達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

章炳麟と章学誠(3)

 今回は、前回の記事の最後に触れた章炳麟の講演原稿である「歴史之重要」を、もう少し読んでみることにしましょう。

 まず、前回紹介した部分を、私の方で日本語訳しました。

 経書史書の関係はとても深く、章学誠がいう「六経皆史」というこの言葉は正しい。『尚書』『春秋』はもと史書であったし、『周禮』は官制について記述し、『儀禮』は禮の儀節に詳しいので、みな史部に入れても構わない。(『章太炎全集』演講下、p.490-491)

 ここまでは、確かに章学誠の六経皆史説と似ているように見えます。

 ただ、ここから先の章炳麟の説明は、章学誠とは全く異なるものです。

 西洋のギリシャは韻文で書かれた記事があり、後世の人はこれを「史詩」と呼んだように、中国には『詩経』がある。『周易』については、人々はみな研精哲理の書であり歴史とは無関係というが、実は『周易』は歴史の結晶なのであって、今でいう「社会学」がこれに当たる。(『章太炎全集』演講下、p.490-491)

 といい、ここから『周易』が歴史の結晶だと言える理由を述べます。

 以下は、注釈を入れ込みながら訳したので、直訳にはなっていません。また、読みやすいように改行を加えています。

 乾坤は天地を代表し、序卦に「天地があってその後に万物がある」ので、乾坤の後には「屯」卦が続いている。

 「屯」は天地がまだ渾沌としている時で、(屯六三の爻辞に)「即鹿无虞」とあるのは漁猟や狩猟の証であり、(屯六二の爻辞に)「匡寇婚媾」とあるのは略奪や婚姻の証である。

 進んで「蒙」卦では、(卦辞・爻辞に)人の「童蒙」とあるように、徐々に文化が開明することの象徴である。この時にはおそらく女を娶る際に聘礼があり、(蒙六三の爻辞に)「(勿用取女,)見金夫,不有躬」とあるのは、財貨が略奪より優れていることを指す。

 次に「需」卦が続き、遊牧から農耕の段階に進んでおり、(「需」の卦辞に「需君子以飲食宴樂」とあるように、)飲食や宴会のことがある。飲食があれば必ず訴訟が起こるので、

 次に「訟」が続き、現代語で訳せばいわゆる「麺包問題」「生存競争」のことである。

 ここで団結する道を知り、よって次に「師」が続く。……(以下略)

 「屯」から「否」まで、社会の変遷の実情が、一目瞭然である。よって「『周易』は歴史の結晶だ」と言ったのである。(『章太炎全集』演講下、p.490-491)

 つまり、章炳麟は、『易』の卦の順序が、そのまま社会の発展の様子を示しており、社会の歴史を反映していると言いたいわけです。

 以上の内容は、「歴史之重要」という講演テーマだからこそ、経書の全てを歴史に収斂して説明するためにこうした議論になっているだけで、「これこそ章炳麟の六経皆史説の中身だ」と言えるものではないようにも思えますね。

 

 ちなみに、章学誠も「六経皆史説」といったときに最も抵抗を感じられるであろう「『易』が史である」という事柄の説明を、『文史通義』の冒頭で行っています。章炳麟も『易』の説明に最も力を入れているわけで、このあたりの共通点は面白いところです。

(棋客)