達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

呉叡人『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』(2)

 前回の続きです、今日は、呉叡人著(駒込武訳)『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』(みすず書房、2021)のうち、「比較史、地政学、そして日本において寂寞の内に台湾を研究するという営みについて」という文章を読んでいきます。

 本章は、2011年の日本台湾学会でのベネディクト・アンダーソンの基調講演に対する応答として、その弟子である呉叡人が発表したものです。 

 まず、第一節「「常にオリンポスの神々のように思考せよ」――比較歴史学の解放力」(p.94~)を読んでいきましょう。

 アンダーソン教授のナショナリズム研究のアプローチもしくは方法論は、比較歴史学、あるいは比較歴史社会学の一種と言いうるでしょう。しかし、それは単なる比較史の一種ではなく、地球規模の比較史です。つまり、一種の世界史的な比較分析だということです。このアプローチの重要な特徴は、鳥瞰的に眺めた歴史だということです。すなわち大局を捉え、同じような事件や現象が異なる地域で通時的に展開するばかりでなく、それらが共時的に結びついているものとして捉えるのです。ある特定の場所で発生した事件が、しばしばさらに大きな世界史的プロセスの一部ともなり、その過程に働くメカニズムとパターンを弁別し、解釈することが可能となるのです。数年前、師は手紙の中で、「常にオリンポスの神々のように思考せよ(Always Think Olympian!)とわたしを戒めました。……(中略)

 台湾と台湾研究にとって、このグローバルな比較歴史学という方法には、重要な、しかしながら相互に矛盾する意味が含まれているとわたしは考えています。ある意味では、それは人々を解放し、鼓舞する力を備えています。しかし、他方では限界もあり、人々に重苦しい思いをさせるものでもあります。わたし自身の台湾ナショナリズム研究を例に取りながら、この論点を説明してみたいと思います。

 ベネディクト・アンダーソンの研究法によって、台湾は解放され、鼓舞され、しかし同時に、重苦しい思いをさせられる、と言うのです。

 以下、まず一つ目の方向性を呉氏は説明しています。

 最初に、山頂からの景色が人々の心を解放する契機について語りたいと思います。……(中略)この(ブログ筆者注:比較政治学と歴史社会学の)方法には次のような特徴があります。第一に、常に比較することを前提としている点。第二に、アイデンティティの形成過程を歴史化しようとする点。第三に、たとえ限定的、部分的なものであるにせよ、ある種の規則性、モデル化、類型化を指向するということです。この三つの特徴は一体となって、強力な相対化もしくは脱魔術化(disenchantment)の効果をもたらします。

 例えば、オリンポス山頂から見たのでは、台湾ナショナリズムに固有のものと思われる問題から、神秘的でまた難解であるがゆえに神聖にも邪悪にも見えるユニークさ(それを神聖視するか邪悪視するかは個人の政治的立場により異なるとしても)をあっさりと剥ぎ取り、ひとつの解釈可能な社会学的現象へと完全に変容させてしまうのです。時間的に言えば、台湾ナショナリズムは特定の歴史的プロセス、すなわち近代国民国家形成の産物でした。空間的に言えば、それは特定の地域の、特定の歴史的時代における相互作用の帰結でした。すなわち、東アジア近代史もしくは世界史における国民国家形成とその拡張の過程で生じた、中心と周縁の交渉の結果だったのです。

 ……(中略)彼がわたしに与えてくれた格言、「常にオリンポスの神々のように思考せよ」という格言は、台湾(そして日本)について考える時の座右の銘となりました。この方法は、わたしの思想と感情に奇妙な解放的作用をもたらしました。わたしはこの方法のおかげで、さまざまな場面で顔を出す自分の狭隘な「当事者目線」(native's points of view)から脱却することができました。また、わたし個人としての過度な政治参加から生じたルサンチマンから解き放たれ、さらにより大きなコンテクストにおいて、少し離れた場所から台湾を眺めることができるようになったのでした。さらに、「世界」がわたしの視界に入ってくるにつれて、わたしは中国を相対化することができるようになり、自らの内に深く根を張った中華中心主義とその民族主義的なメタ・ナラティヴの桎梏を振り払うことができたのでした。こと台湾に関するかぎり、現代の西洋の社会科学者、人文科学者の思考の多くはこの桎梏にとらわれていました。好運にもわたしは比較歴史学によって解放されたおかげで、自らの台湾研究を「世界史における近代台湾の登場」として直截に定義することができたのです。こうした解放的作用は、かなり長きにわたってわたしの考え、感情にたいへんポジティブな影響を与えてきました。長い間わたしにつきまとってきた二つの亡霊、すなわち「祖国(台湾)」という亡霊と「帝国(中国)」という亡霊からようやく逃れることができたのです。

 比較政治学と歴史社会学の方法によって、「オリンポスの山頂から見る」、つまり、より大きなコンテクストから、少し離れた場所から台湾を眺めることができるようになった、というわけです。

