達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「禜祭」について(4)

 禜祭について、第四回です。第三回はこちら。

 孫詒讓『周禮正義』黨正に引かれる金鶚の説は、もと金鶚『求古録禮説』卷六の「禜祭考」に載せられているものです。

 これは、その名の通り「禜祭」の専論です。「最初にこれを読みなさい」と言われそうですが、私は『周禮正義』の該当箇所を読み、DBで検索してようやく気が付きました。勘を働かせて礼学の書を斜めに見て探し、こういった論考を最初にピンポイントで見つけることができるようになる日が、果たしてやってくるのでしょうか?(尤も、これを見れば万事解決、というわけでもありませんが。)

 金鶚は、「禜祭」について論点を分けて整理しています。順番に、簡単な要約を付けておきます。

金鶚『求古録禮説』巻六・禜祭考(皇清經解續編・巻六百六十三)

 『説文』云「禜、設綿蕝為營、以禳風雨雪霜水旱癘疫于日月星辰山川也。」案、左昭元年傳曰「山川之神、則水旱癘疫之災、于是乎禜之。日月星辰之神、則雪霜風雨之不時、于是乎禜之。」許君蓋據此文。

 ①然『周官』「大祝掌六祈、以同鬼神示、三曰禬、四曰禜。」禜與禬別。女祝職云「掌以時招梗禬禳之事、以除疾殃。」鄭注云「除災害曰禬、禬猶刮去也。」(禬刮聲相近、故以刮訓之。)『説文』云「禬、會福祭也。」(从示。會聲。諧聲兼會意也。)謂除去疾殃所以會福也。癘疫即疾殃、是禬之祭主於癘疫、可知禜之祭主于水旱。故祭法云「雩宗祭水旱。」鄭謂「宗、當為禜也。」雪霜風雨之不時、為水旱所由致、義與水旱相因也。

 ②第禬禜二祭相似。鄭注大祝云「禬禜、告之以時有災變也。」是禬禜一類、故禳癘疫亦通謂之禜也。

①「禜祭」と「禬祭」の区別について。
 「禜祭」は主に水害・旱害に対して行われるのもの、「禬祭」は主に疫病の流行に対して行われるもの(『周礼』女祝・鄭注、『説文』)。

②但し、「禜祭」と「禬祭」は共通する点もあり(『周礼』大祝・鄭注)、疫病に対する祈祷が「禜」に通じることもある。

 ③禜之祭、雖有日月星辰與山川二者、而山川較多。楚語曰「諸侯祀天地三辰及其土之山川。」韋昭注云「此謂二王後也。非二王後、祭分野星山川而已。」然則禜于日月星辰者、惟天子有之、非天子、則禜於山川。黨正職云「春秋祭禜。」是禜之祭、達於大夫、可知禜於山川者多也。

 ④禜祭亦及社稷。大祝職曰「國有大故天烖、彌祀社稷禱祠。」鄭注「天烖、疫癘水旱也。」是禜及社稷矣。『左傳』第言山川而不及社稷、以臺駘為汾神故也。漢儒泥左氏之文、遂不及社稷、實為闕略。

 ③「禜祭」には「日月星辰」に祈祷するものと「山川」に祈祷するものの二者があるが、「山川」の方が多い。日月星辰に禜するのは天子のみが行うもの(『国語』楚語・韋昭注)。また、『周礼』黨正「春秋祭禜」は、禜祭が大夫まで及んでいたことを示しており、山川の禜祭が多いことが分かる。

 ④「禜祭」には、社稷(土地・穀物の神)に祈祷するものもある。『周礼』大祝「國有大故天烖、彌祀社稷禱祠。」(鄭注によれば、「天烖」は「疫癘、水旱」のこと)の例は、これを示している。『左伝』が社稷の禜の話をしないのは、「臺駘」を汾神としているから。漢儒は『左伝』しか見なかったため、社稷の禜についての議論が欠けている。

