達而録

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『公羊傳疏』引『孝経疏』について(1)

 何気なく『公羊傳疏』を読んでいたところ、不思議な記述に出くわしました。

『公羊傳』襄公二十九年

〔傳〕閽弒吳子餘祭。閽者何。門入也。刑人也①。刑人則曷為謂之閽。刑人,非其人也。君子不近刑人。近刑人,則輕死之道也。

〔注①〕以刑為閽。古者肉刑墨、劓、臏、宮與大辟而五。孔子曰「三皇設言,民不違。五帝畫象,世順機。三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多」。

〔疏〕云「孔子曰,三皇設言,民不違,五帝畫象,世順機,三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多」者、『孝經說』文。言三皇之時,天下醇粹,其若設言民無違者,是以不勞制刑,故曰「三皇設言民無違」也。其五帝之時,黎庶已薄,故設象刑以示其恥,當世之人,順而從之,疾之而機矣,故曰「五帝畫象、世順機」也。畫,猶設也。其象刑者,即唐傳云「唐虞之象刑上刑赭衣不純」,注云「純,緣也。時人尚德義,犯刑者但易之衣服,自為大恥」。「中刑雜屨」,「屨,履也」。「下刑墨幪」,「幪,巾也。使不得冠飾。『周禮』罷民亦然,上刑易三,中刑易二,下刑易一,輕重之差」。「以居州里,而民恥之」,是也。三王之時,劣薄已甚,故作肉刑,以威恐之。言三王必為重刑者,正揆度其世,以漸欲加而重之。故曰「揆漸加也」。當時之人,應其時世,而為黠巧作姦偽者彌多于本,用此之故、須為重刑也,云云說備在孝經疏

 昔の刑罰について議論する一段。何休は、孔子の言として「三皇設言,民不違。五帝畫象,世順機。三王肉刑揆漸加,應世黠巧姦偽多」(三皇の頃は言葉を設けて戒めただけで、民は規律に反しなかった。五帝の頃は、服に墨でしるしをつければ、世の中は治まった。三王の頃は、肉刑が徐々に増え、世の中も狡猾な犯罪が増加した)を引き、刑罰が徐々に厳しくなり、それにともない世の中が荒廃した様子を述べています。理想の時代は刑罰がなくとも世が治まっていたが、時代が進むにつれて刑罰が重くなり、同時に世の中も治まらなくなったとするのは、典型的な儒教的価値観といえましょうか。

 この孔子の言の出所は、疏は『孝経説』、つまり『孝經』の緯書であるとしています。実際、『周禮疏』などにも似た文章が『孝經緯』として引かれているので、問題ないでしょう。

 上の疏は、この孔子の言の内容を説明する段です。一つ目の下線(故曰「三皇設言民無違」也)までが、三皇の時期の説明。二つ目の下線(故曰「五帝畫象、世順機」也)までが、五帝の時期の説明。ただ、ここに「畫象」とあるのが何のことか分かりにくいので、その下に『尚書大傳』(原文中「唐傳」以下)を引いて詳しく説明しています。

 ここの『尚書大傳』の引用のされ方が非常にややこしく、経文と鄭玄注が入り混じりながら引かれています。句読点を省いて引いてみましょう。

 唐傳云唐虞之象刑上刑赭衣不純注云純緣也時人尚德義犯刑者但易之衣服自為大恥中刑雜屨屨履也下刑墨幪幪巾也使不得冠飾周禮罷民亦然上刑易三中刑易二下刑易一輕重之差以居州里而民恥之是也

 一見すると「唐傳云”唐虞之象刑上刑赭衣不純”」が本文、「注云”純緣也”」が注かと思ってしまいますが(実際、北京大学整理本はこのように句点を切っているのですが)、ここは実は本文と鄭玄注が交互に引用されており、以下のように注を括弧に入れて読むとすっきりします。

 唐傳云「唐虞之象刑、上刑赭衣不純(純、緣也)。時人尚德義、犯刑者但易之衣服、自為大恥。中刑雜屨(屨、履也)、下刑墨幪(幪、巾也。使不得冠飾。周禮罷民亦然。上刑易三、中刑易二、下刑易一、輕重之差)、以居州里、而民恥之」、是也。

 基本通り、「是也」の手前までがすべて引用文である、ということです。

 『尚書大傳』は逸書ですが、部分的に『太平御覧』や李善『文選注』などに引かれているので、これらと対照することで分かります。『通徳堂遺書所見録』などもこのように分けています。

 そういえば、先日訪問した「日本人と読書」の図録に、日本の古い『論語義疏』の引用例に、経と疏が地の文のまま交互に登場するものがあることから、かなり早い時期から経注疏が合わさった本を使っていたのではないか、と指摘されていました。これは義疏の話ですが、注の場合は、馬融の頃から経注本が登場したと言われています。上のような引用例は、一応その傍証になると言えるでしょうか。

 

 さて、ここの鄭玄注に「周禮罷民亦然。上刑易三、中刑易二、下刑易一、輕重之差」とあるのが気になりますが、おそらく『周禮』秋官・司圜の以下の記述を踏まえるのでしょう。

 司圜掌收教罷民。凡害人者弗使冠飾,而加明刑焉。任之以事而收教之,能改者,上罪三年而舍,中罪二年而舍,下罪一年而舍。

 ここの鄭注に「弗使冠飾者,著墨幪,若古之象刑與」とあります。「若古之象刑與」とは、鄭玄も確信していなかったような感じを受けますが、一応ここを指すということでいいと思います。『周禮正義』も確認しておきましたが、ここの大傳注を関連資料として挙げています。

 

 さて、長々と疏文の内容を解説してきましたが、実はこれは本題ではありません。気になるのは、最後に「云云說備在孝經疏」とあることです。この「孝経疏」とは、何のことなのでしょうか。『公羊疏』の中には、他にも数回「孝経疏」が登場しています。

 次回に続きます。

(棋客)