達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

『礼記』を実際に読んでみる(1)

 前回、『礼記』の全体の構成を紹介しました。今回は、『礼記』の内容を少し紹介してみます。

 『礼記』の内容と言っても、前回書いたように、『礼記』はさまざまな内容を含む雑記という感じの本です。まず今回のところは、その「雑駁な雰囲気」を感じていただきたいと思います。

 

 では、最初の「曲礼」篇を見てみましょう。訳は参考程度に見てください(一応、鄭玄注・孔頴達疏の伝統的な読み方に従って作っているつもりです)。

 曲禮曰、毋不敬、儼若思、安定辭。安民哉。

(訳)曲礼に云う。(礼を行うに当たっては、)敬意をもたねばならず、思索を深めるように厳然としておらねばならず、言葉に対してはっきりしていなければならない。(以上によって、)民を安心させることができる。

 敖不可長、欲不可從、志不可滿、樂不可極。

(訳)驕る心は伸ばしてはならず、貪欲な心は勝手にさせてはならず、自分の志だけで心を満たしてはならず、楽しむことを尽くしてはならない。

 これが「曲礼」の冒頭です。「曲礼」篇は「細かな礼の規則を記した篇」などと説明されることが多いですが、冒頭を見るとむしろ礼の理論、総論が書かれているように見えますね。

 その後しばらくは上のような内容が続くのですが、徐々に具体的で細かな規則の羅列と言った趣きの内容に変わってきます。その部分のうち、分かりやすいものを以下にいくつか抜粋しました。

・為人子者、父母存、冠衣不純素。孤子當室、冠衣不純采。

(訳)人の子供は、父母が存命の時、白色の飾りの冠やふちどりの服を身につけてはならない。早くに親を亡くした子のうちの長男は、色のついた飾りの冠やふちどりの服を身につけてはならない。

 

・取妻不取同姓。故買妾不知其姓則卜之。寡婦之子、非有見焉、弗與為友。

(訳)妻を娶る時、同姓の者は取らない。妾を買ってその姓が分からなければ、占って判断する。寡婦の子供とは、才気がなければ、友にならない。

 なんじゃこりゃ?という細かな規則の話になってきているのが分かるかと思います。さきほど冒頭を紹介しましたが、こらが同じ篇の内容なのか?という疑問が浮かぶほどではないでしょうか。

 こういった具体的な規則を記した条が、脈絡のないままに並べられているのが「曲礼」の中心部分となっています。つまり、規則が体系的に並んでいるわけではなくて、細切れで散発的に出てくるわけです。読む側としては困ります。

 

 実際、一つ目の条は同じ話が『礼記』の「深衣」篇にも載せられていて、別に「曲礼」になければならない必然性はないように思えるところです。

 

  また、以下のように、事柄の呼び名を定義する条も多いですが、これらも一箇所にまとめて出てくるというわけではなく、あちこちにバラバラに散らばっています。

・天子當依而立、諸侯北面而見天子、曰覲。天子當寧而立、諸公東面、諸侯西面、曰朝。

(訳)天子が屏風を背にして立ち、諸侯が北面して天子に謁見することを、「覲」という。天子が門と屏の間に立って、諸公が東面し、諸侯が西面して謁見することを、「朝」という。

 

・天子之妃曰后、諸侯曰夫人、大夫曰孺人、士曰婦人、庶人曰妻。

 (訳)天子の妃を「后」といい、諸侯の妃を「夫人」といい、大夫の妃を「孺人」といい、士の妃を「婦人」といい、庶人の妃を「妻」という。

 

 さて、「曲礼」は、非常に分量が多いため上・下に分けられていますが、その中には100以上の条目が含まれていて、何度も言うように、それらはバラバラで散発的なものの集まりです。上のような脈絡のない様々な総説、細説が大量に入っているわけです。

 こうしてみると、「曲礼」は、ある意味で『礼記』全体を体現しているとも言えるかもしれません。文章のまとまりごとに、全く異なる内容が脈絡なく連なっていて、一つのまとまった著作というより、当時存在した文章の切れ端をかき集めたような篇です。

 

 ただ、個人的な印象では、「曲礼」に出てくる具体的な礼の規則を述べる条は、どれもそれなりに重要なことが多いです。『周礼』や『儀礼』はもちろん、『左伝』あたりを読む上でも、知っておくと便利なことが色々書かれています。もともとは、誰かのメモ書きのようなものだったのかもしれませんね。

 

 さて、今日紹介した「曲礼」は以上のような内容ですが、統一的な内容を持つ篇も色々ありますので、次回はそういったものを紹介しようと考えています。