達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』の紹介(1)

 今日は、古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』をご紹介します。博士論文で、たまたま近くの図書館に入っており、読むことができました。

 二回分の記事で、序章を簡単にまとめてお示しします(p.11~)。

 

 本研究の主眼は、特に礼学に関する鄭玄説・王粛説の対立について、両説を丁寧に整理することから出発し、その社会的背景、思想史的背景を明らかにするところにあります。

 この問題についての過去の主要な研究としては、藤川正数『魏晉時代における喪服禮の研究』加賀栄治『中国古典解釈史』が挙げられます。序章では最初にこの両説についてすぐれた整理をしつつ、両説への批判を通して本研究の目標が設定されています。

 以下、特に加賀説に関するところを抜き出していきます。

 一方、加賀栄治氏は、鄭玄・王粛両学説の違いをそのような今文学的・古文学的な対立として捉える(※ブログ筆者注:これが藤川氏の説)のではなく、後漢の古文学の方法・態度に着眼し、古文学の方法・態度の違いが、鄭玄・王粛両学説の対立をもたらした原因であることを指摘している。加賀氏の所説は以下の通りである。

 本来、今文学と古文学の違いは、依拠する文献の違いに由来するものではあるが、古文学においては、複数の文献を用いた客観的な解釈を指向する。そして、経書ごとに博士の置かれた今文学が、一つの経書についての伝承された解釈(章句)を墨守したのに対し、古文学では、複数の経書に通じる者は「通儒」と呼ばれ、貴ばれた。そのため、古文学においては、古文資料をより重視するが、それに限定することなく、今文の資料も用いた。この幅広い資料を重視する学風を後漢古文学の特質とすることができる。

 この幅広い資料を用いた解釈を重視する後漢の古文学の一つの到達点として、後漢末の鄭玄の説を捉えることができる。鄭玄は、今文・古文の経書のほか、緯書等の幅広い文献を用いて、精緻で体系的な解釈を創出した。

 ところが、その後、魏晋時代になると、学風に変化が生じる。魏晋の経学は、幅広い資料を重視する点においては後漢の古文学を継承しながらも、論理の通達や合理性という点から後漢の古文学の頂点である鄭玄の学に反駁し、新しい解釈を提示した。王弼・王粛・杜預などがそれである。この論理の重視は、後漢荊州において劉表らによって行われた学問に遡るものであり、それは後漢の古文学に属するものであるから、結局は後漢の古文学から継承されたものである。

 その後、南北朝隋唐時代の義疏学は論理通達の面から選択を行った。その際、魏晋の新しい経書解釈が、後漢古文学の到達点である鄭玄の解釈に取って代わった。しかし、鄭玄の解釈のいくつかは、論理の面で優れ、義疏学においても採用された。鄭玄の三礼注や『毛詩』鄭箋はそれである。

 以上が加賀氏の説であり、加賀氏は、後漢古文学の特質を、古文資料に限らず今文・古文両資料の対比を通して客観的な経書解釈を指向する点、即ち、資料重視という点に見出し、その到達点として、鄭玄を位置付ける。そして、王粛については、後漢古文学のもう一つの特徴である論理重視の考え方が、後漢末の荊州の学から魏晋へとつながり、王粛はその流れを継承して、鄭玄の非合理的な解釈を批判したと位置付けている。この説によれば、鄭玄も王粛もともに古文学者であるが、鄭玄は資料重視、王粛は論理重視の立場から、後漢古文学の特質を発展させたものとして位置付けられる。そして、加賀氏は、後漢の資料重視の古文学を「旧」とし、その到達点に鄭玄を位置付け、魏晋の合理的解釈を「新」と位置付けられている。

 以上は、加賀栄治『中国古典解釈史の説明として、簡にして要を得た分かりやすいものになっていると思います。

 では、この加賀説に対して、本研究はどのような点に問題を見出すのか。

 また、加賀氏の所説について考えてみると、加賀氏が、鄭玄・王粛をいずれも後漢古文学の延長とする点については首肯される。しかし、加賀氏は、後漢の古文学を資料重視の「旧」、魏晋の新解釈を論理重視の「新」として位置付けているが、そのような区別が妥当なものであるか疑問である。加賀氏は、魏晋時代の新しい経書解釈の特徴として、論理という点を挙げているが、加賀氏もそれが後漢古文学から継承されたものと認めているように、この論理重視の立場は、古文学の一般的な特徴であり、特に荊州の学とその流れを承けた魏晋の新解釈のみに見られるものとは言えない。従って、加賀氏が指摘される、後漢古文学の特質を資料重視、魏晋の解釈の特質を論理重視とする区別は、明確なものではない。この見解は、鄭玄が資料に優位性を置いた解釈をしているために、後漢の古文学全体の特質を資料重視としたものであって、それは鄭玄以外の後漢古文学の特徴とまでは言えない。

 従って、加賀氏が、古文学を、後漢の古文学と魏晋の古文学との間で新旧に区別することには、明確な根拠を見出すことはできない。鄭玄の経書解釈は、前述のように、由来のそれぞれ異なる三礼を整合的に解釈しようとしたものであり、さらにそれは三礼のみならず、それ以外の諸文献を含めて体系化・総合化を図ったものである。それは、今文学から古文学へという流れの中で考えれば、章句にとらわれない新しい解釈体系というべきである。従来、鄭玄の解釈は、両漢経学の総括として、「鄭玄=漢」という認識が定着している。これは、鄭玄の用いる説が、漢代の今文・古文両説を総合的に採用しているためである。しかし、採用する説の範囲の問題と、採用の仕方の問題とは別に考えなければならない。鄭玄の説を「旧」、魏晋の解釈を「新」とする加賀氏の所説においては、鄭玄説の持つ「新」の側面が見失われるという問題点がある。当時の今文学から古文学へという流れにおいては、後漢の古文学も魏晋の古文学も、いずれも「新」として捉えるべきであり、鄭玄説についても、魏に入ってから今文学に代わって正統的な地位を占めることになる古文学の一説として、その「新」の側面に着眼すべきである。

  鄭玄が示した礼制を、漢代の実際の礼制度に密着するものとして捉える見方は、旧来一般的であった考え方です。しかし、近年(特に池田秀三氏、橋本秀美氏らの研究)によって、これはそう簡単には言い切れず、むしろ鄭玄の学説の観念性、理念性といった面が強調されるようになってきています。

 個人的な感覚では、古い研究では、漢代における中央集権国家体制の完成と、その最晩年に登場する鄭玄の礼学の完成というものが、何となく結び付けられて理解されてきたようなところがあると感じていますが、いかがでしょうか。

 

 さて、では本研究ではどのような角度から検討するのか、という点が問題になります。以下は次回にお示しします。

(棋客)