達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

顧千里『撫本禮記鄭注考異』と段玉裁、そして王念孫(5)

 前回の続きです。

 ここまで書いて少し先行研究を調べてみたところ、武秀成「段玉裁“二名不徧讳说辨正」(『文献』2014年02期)に、他説も加えた上でかなり詳しく整理されていることに気が付きました。ぜひ、こちらもご参照ください。

 段玉裁“二名不徧讳说”辨正--《文献》2014年02期

 

 王念孫(1744-1832)の説は、『讀書雜志』墨子に載っています。王念孫は段氏より後、顧氏より前の人ですが、これはいつ書かれたものなのでしょうか。両氏の議論を踏まえて執筆されたものだったのかどうかが気になります。

王念孫『讀書雜志』墨子第二・偏

 偏具此物而致從事焉。畢云、偏當爲徧。念孫案、古多以偏爲徧、不煩改字。

 (原注)非儒篇「遠施周偏。」公孟篇「今子偏從人而説之。」皆是徧之借字、而畢皆徑改爲徧、則未達假借之旨也。益象傳「莫益之徧辭也。」孟喜曰「徧、周帀也、本或作偏」者、借字耳。而王弻遂讀爲偏頗之偏。惠氏定宇已辯之。檀弓「二名不偏諱、夫子之母名徵在、言在不稱徵、言徵不稱在。」偏亦徧之借字、故曲禮注云「謂二名不一一諱也」而『釋文』偏字無音、則亦誤讀爲偏頗字矣。毛居正『六經正誤』已辯之。又『大戴記』勸學篇「偏與之而無私」、魏策「偏事三晉之吏」、『漢書』禮樂志「海内偏知上德」、皆以偏爲徧。又『漢書』郊祀志「其遊以方徧諸矦」、張良傳「天下不足以徧封」、張湯傳「徧見貴人」、『史記』竝作偏。若諸子書中以偏爲徧者、則不可枚舉。漢三公山碑「興雲膚寸、偏雨四海」亦以偏爲徧。然則徧之爲偏、非傳寫之譌也。

 一言で言ってしまえば、「偏を徧として用いる例は良くあるのだから、いちいち改めなくてよい」といったところ。

 ここで、曲禮「二名不偏諱」が、“もともと「偏」字であるが「徧」字の意味で読むべき例”として挙げられています。テキストとしては顧説と同じく「偏」を採用しつつ、義としては段説のごとく「徧」で読むべきとするわけです。妥当かはともかく、両者をうまく調停する説のようにも見えますし、「まあまあ、結局同じじゃないの」と高みの見物をしているようにも見えてきます。

 喧々諤々の段玉裁と顧千里の議論を、ある意味で「破壊」してしまう王念孫説。王氏父子の学説は時に「脱経学的」とも称されますが、その一端を見たような気がして、ここで紹介しておこうと思った次第です。

 

 結論としては、やはり『禮記』のテキストとしては「偏」が良いのでしょう。意味としてどちらを取るべきなのかという点については、結局似た現象を指しているわけで、盧・顧説にも一理あるし、毛・段説にも一理あるように思います。ここは更に検討が必要かと思いますが、先に紹介した武秀成「段玉裁“二名不徧讳说”辨正」に詳しい解説がありますので、そちらに譲ります。

(棋客)