達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

「戸」と「牖」:礼学の議論の一例

 前回の続きです。

 長々と記事を書いてきましたが、次の話題の前提となる部分だけを整理しておきます。

・「路寝」の奥の部屋の構造について(鄭玄説)

○天子・諸侯の場合:「室」(中央の部屋)と「西房」と「東房」(西側、東側の部屋)の三部屋。

○卿大夫以下の場合:西側に「室」(西室)、東側に「房」(東房)の二部屋。

 この「室」には、「牖」(まど)と「戸」(とびら)がついていますが(「房」には「戸」だけがついている、とされています)、もともと本稿を書くきっかけは、この点についてのツイートがきっかけでした。

 経学についてあれこれ考える時には、やはり段玉裁の『説文解字注』が道を示してくれます。(逆に言えば、経学以外の調べごとには向かないかもしれません。)

 まず「牖」字を見てみましょう。

・『説文解字』七篇上・片部・牖

 牖、穿壁以木爲交窗也。从片。戸甫聲。譚長以爲、甫上、日也、非戸也、牖所以見日。

〔段注〕交窗者、以木横直爲之。卽今之窗也。在牆曰牖、在屋曰窗、此則互明之。必言以木者、字从片也。古者室必有戸有牖、牖東戸西、皆南郷。(略)

 『説文』の本文には、「牖」とは「穿壁以木爲交窗也(壁に穴をあけて木を四角の形に嵌めたもの)」とあり、段注には「古者室必有戸有牖、牖東戸西、皆南郷(かつて、室には必ず戸と牖があり、牖が東側、戸が西側にあり、いずれも南に向かっている)」とあります。

 「南に向かう」とは、戸や牖が東の壁沿い、西の壁沿いに設置されているのではなく、あくまで南の壁沿いに設置されているということを言いたいのでしょう。その中で東寄りか西寄りか、によって設置場所が示されているというわけです。

 

 「戸」字の『説文』段注はあまり詳しくないのですが、その少し先に「扆(戸+衣)」字があり、この段注に関連する記述があります。

・『説文解字』十二篇上、戸部、扆(經韵樓本『説文解字注』十二篇上、七葉上)

扆、戸牖之閒謂之扆。从戸。衣聲。

〔段注〕釋宮曰:「牖戸之閒謂之扆。」凡室,戸東牖西。戸牖之中閒是曰「扆」。詩禮多叚依爲之。

 「戸」と「牖」の間の空間のことを「扆」と呼ぶようで、段注には「凡室,戸東牖西。戸牖之中閒是曰扆(一般に、室には戸が東、牖が西にある。戸と牖の中間を扆という)」とあります。

 ここで、少しおかしな点に気が付きます。経韵樓本の場合、先の段注には「牖東戸西」とあり、ここの段注には「戸東牖西」とあって、位置関係が逆になっているのです。

 もう一例、挙げておきます。

・『説文解字』七篇下、戸部、扆(經韵樓本、七篇下、六葉下)

 𡧮、戸樞聲也。室之東南隅。从宀。㫐聲。

〔段注〕二句一義。古者戸東牖西、故以戸樞聲名東南隅也。釋宮曰「東南隅謂之𡧮。」按釋名曰「㝔、幽也。」非許意。許𡧮䆞義殊。『爾雅』『釋文』引『說文』「䆞深皃」、誤以䆞爲𡧮也。

 この場合、「室の東南の隅」が「𡧮」(戸の軸の音)と呼ばれる理由を、「戸が東にあること」に求めていますから、段注は「戸東牖西」でなければおかしいということになります。

 この矛盾については、海水さんにご指摘いただいたように、『皇清経解』所収の『説文解字注』では、一つ目の例の方が「戸東牖西」に修正されています。いまはこれに従って、一つ目の段注の字に誤りがあると考えておきましょう。

 

