達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

古代中国の天子の冕冠―『礼記』玉藻疏から(2)

 前回の続きです。『礼記』玉藻の経注の冒頭を再度掲げておきます。

〔経文〕天子玉藻、十有二旒、前後邃、龍卷以祭。

 天子の玉藻は、十二の旒(垂れ紐)が、前後へと延(冕の上に被さっている板)から垂れ下がり、(服には)龍の模様が描かれていて、(これを着けて)祀る。

〔鄭注〕祭先王之服也。雜采曰藻。天子以五采藻為旒、旒十有二。前後邃延者、言皆出冕前後而垂也。天子齊肩。延、冕上覆也。玄表、纁裏。龍卷、畫龍於衣、字或作衮。

 先王を祀る時の服である。彩色の施された紐を「藻」という。天子は、五色の紐によって「旒」を作る。「旒」は十二本ある。「前後邃延」というのは、(旒が)いずれも冕の前後に出て垂れていることをいう。天子なら(紐の高さを)肩と等しくする。「延」は、冕の上の覆いのこと。外側は黒色、内側は薄い赤色。「龍卷」とは、龍を衣に描くこと。「巻」字は、異本では「衮」に作る。

 今回は、このうち鄭注の「延、冕上覆也」について、「疏」が説明する部分を読んでいきます。「疏」とは、「五経正義」の一つである『礼記正義』のことで、『礼記』の経文・鄭玄注に対して唐代に作られた注釈書のことです。

(疏A)云延冕上覆也者、用三十升之布、染之為玄、覆於冕上、出而前後、冕謂以板為之、以延覆上、故云延冕上覆也。但延之與板、相著為一、延覆在上、故云延冕也。故弁師注延冕之覆在上是以名焉、與此語異而意同也。

  鄭注「延冕上覆也」とは,三十升の布を用いて、これを黒色に染め、冕の上に覆い被せ、前後に出す。「冕」は木の板によって作られることをいい、延が上を覆うから、「延冕上覆」と言う。ただし、「延」と「板」とはくっついて一つになったもので、延が覆って上にあるから、「延冕」という。よって『周礼』夏官・弁師鄭注「延冕之覆在上、是以名焉」とあるのは、これは言葉は異なるが意味は同じである。

 さきほど、鄭注「延冕上覆也」は、経文の「」を解説した言葉と考えて、「延、冕上覆也」(「延」とは、冕の上の覆いのこと。)と句点を打っておきました。しかし、ここの「疏」を見ると、「但延之與板、相著為一、延覆在上、故云延冕也」(下線部)といっていますから、「延冕」と連用した形で読んでいるようです。

 この場合、鄭注は「天子齊肩、延冕上覆也」(天子なら(紐の高さを)肩と等しくし、延冕がその上の覆いである)という具合になります。実は、北京大学の標点本もこのように句点を切っています。

 

 これで問題解決…かと思いきや、その続きには、ちょっと混乱することが書いてあります。

(疏B)皇氏以弁師注冕延之覆在上、以弁師經有冕文、故先云、冕延之覆在上。此經唯有延文、故解云、延冕上覆。
 今刪定諸本、弁師注皆云、延冕之覆在上、皇氏所讀本不同者、如皇氏所讀弁師冕延之覆在上、是解冕、不解延。今按、弁師注意云、延冕之覆在上、是解延不解冕也。皇氏說非也。

 皇氏は、『周礼』夏官・弁師鄭注「冕延之覆在上」は、弁師の經文に「冕」の文があるから、先に「冕延之覆在上」といい、この経ではただ「延」の文だけがあるから、解して「延冕上覆」と言ったのだ、とする。
 今、諸本を刪定すると、弁師注はいずれも「延冕之覆在上」といい、皇氏が讀んだ本と異なっている。皇氏が讀んだようであれば、弁師注は「冕延之覆在上」となり、「冕」を解し、「延」を解さない。今、弁師注を見ると、その意は「延冕之覆在上」つまり「延」を解すものであって「冕」を解すものではない。皇氏の説は非である。

  皇氏(皇侃)の問題提起は、『周礼』夏官・弁師鄭注には「冕延」とあるのに、『礼記』玉藻鄭注には「延冕」とあるのは何故か、というものです。(どっちでもいいやん…と思われるでしょうが、こうした問題に拘泥するのが「経学」の特徴ですので、もう少々お付き合いください。)

