達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

瞿同祖『中国法律与中国社会』の紹介(3)

 瞿同祖『中国法律与中国社会』(中華書局、1981)、第四節「親族復讐」の翻訳の続きです。

 初回は↓

chutetsu.hateblo.jp

 今回はp.80~になります。

 前回まで、中国における「復讐」行為に関する規定の実例を整理してきました。今回は、そのまとめの段落です。

 後漢以降の法律を見渡すと、元代の一期間を除けば、いずれも人民が私的に復讐することを禁止している。法律には、一つの共通した傾向がある。つまり、生殺権は主権によって管理されて、人民が不当な仕打ちを受けた場合、必ず政府に雪辱を晴らすことを求める、ということである。

 魏律と明律、清律はやや寛容であるのだが、完全に放縦しているわけではなく、人々が互いに殺傷することは許していない。原則上、凶悪犯は死に値するとはいえ、必ず官に告げて罪を治めさせるべきで、勝手に殺害してはならない。よって、魏律では、弹劾されて逃げたものだけ、その子弟が探して殺すことを許している。清律では、仮に凶悪犯が逃げて官のもとに至らないうちに、被害者の子孫と遭遇したとしても、官吏に送って法に沿って処罰することしかできず、勝手に仇敵を殺してはならないし、勝手に殺した場合は「擅殺応死罪人律」に照らして杖一百に処される。

 既に国法の制裁を受けた凶悪犯については、人民が更に報復を加えてはならない。これはもともと司法の効力を承認し、司法の威信を維持する社会が必ず備えている条件で、よって魏律は復讐を許さないのである。清律の規定では、凶悪犯が官に来て逮捕され、減刑されたのちに逃げて故郷に帰り、子孫に殺されたものは、杖一百か流三千里に処し、犯人が死刑となってのちに減刑され、流刑にして軍に充てられ、恩赦にあって故郷に戻ったりした場合、どれも国法の延伸に属していて、仇敵とするべきではない。仮に、被害者の子孫が、犯人の処分に不平を抱いてそれでも復讐を企図した場合、「謀故殺定拟」に照らして、緩決に入り、永遠に監禁される。この条の規定からは、国法が私的に復讐をして快感を得ることの是正を重視していると見て取れる。主権ということからいえば、国法は殺人権を人民には決して与えてはならないし、凶悪犯はただ国法の制裁を受けるだけで、公権が許すか否かに拘わらず、人民は、法律の効力を否定してはならないし、法律に不満があるからと言って自ら埋め合わせをしようとしてはならない。・・・

 注釈は省略しています。

 ここまで、復讐を防ぐための方法として、積極的・直接的な法律を紹介してきました。次は、消極的に防ぐ例として「移郷」を挙げます。

 法律上では、積極的に復讐を制限する方法のほかに、住まいを移して(移郷)仇を避けるという方法によって、消極的にも復讐の発生を防いでおり、法律における復讐の防止策は徹底しているといえる。

 「移郷」の方法は古来からある。社会風俗が復讐を推進していた上古時代にもうこの習慣があり、父兄の仇敵はみな住まいを移して和解し、そうでなければこれを捕えるというのは、調人の官の責務であった。後世の法律もこの慣習に倣って、移郷という方法を許している。凶悪犯が逮捕され、国法によって罪が定められると、復讐はするべきではないが、ただ恩赦の機会に恵まれた場合、被害者の家属は犯人が罰に服しなかったことを受け入れないので、政府は復讐が起こるのを防ぐために、この法を制定する。・・・

 ここまで三回の記事で述べてきたように、復讐の制限のために代々で様々な法律が定められていたわけですが、必ずしも復讐行為が消え去ったというわけではありませんでした。というより、そういった行為がなくならないからこそ法律に定められている、というべきでしょうか。

 しかし、我々が注意すべきなのは、法律がどれだけ厳しく制裁を加えようとも、復讐の風紀は盛んであり、この類のことは歴史上に不断に出現し、多くの人は身に罰を受けようとも、死を恐れて仇を討たないという不孝を犯すことを肯ぜなかった。漢代の復讐について、「俗稱豪健、故雖有怯弱、猶勉而行之」(『後漢書』桓譚伝)という。甚だしい場合には、父祖が国法の罰を受けた場合でさえ、子孫は是非を問わず、勢力の有無を顧みず、復讐に当たった。・・・

 以下、本文では復讐の話がまだまだ続くのですが、とりあえず翻訳はここまでで終わりにしたいと思います。

 普段、研究書を(翻訳するレベルで)丁寧に読むということはあまりないのですが、やってみると良い勉強になりました。そうはいっても大雑把な訳ではあるので、参考程度に見てくださいね。

 次は何の本にしようか、悩んでいるところです。

https://chutetsu.hateblo.jp/entry/2020/09/15/120000

(棋客)