 さて、段玉裁の注釈は経学についてあれこれ調べるための導入としては便利ですが、これを手掛かりに自力で経書やその注釈に遡って調べてみることが肝要です。

 では、関連する訓詁をかき集めてみましょう。

・『爾雅』釋宮(阮元本、巻五、一葉表)

 牖戸之間謂之「扆」。

〔郭注〕窻東,戸西也。禮云「斧扆」者、以其所在處名之。

 郭璞は、「牖の東側」かつ「戸の西側」の空間を「扆」というといいます。つまり、以下のような状態になりますね。

 西←| 牖 | 扆 | 戸 |→東

  この郭注では、牖が西、戸が東にあるということになります。なお、『爾雅』李巡注には「謂牖之東、戸之西為扆」とあり(『尚書』顧命疏引)、より分かりやすいです。

 

 『儀礼』聘禮に「主人立于戸東、祝立于牖西。」とあったりするのも気になるのですが、これは「戸の東に立つ」だとすると位置関係を考える材料にはならないかもしれません。似た例に、『儀禮』士冠禮「筵于戸西、南面。」鄭注「筵主人之贊者。戸西、室戸西。」もありますが、これも「戸の西」の意味でしょうか。

 以下の文の場合は、「戸が東」を明示する例になりそうです。

・『儀禮』士冠禮

 尊于房戸之閒。

(鄭注)房戸閒者、房・西室、戸東也。

 経文は「(東)房」と「(西室の)戸」の間の意味で読まれているようで、鄭注の最後の言葉は「西室の戸が東側にある」ということになりそうです。

 

 実は、経文・注文に遡る決定的な例は見つけ切れていないのですが、検索で引っ掛けて過去の議論を見てみると、どうやら「戸東牖西」が常識的な考え方となっていることは間違いないようです。

 孔頴達疏ならばそれっぽい話がいくつか見つかり、宋代なら『儀禮釋宮』『黄氏日鈔』など、清朝になれば『潜邱札記』『蛾術編』など、様々なところで「戸東牖西」が説かれています。これだけ語られているということはやはり分かりやすい根拠があるはずで、とすると先の『儀礼』聘禮「主人立于戸東、祝立于牖西。」かなあという気もしますが、私の中でははっきりしていません。

 気になるのは、『儀禮』鄭玄注にこうあることです。

・『儀禮』士昏禮

 席于戸牖閒。

(鄭注)室、戸西牖東、南面位。

 この鄭注は、「室においては・・・」と読んでいくのでしょうから、「戸が西、牖が東」となって、これまで見てきた説とは逆になります。しかし、頼りの賈公彦疏は何も言っていません。これを「室において、戸の西、牖の東、南面する位置」と読めば矛盾はなくなりますが、少し違和感があるようにも思います。

 

 参考までですが、銭玄『三礼通論』の整理では、

・「西房・室・東房」の場合、「室:戸東+牖西」「西房:戸東」「東房:戸西」

・「西室・東房」の場合、「西室:牖東+戸西」「東房:戸西」

 というようになっていて、この鄭注は下の例に当たる、と説明しています。ただ、これ以外に根拠が示されていないので、基づく説があるのかどうかよく分かりません。(なお、前回に載せた図はこの説から作っています。)

 例えば、『毛詩』小雅・斯干の疏には「大夫以下無西房、唯有一東房、故室戸偏東、與房相近。」とあって、「西室・東房」の場合の「西室」の戸も、東にあったとされているようです。

 

 何が何だか、よく分からなくなってきました。陳緒波氏の「儀禮宮室考」(南開大学博士論文)も眺めてみましたが、こちらでは全て「戸東牖西」で統一されているようです(というより、そもそも「西室・東房」の制度を認めていません。)まだきちんとした整理が無いところなのか、はたまたもともとそれほど深い問題とされていないところなのか。

 先に取り挙げた『毛詩』小雅・斯干の疏は宮室制のまとめという具合になっているようで、次回これを整理してお示しします。これを読めば本稿の疑問が氷解する、というわけではないのですが…。

(棋客)