達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』の紹介(2)

 前回の続きです。古橋紀宏『魏晋時代における礼学の研究』(p.9~)より。

 まず、加賀説で鄭玄と王粛がともに「新」に位置付けられ、段階的な発展が想定されていたことに対して、以下のように反応します。

 そこで注目されるのが、王粛の立場を説明する際にしばしば引用される「善賈馬之学、而不好鄭氏(賈逵・馬融の学問を評価し、鄭玄を好まなかった)」(『三国志』魏書王粛伝)という記述である。これは、賈逵・馬融の学、即ち、後漢の伝統的な古文学説と、鄭玄の説とが、異質のものであったことを述べており、このことを無視することはできない。即ち、鄭玄も王粛も、古文学の特徴である今古文折衷による新しい学説として位置付けるべきであるが、その中で、王粛の経書解釈には、鄭玄以前の賈逵・馬融らの伝統的な古文学説を指向する傾向が見られる。また、他の魏の経書解釈を見ても、王弼の『周易』注や、何晏の『論語集解』は、加賀氏が指摘されたように、鄭玄を含めた先儒の説を取捨選択したものであり、鄭玄の説に比べると、後漢の伝統的な古文学説を多く採用している。さらに、晋の杜預の説や、偽古文『尚書』孔安国伝を見ても、鄭玄説に比べ、伝統的な古文学説に近い立場をとっている。これらのことから考えれば、王粛やその他の魏晋の経書解釈は、鄭玄に比べて、古文学の中での「旧」として位置付けることができる。即ち、今古文折衷による新解釈という観点から見れば、鄭玄も王粛も、ともに「新」に属するものではあるが、その中で、王粛や魏晋の経書解釈には、「旧」に回帰する傾向が見られる。

 それでは、新しい注釈が生み出された魏晋時代の王粛の学説が「旧」であって、後漢古文学に再び戻っているとするなら、それは何故か、という疑問が浮かびます。

 この問題は、王粛が鄭玄説を批判した具体的な事例から考える必要がある。前述のように、王粛の鄭玄説批判の中心は、礼学、特に、当時実際に施行されていた礼制に関するものであった。従って、王粛による鄭玄説批判の背景を考える上では、当時の礼制の具体的な状況の中で考えなければならない。

 この問題について、当時の具体的な礼制度の状況と比較しながら、鄭玄説・王粛説の性質を考える、というのが本研究の骨格になっています。

 では、最後に、各章の構成を説明する部分を引用しておきます。

 このことから、魏晋時代は、経書の規定が制度に導入される過程にあり、経書が社会規範としての性質を強める時期に当たると言うことができる。そして、その状況の中において、鄭玄・王粛両説が、どのような意味を持っていたかを検討する必要がある。

 そこで、本稿においては、第二章において、魏における礼制改革と、その中における鄭玄・王粛両説の意義について検討を加えたい。そして、魏の明帝期において経書の規定に基づく礼制改革が行われ、その際に鄭玄説に基づく制度改正が議論される中で、王粛説は、それまでの制度や通念を保守する立場から反論を加えたことを明らかにしたい。

 これは、王粛説を保守、鄭玄説を革新と位置付けるものである。そして、王粛が後漢の伝統的な古文学説に回帰しているのは、それが当時の制度や、一般的な通念に適合していたためと考えられる。また、郊祀の制度について、南朝では王粛説に合致し、北朝では鄭玄説に合致する点が見られることが指摘されているが、それは、後漢との連続性を持つ南朝と、五胡十六国時代を経て後漢との連続性を持たない北朝との違いによるものと理解される。

 無論、魏晋時代の全体的な特徴を論じるためには、王粛説の検討だけでは不足で、同時代の他の学説も見ておく必要があります。これが第三章に当たります。

 そして、第三章においては、王粛説以外の魏晋時代における新解釈について検討を加えたい。ここでは、王粛以外の新解釈についても、経書の規範化に伴い、当時の社会の実態の立場から、新しい解釈を行ったもので、王粛が現実の制度や通念から鄭玄説を批判したのと同様の傾向が見られることを明らかにしたい。これらの新解釈は、今文・古文の違いとは関係のないものであることから、このような現実的立場からの修正解釈こそが、魏晋時代の経書解釈の特質であり、この点が、理念的に構築された鄭玄説と、現実性を重視する魏晋の解釈との対立をもたらした背景であると考えられる。

  次に、魏晋時代の礼学議論と『大唐開元礼』の比較を通して、結局礼学の主流が鄭玄に切り替わったことを示します。

 これは、魏晋時代の習俗においては受け入れられなかった経書の規定が、その後、次第に現実の社会に浸透したため、習俗自体が改められ、もはや現実に合わせて解釈する必要がなくなったものと考えられる。これは、魏晋時代の新解釈が、経書の規定の普及という現実の変化によって、その役割を終えたことを示しており、現実に合わせることに特徴を持つ魏晋の新解釈が衰え、体系的な鄭玄の解釈が盛んになる理由を示すものである。

 以上、研究書の序文として非常に優れたものである上に、本分野の研究史の概括としても参考になるかと思い、勝手に紹介させていただきました。

 本論の内容についても、また紹介したいと思っております。

(棋客)