでした。(孫氏によれば)

 鄭玄が『左傳』昭公元年の「禜」(日月星辰山川の禜)を別で認識していたことは、下に引く『周禮』鬯人の鄭注から明らかです。ここの『左傳疏』は、『周禮』大祝の鄭注でなく、『周禮』鬯人の鄭注を引いておけば余計な議論をしなくて済んだように思いますが、いかがでしょう。

 

 さて、上の『周禮』大祝の項だけでは、具体的なことがまだよく分かりません。そこで、孫氏が関連する記述として引いている『周禮』鬯人や『周禮』黨正を調べることになります。

 ここから、次回に続きます。

(棋客)