⑤且禜之時亦有二。
 無定時者、遇災而行、所以禳水旱、則山川社稷並祭。
 有定時者、于春秋二仲行之、春祈雨暘之時、若秋則報之、與祭社稷之義略同。(社祭土神、稷祭穀神、所以祈百穀之豊稔。禜祭山川、天子幷祭日月星辰、所以祈雨暘時、若亦即所以祈百穀之豐。故曰其義略同也。)其祭則主山川而不及社稷、以社稷已自有春秋之祭也。

 ⑥州長言「春秋祭社」、黨正言「春秋祭禜」、社有定時、則禜亦有定時可知。(社稷實尊于山川、故州長祭社、黨正則祭禜。)如雩固因旱而祭、亦有不因旱而祭、其祭有定時者、月令仲夏大雩帝是也。(⑦禜在仲春、故雩在仲夏。天子禜祭星辰以及山川、大雩則祭天而日月星辰社稷山川百神皆祀。禜小而雩大也。以盛陽之時待雨尤急、故特大其祭也。諸侯禜不得祭星辰、雩亦不得祭天。蓋禜于山川、而雩則社稷山川並舉、亦禜小而雩大也。)

⑤「禜祭」を行う時期には、二種類ある。
 一つは、不定期のもので、災害の起った時に、山川・社稷に祈祷するものである。
 一つは、定期(仲春と仲秋)に行われる。春には雨の順なることを祈り、秋には順であったことを報いる。社稷の祭と意義は殆ど同じで、この場合の禜祭は山川のみを対象とする。

⑥定期に行われる「禜祭」について。
 社稷の祭に定期の祭があるのと同様に、禜祭にもある。これは、雩祭(雨乞いの祭)には旱害に際して(不定期に)行われるものがある一方、旱害によらず定期に行われるものがある(『礼記』月令、仲夏の「大雩帝」)のと同じである。

⑦「禜祭」と「雩祭」について。
 禜は仲春、雩は仲夏に行われる。天子の禜では、星辰・山川を祀る。「大雩」の祭では天を祀るから、日月・星辰・社稷・山川・百神を全て祀る。よって、「雩祭」は「禜祭」より重大なものである。

 ⑧又祭法曰「幽宗祭星也。」鄭注云「宗當為禜」此但言星而不及日月。蓋天子春秋幽禜、祭星辰司中司命飌師雨師、是為六宗。(六宗以鄭君説為確、此本鄭説也。)故其字亦作「宗」。總之皆星也。(星為五緯、辰為二十八宿、司中司命、皆文昌星。飌師、箕星。雨師、畢星。要之皆星也。)不及日月者、以日月已自有春秋之祭也。此有定時者也。

 ⑨祭法又曰「雩禜、祭水旱也。」天子雩禜、日月星辰以及社稷山川、無不畢祭、有似于雩、故曰雩禜。(知雩禜非二祭者、以上文所言皆一祭、此不應獨異也。且雩為旱而祭、而禜非專為水而祭、兼祭水旱則雩禜為一祭明矣。)此無定時者也。祭法所言泰壇、泰折、王宮、夜明諸祭皆天子之禮、則幽禜雩禜亦皆天子之禮、可知矣。

⑧天子の「禜祭」は、星辰に祈祷するが、日月には祈祷しない(『礼記』祭法・鄭注)。日月には別に春秋の祭があるからである。なお、これは定期の禜祭の話である。

⑨『礼記』祭法に「雩禜」とあるが、これは天子の不定期の禜祭が、日月・星辰・社稷・山川など全てを祀るので雩祭に似たところがあり、ここから「雩禜」と呼ぶのだ。尚、『礼記』祭法の文脈から、「雩禜」が二つの異なる祭であるとは考えられない。また、『礼記』祭法で言われているのは全て天子の礼だから、ここの「雩禜」も天子の礼の話のはずである。

 ⑨雩大于禜、禜大于酺。雩祭天帝、而禜祭日月星辰。雩亦祭地(雲漢詩云「上下奠瘗」、是雩亦祭地也。)而禜祭社稷山川。禜分舉于春秋、而雩特行于仲夏。是雩大而禜小也。黨正為下大夫而祭禜、族師為上士而祭酺。是禜大而酺小也。禜與雩異者、雩專主于求雨禳旱、而禜則兼雨暘水旱幷及疾疫也。禜與酺異者、酺主于人物災害、而禜則主于雨暘水旱也。