 皇侃は、『周礼』の経文は「冕」「延」が、この順番で両方出てきているから(実際、『周礼』夏官・弁師には「弁師掌王之五、皆玄冕朱裏紐」とある)、『周礼』夏官・弁師鄭注は「冕延」とし、『礼記』玉藻の経文には「延」しか出てきていないから「延冕」とした、と説明しています。

 このような説明をすること自体から、皇侃は「延、冕上覆也」とは読まず(つまりこれが「延」の字だけを説明する訓詁であるとは考えず)、「延冕、上覆也」と読んでいたことが分かります。

 

 そして、「今刪定諸本」以下は、『五経正義』の編纂者が皇侃説に対してコメントをする箇所です。コメントの内容は二点あります。

  1. 色々な本を調べると、『周礼』夏官・弁師鄭注は、いずれも「延冕之覆在上」になっていて、皇侃のいう「冕延」になっている本は存在しない。
  2. 皇侃のように読むと、「冕延之覆在上」となり、これは「冕」を説明する言葉であり、「延」を説明する言葉ではない。しかし、弁師鄭注の意図は、「延」を説明することにあり、「冕」を説明したいわけではない。

 以上の二点から、皇侃説を退け、両方とも「延冕」であったとするわけです。

 

 今度こそ問題が解決したように見えますが、以上の議論の流れには、少し噛み合わないところがあります。

 「疏」のコメントの②は、「鄭注の意図は、「延」の字を説明することにあり、「冕」の字を説明したいわけではない」とするものです。ここで「延」を説明することが鄭注の意図とするのであれば、もとの鄭注を「延、冕上覆也」と読んでいるということになります。「疏」のコメント②は、「「冕、延上覆也」ではなく「延、冕上覆也」だ」と述べているのと同じ意味です。

 

 しかし、先に紹介した「疏A」の部分では、「延、冕上覆也」ではなく「延冕、上覆也」と読んでいたように思われる内容になっています。

 つまり、同じ「疏」の地の文であるにも拘わらず、前後で読み方が異なっているように見えるのです。

 

 ここの「疏」の全体を繋げてみてみましょう。

 云延冕上覆也者、用三十升之布、染之為玄、覆於冕上、出而前後、冕謂以板為之、以延覆上、故云延冕上覆也。但延之與板、相著為一、延覆在上、故云延冕也。故弁師注延冕之覆在上是以名焉、與此語異而意同也。

 皇氏以弁師注冕延之覆在上、以弁師經有冕文、故先云、冕延之覆在上。此經唯有延文、故解云、延冕上覆。

 ③今刪定諸本、弁師注皆云、延冕之覆在上、皇氏所讀本不同者、如皇氏所讀弁師冕延之覆在上、是解冕、不解延。今按、弁師注意云、延冕之覆在上、是解延不解冕也。皇氏說非也。

 この疏は、①~③の三つの部分に分けられます。

  1. 地の文
  2. 皇侃説の引用
  3. 皇侃説への反論

 さきほどの検討を踏まえると、①の部分は、②の皇侃の読み方と同じ方法を取っていることが分かります。すると、①と②はもともと両方とも皇侃の説(①は皇侃以前の説という可能性もあるが)で、五経正義」編纂者は②の部分に反論し③を記した、と考えられるでしょうか。

 

 さて、孫詒譲『周礼正義』を見ると、最初の「但延之與板、相著為一、延覆在上、故云延冕也」を「故云延也」として引いてあります(手元の中華書局本しか確認できていないので、誤植の可能性もありますが)。先ほど言ったように、ここが「故云延冕也」だと後ろの「是解延不解冕也」と矛盾してしまうので、孫詒譲は「延冕」の「冕」は衍字であると考えたのでしょう。

 ただし、このように考えると、その手前の「但延之與板、相著為一、延覆在上」と上手く繋がりません。延と板(ここでは冕を指す)がくっついて一つになっている→「延冕」と連用できる、という話の流れのはずです。

 非常に細かいところまで読んでいて実に孫詒譲らしいのですが、ここの字句を修正してしまうのはやりすぎだと思います。

(棋客)