達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

バーナード・レジンスター『生の肯定―ニーチェによるニヒリズムの克服』

 最近、友人に薦められてバーナード・レジンスター著(岡村俊史・竹内 綱史・新名隆志訳)『生の肯定―ニーチェによるニヒリズムの克服』(法政大学出版局、2020)を読んでいました。まだ半分も読めていませんが、門外漢である私にも(ある程度)伝わるほどに明晰に整理されており、楽しく読み進めることができています。

 せっかくノートを取りながら丁寧に読んでいるので、ブログにも少し載せておこうと思いました。本書の序論の冒頭部分だけ、簡単に整理しておきます。

 レジンスターは、過去のニーチェ哲学の解釈方法には以下の二つの方法があったと述べます。

  1. ニーチェの著述の意図的な無秩序は、体系化するための中心的思想が欠けている証拠として、バラバラのテーマに分解してアプローチを試みる方法。
  2. ニーチェ哲学の中心学説を特定し、他の全てをその関係で理解しようとする方法(例:ニヒリズム・価値転換・パースペクティズム・力への意志永遠回帰・生の肯定)。

 レジンスターは、ニーチェの哲学は体系化することが可能であると考えますが、その際、どのように「体系化」するかということが問題になります。過去の研究では、概ね②の方法、つまり何らかの哲学的学説を中心に置く方法で解釈されてきました。しかしレジンスターは、ニーチェ哲学は「当時の問題・危機への応答」であると考え、その応答としての体系化を試みます。

 ここでいう当時の問題・危機というのが、即ちヨーロッパ近代におけるある特有の危機=「ニヒリズム」、となるわけです。つまり、レジンスターの立場では、ニーチェ哲学はニヒリズムに対する体系的な応答である、ということになります。

 すると、レジンスターの理解では、ニーチェの哲学的企図は「ニヒリズムを克服する術があるのかどうか」という点にかかってきます。これが本書が『生の肯定―ニーチェによるニヒリズムの克服』と題されている所以です。

 では、「ニヒリズム」とは何なのか?レジンスターは、ニヒリズムを二種類に分けて理解しています。

  1. 方向喪失のニヒリズム:「諸価値は客観的地位を欠くために無価値化した」→「本当に大事なものはない」→人生に意味を必要とする人間は方向喪失のニヒリズムに陥る。
  2. 絶望のニヒリズム:「我々の最高の諸価値は、この世界では実現されえないし、実現できるような世界も存在しない」と考え、絶望のニヒリズムに陥る。

 ②のように考える前提には、「神信仰(または形而上学的世界への信仰)の存在なしに、我々の最高の諸価値は実現されない」という想定があり、この条件下で「神・形而上学的世界が信用を失った」場合、我々の最高の諸価値は実現されないことになり、絶望のニヒリズムに陥ります。

 ニーチェは、「神の死」は是認していますから、ニヒリズムを克服するためには、「我々の最高の諸価値」とされてきたもの(典型的には道徳)を「価値転換」することが求められます。では、この「価値転換」とは何なのか、その内容は如何、というところで「力への意志」説が登場します。

 以上、序論の中でも前半部分を非常に簡単にまとめただけで、まだまだ続くのですが、今回はこのぐらいにしておきましょう。

 

 本書を読むと、博論の執筆をする上で、専門分野外の質の高い研究書を読むことは大切だと実感できます。特に、序論が明晰に整理されたものは、その書き方を真似したくなってしまいますね。

(棋客)