 しかし、本書『台湾、あるいは孤立無援の島の思想』は、そうした明るく希望に満ちただけの書ではありません。むしろ、「孤立無援」という言葉が示しているように、また特に「賤民宣言」を読めばわかるように、台湾は結局帝国の狭間で息絶えてゆく存在なのではないか、という悲壮感に満ちた書でもあります。

 呉氏は、その悲壮感もベネディクト・アンダーソンが運んできたものなのだと述べます。続きを見てみましょう。

 しかし、物事は常にかくも幸せな相貌を見せるわけではありません。ここでわたしは、比較歴史学の効果の限界に目を向けようと思います。

 中国の台頭が現実のものとなって以来、グローバルな比較歴史学の視点によってもたらされるネガティブな心理的効果が、よりいっそう顕著に、そして切実な問題に感じられてきました。少し前までは、比較歴史学的分析は、わたしが台湾ナショナリズムの歴史的形成やその構造的起源を理解する上で大きな助けとなりました。これによってわたしは、台湾を複数の帝国の狭間において国民国家を形成した事例として理解することができたのです。しかしながら、それと同じ方法によって、つまり同じようにオリンポスの山頂から眺めるという方法によって、わたしはそうした歴史的構造が今やほとんど打ち破りがたいほど堅固なものになっているという現実を直視せざるをえなくなりました。すなわち、帝国の興亡盛衰は頻繁に繰り返される一方で、台湾が永遠に帝国の狭間にあって突破口を見出世ないという地政学上の事実は変えられないということです。言い換えれば、台湾が複数の帝国の影力が重なり合う周縁地域となっているという地政学的構造は、台湾ナショナリズムと台湾アイデンティティの誕生を後押ししたものの、同時にその完成を禁じてもいるのです。「賤民宣言」というわたしのエッセイに横溢する哀傷の念は、かくて毒薬のように徐々にわたしの全身全霊をむしばんでいきました。……(中略)

 わたしの師における比較歴史学の視座は、歴史認識において台湾を解放しました。しかし同時に、この島を別の大きな歴史、地政学という歴史の牢獄の中に再び閉じ込めることになりました。……(中略)

 「籠の中の鳥」としての台湾という歴史的構造は、打ち破る隙間が見えず、台湾が主体性を獲得する未来は有り得ないのではないか、という悲観に陥ったわけです。これに対するベネディクト・アンダーソンの見通しと、呉氏なりの回答が示されるのが次節です。

 比較歴史学的分析は、知的世界の地図には台湾のための場所を与えましたが、現実政治の地図においてはその場所を消し去りました。山頂から眺めるという方法によってもたらされたこの二つの啓示の矛盾は、どのように和解させることができるのでしょうか。わたしは困惑し、悲観的になっています。しかし本日わたしの師は、忍耐強くあれ、そして希望を失うなとわたしを諭しました。彼は言いました。運命の如く見えるものも所詮は偶然の産物に過ぎず、まったく付け入る余地のないように見える構造にもいつかはヒビが入り、突破口を見つけられる日がくるだろう。わたしたちはその亀裂が生じるのを座して待つべきではない。むしろ牢獄をこじ開けるために行動を起こすべきである。そのための適切な行動とは、堅実で、そして傲慢ではない(non-arrogant)自己認識を創造し、知的世界と政治的世界の双方において自己を確立し、拡張していくことだ。彼はこのように教えてくれました。

 この希望に満ちた予断にどれほどの説得力があるでしょう?正直に言って、わたしには分かりません。というのもわたしたちは、未来をはっきりと見通すには、かくのごとくあまりにも深く歴史の内部に縛りつけられているからです。しかし同時にわたしは、彼の「処方箋」の中にたしかに救済の可能性、窮境から脱する一筋の道を認めます。ほかならぬこの地点で、日本における台湾研究がわたしたちの議論の視野に入ってきて、高度な切実さをもつことになるのです。

 この文章は日本で行われた学会での発表をもとにしており、ここから、以上の話と関連させながら、日本で台湾研究を行うことの意義を説いていきます。

 呉氏は、日本で行われる台湾研究は、「台湾を外側から定義しようと企図する知的営為」だとしたうえで、台湾が「堅実で、傲慢ではない自己認識をつくりあげるため」に、台湾自身の台湾研究と、台湾の外側からの台湾研究が必要だと説きます。そして、日本が「自国で生まれた台湾研究」の長い伝統を保持し、いまなお活発に動いていることを指摘し、日本の台湾研究が外側からの台湾研究として重要な意味を担っていることを述べています。

 私は門外漢ですが、最後の部分は、日本の台湾研究者にどう聞こえたのでしょう。勇気を貰える言葉でもあり、また叱咤のようにも思えます。とにかく、自ら運動に身を投じ奮闘してきた経験を感じさせる、力のこもった文章です。

 みなさま是非お読みください。↓

(棋客)