⑨「雩」と「禜」と「酺」の関係について。
 「雩」は「禜」より重大な祭祀である。雩は「天帝と地」、禜は「日月星辰と社稷山川」を祀ることと、雩は「仲夏」に一回行われるが、禜は「春と秋」に分けられることから、それが分かる。
 両者の違いは、「雩」は雨乞いをして旱害から免れるための祈祷に特化するが、「禜」は水害・旱害に加え疾病から免れることも祈祷する点にある。
 「禜」は「酺」より重大な祭祀である。『周禮』黨正から下大夫のために禜を行うことが分かり、『周禮』族師から上士のために酺を行うことが分かるからである。
 両者の違いは、「禜」は水害・旱害を主とするが、「酺」は人災に焦点が当てられることである。

⑩禜之祭有壇。
 鄭注黨正云「禜謂雩禜水旱之神、蓋亦為壇位如祭社稷云。」(祭法泰壇、泰折、王宮、夜明皆是壇、則幽禜雩禜亦為壇也。)賈逵注左傳謂「禜祭、為營攢用幣、以祈福祥。」杜注從之。孔疏云「營其地、立攢表。攢、聚也。聚草木為祭處。」此與『説文』「設綿蕝為營」同。
 禜字从營省、取營域之義。外為營域、其中則有壇也。

⑩「禜祭」には「壇」を用いる。
 社稷の祭と同様の壇を作る(『周礼』黨正・鄭注)。よって、禜祭の際、中には「壇」があり、その外側には「營域」がある。(「禜」の字は「營」の省略に従う。)

⑪禜祭亦有牲。
 鄭注大祝云「造類禬禜皆有牲、攻説用幣而已。」雲漢詩言「靡愛斯牲。」此禜用牲之確證。杜注但言「用幣」、蓋據左氏言「天災有幣無牲也。」不知天災惟日月食不用牲、若水旱則無不用牲者。『春秋』書「大水鼓用牲于社于門」蓋當鼓于朝、不當鼓于社、當用牲于社、不當用牲于門。故書以譏之、非謂不可用牲也。左氏之言、殆未可據矣。

⑪「禜祭」には「牲」(いけにえの牛)を用いる。
 『周礼』大祝・鄭注、『詩経』雲漢の語から、それが分かる。
 杜預注は幣を用いることしか言わないが、これは『左傳』に「天災有幣無牲也。」とあることによるが、これは天災のうち日食・月食には牲を用いず、水旱には必ず牲を用いることを分かっていないのである。というのも、『春秋』経文に「大水鼓用牲于社于門」とある。これは「朝において鼓すべきなのに社において鼓した」ことと、「社に牲を捧げるべきなのに門に牲を用いた」ことを譏っているのである。

 

 こうしてみると、前回まで紹介した『周禮正義』の説が、概ね金鶚説に則っていることがよく分かります。

 さて、以上の議論を見て、「こじつけだ」「本当にそんな細かい区別があるものか」という印象を受ける方がも多いのではないでしょうか。まことに仰る通り。もともと別々に成立したそれぞれの経書の記述が全て矛盾なく説明されることなど有り得ないはずで、そこを調整しようとするここでの金鶚の議論は、結局、頭の中から生まれた観念的な代物でしかないのでしょう。

 しかし、経書が周代の理想的な礼体系を反映していると想定(思い込む・信頼する・信仰する、といった表現もできますね)し、それらを「こじつけ」て、一つの説明を作り出すことこそが、「経学」という営為そのものなのです。特に、鄭玄の学問はそういう方向の意図に溢れています。

 ということは、こういった経学者の営みを追及したところで、事実の解明の役には立たないし、現代において何の価値もないものではないか、という疑問を持たれるかもしれません。

 しかし、私はそう思いません。むしろ、「経学」が、(現代の我々から)現実離れした観念的な産物であるからこそ魅力的なのではないか、その多様性をそのままに理解して保存することが重要なのではないか、そのように考えています。

(棋客)