達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

濱口富士雄「戴震と王引之の同条二義の訓詁」

 論文読書会にて、濱口富士雄『清朝考拠学の思想史的研究』(国書刊行会、1994)の「戴震と王引之の同条二義の訓詁」を読みました。

 テーマは『爾雅』の以下の一条。

『爾雅』釋詁

 台、朕、賚、畀、卜、陽、予也。

 「台」、「朕」、「賚」、「畀」、「卜」、「陽」は、「予」の意。

 この条、正確に言えば、「台、朕、陽」は「予(わたし)」の意、「賚、畀、卜」は「予(あたえる)」の意。つまり、同じ条に二義の訓詁が混じってしまっているわけです。

 これをきちんと分けるべきだとしたのが戴震です(もともと、南宋の鄭樵が同じ説を唱えています。)。

『戴東原集』卷三・荅江愼修先生論小學書

 『説文』所載九千餘文、當小學廢失之後、固未能一一合於古、卽『爾雅』亦多不足據。姑以釋故言之如「台朕賚畀卜陽予也」、「台朕陽」當訓予我之予、「賚畀卜」訓賜予之予、不得錯見一句中。「孔魄哉延虛無之言閒也。」郭氏注云「孔穴延魄虛無、皆有閒隙。餘未詳。」考之『説文』「哉、言之閒也」言之閒、卽詞助。然則「哉之言」三字、乃言之閒。「言」爲詞助、見於『詩』『易』多矣。「豫射厭也」郭氏注云「詩曰服之無射、豫未詳」豫葢當訓厭足厭飫之厭、射訓厭倦厭憎之厭。此皆掇拾之病。

 論文内では、この説への対抗として王引之『經義述聞』が出てくるわけですが、実は、この説に反応した学者は王引之より先に色々といますので、一部を紹介しておきます。

王鳴盛『蛾術編』卷三十三・説字十九・爾雅不可駮

 或疑『爾雅』雖古亦多不足深據者。如釋詁「台朕賚畀卜陽予也」、「台朕陽」謂予我之予、「賚畀卜」爲賜予之予、似誤合爲一。・・・(略)

 愚謂、或説非是、古人之字輒有相反爲訓者、如「亂爲治」「故爲今」「徂爲存」是也。反義且可訓、況異義而同字者乎。自當幷爲一訓、若分異之而兩言「予」也。一言「閒」一言「言之閒」、則重累矣。人飢則思食、飽則猒憎、猒从甘从肰、甘犬肉而飽也。故爲猒足、借爲厭憎、實一義也。『爾雅』與『説文』、皆斯文之幸存者、不可駮也。

 迮鶴壽注に、この「或疑・・・」が戴震であることの指摘があります。反訓でさえ訓詁として用いられるのだから、同字で異義が有る場合など全く問題ない、ということでしょうか。

 続いて、段玉裁。

段玉裁『古文尚書撰異』巻一上・堯典・都

 或問、「都」既訓於嘆之「於」哀都切、則與央居切之「於」義既殊而音亦絶異。何以『爾雅』類之為一。余曰、此易明也。此即「台朕賚畀卜陽予也」。一例「台朕陽」為予我之予、「賚畀卜」為賜予之予。今人予我讀平聲、賜予讀上聲、周漢人無此分別、予我讀上聲。顏氏籀、顧氏寧人皆詳之矣。古人以同音為用、故於嘆竝於是同為一條。予我偕賜予、不分區域、不特轉注明而假借亦明矣。張氏稚讓『廣雅』尚守斯法。自學者不求古音而『爾雅』難言矣。

 「予」は古くは音の読み分けがなかったのだから、同条に入れて問題ない、という理屈ですかね。

 論文では、ここの同条二義の訓詁の意見の相違を学問傾向の相違の話に持っていくのですが、ちょっと無理気味かと思います。

 

 以上、備忘録でした。

(棋客)