達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

杉山正明『遊牧民から見た世界史』

 杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日本経済新聞出版1997、のち日経ビジネス人文庫2003、増補版2011)広大な中央アジアの大地で活躍した「遊牧民」の生活とその興亡を描いた傑作です。そのうちから、「モンゴル残酷論の誤り」という節の文章をご紹介します。

 以下の引用は、1997年版のp.287~289に拠ります。

 これまで、モンゴルとその時代については、あまりよいイメージでは語られてこなかった。暴力、破壊、殺戮、圧制、野蛮などの悪い印象がさきに立った。モンゴルといえば、残酷なイメージで論じられるのがふつうであった。

 すでに述べたように、遊牧民とその国家については、総じて負の評価がかぶされてきたが、そのなかでもとびぬけてひどい。それは、無意識のうちに「悪役」「蛮族」「血ぬられた文明の破壊者」という先入観や偏見があたえられていたためである。

 それをあたえたのは、過去の歴史のなかで、実際に「被害」をうけた人びとよりも、むしろ 「被害者」たちの子孫とみずからを思いこんだ後世の人びとによって、多くいいたてられてきたものであった。もしくは、自分たちの先祖は直接の「被害者」ではないけれども、自分たちが築きあげた「近代文明社会」を誇るあまり、他の地域の現在や過去をことさらに、貶めたい心理を強く抱く人びとの心の所産であった。

 そうした人びとにとって、モンゴルは、アジアの最奥部からでてきた劣等な野蛮人が過去にくりひろげたおぞましい歴史の暗部だとして、格好の攻撃目標になった。おもしろいのは、そうした心情が、歴史研究者といわれる人たちの心に暗黙の「前提」を生み、それが歴史の解釈・説明に色濃く影を落としたことである。

 本書一冊は、モンゴルに限らず「遊牧民」全体に対する誤解を解き、正確な認識を得るために奮闘している本ですが、ここでは特に「モンゴル」に対する従来の認識に誤りが多いことを指摘する段です。

 こうしたことは、「文明主義」という名の偏見、もしくはおもいあがりといっていい。なぜなら、モンゴルとその時代について、いちおう東西文献、ひととおりの原典史料が眺められるようになったのは、つい最近のことだからである。

 それよりまえの人たちの意見は、たとえその人が世に「大学者」「大歴史家」「大歴史哲学者」 などともてはやされる人であろうとも、たんなる感想にすぎない。別のいい方をすれば、自己肥大したおごりか倨傲の言である。確たる根拠もないことを、まわりがみなそういうからと、もっともらしく語り綴る人は、「研究者」といわれる人たちにも、けっして少なくない。

 とかく、自分の理解の枠をこえたことにたいして、過去の「文明人」も、近現代の思想家・ 歴史家・知識人という名の「文化人」も、ある種の共通したアレルギーをひきおこしたからである。かれらは、その潜在意識のなかで、自分たち「文明」の優位を無条件に信じたかった。無意識のうちに、過去のことがらについて見くだし、断罪する立場にたった。

 モンゴルは、最適の「悪役」となった。「野蛮な」遊牧民の代表者であるモンゴルが、かつて世界をあらたな段階に導き、ひょっとすると自分たちも時代をこえた受益者であるからしれぬなどとは、夢にもおもわなかったのである。偏見を生みだす根拠は、しばしばその人の心のなかにある。そして、根拠のない非難は、感情に傾くから、しばしばもっとも激しくなりがちである。

 普通に大学で勉強をしていれば、たとえば「西洋文化東洋文化の対立と融合」とか、「西洋的価値観から東洋を見ることの危険性」といった話は、いくらでも耳にする機会があるでしょう。しかし、杉山先生の議論は、その西洋と東洋といった枠組みを丸ごと相対化するものです。

 歴史研究者は、直接に原典史料にあたって確認しえた事実だけで発言し、叙述しているとばかり考える必要はない。まして、そうした歴史研究者の「成果」を踏まえて、もっともらしい「おはなし」を述べたてる人たちについては、いうまでもないだろう。事実を事実として見ようとはしない精神は、おそろしい。もとより、歴史上の事実は、色とりどりにあり、はたしてなにが真実か、つかみがたいことが多いのもたしかではある。だからといって、過去の事実を追うことを、すべて空しいことだとするのは極論である。

 そういう場合、歴史を虚無主義のドグマにおとしいれて、遂には、なにも本当のことはわからないのだからおもしろければそれでいいのだと居直って、ポスト・モダン風のでたらめさを正当化するねらいが、ちらほらしたりしがちである。

 じつは、歴史のなかには、否定しようのない事実というものもまた多いのである。問題は、むしろ「知らないこと」に正直になれるかどうかである。

 ここは説明不要でしょう。最後の「知らないことに正直になれるか」という言葉は、『論語』の 「不知為不知、是知也」(知らざるを知らざるを為す、是れ知なり)を思い起こさせますね。

 

 この本に限らず、杉山先生の本を読むといつも、そこに載っている「地図」の範囲の広さに驚かされます。西はヨーロッパ、東は中国、広大なユーラシア大陸の動きを捉える巨視的な視点と、その巨大な動きを描き切る筆致の鮮やかさには感服する次第です。

 本書は遊牧民を広く描いた本ですので、より「モンゴル」にフォーカスして書いた本を読みたければ、『クビライの挑戦』や、「興亡の世界史」シリーズのモンゴル帝国の長いその後』などがよいでしょう。

(棋客)