達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

洪誠『訓詁学講義』より(1)

 最近、洪誠(森賀一恵・橋本秀美訳)『訓詁学講義―中国古語の読み方 (中国古典文献学・基礎篇)』(アルヒーフ、2004)を読み返していました。

 本書は、漢文の読み方をいわゆる「訓詁」から丁寧に解き明かした、日本語で読める数少ない本の一つです。何度読んでも抜群の解説にうならされる本で、読み返すたびに新しい発見があります。

 細かい事例は次回以降紹介するとして、今回は、唯一無二の本書の特徴がよく出ている一段を見ておきましょう。第二章「訓詁に関わる文言の基本状況」のうち、第三節「伝写の誤り」の項目、現在伝わる版本には誤写によってさまざまな誤りが生じていることを説くところで、下はそのまとめの部分です。

 上述のような状況を見れば、古書には誤字が多すぎて、テキストが当てにならず、読もうと思っても、まず手間をかけて校勘しなければ、郢書燕説の故事のように誤った文字から誤った理解を生む結果になって、意味がないことになる、と思われるかもしれない。このような考え方は、一つの本を専門に研究する場合には当然であり、問題の是非を左右する重要な箇所についても必要となるが、一般の基本書を読む場合には不必要である。一般に、それなりにまともな版本であれば、大抵、先人の丹念な校勘を経たもので、誤字はそれほど残っておらず、それに気が付かなかったとしてもあまり問題にはならない。読書において大切なのは、糟粕を除き、精華を吸収することなのであって、揚雄のような大学者も「訓詁は通じ、大意を挙ぐるのみ」という態度であった。校勘には専門家がいる。まず校換してから読むという方法はよいことはよいが、昔も今も、普通の読書にこのような要求をするのは、現実的ではないし、必要もない。(p.59-60)

 このように、洪氏は、理想的で最善の方法や、特徴的な訓詁の操作などを説明しながらも、同時に、普通の場合にはそうした方法を用いてはならない、ということも説きます。

 同様の例として、「日本語版あとがき」で橋本秀美氏が出しているのは、訓詁における仮借字の話です。考証学者の成果の一つに、漢字の音の共通性から仮借字を見抜いて、それまで意味の通らなかった文章を次々と読み明かした、というものがあります。しかし、音が同じだからといって、好き勝手に漢字を置き換えてよいわけでありません。あくまで、稀な例として仮借字の読み替えが必要なのであり、普通は漢字からそのまま意味を取って読まなければならない、と洪氏は説いています。

 

 こういったところから、洪氏が実直に漢文を読み続けてきた人であり、そして本書はその経験が飾らずにそのまま言葉になったものだとよく分かるのではないでしょうか。

 次回は、具体的な事例に対する解説をみていきます。→洪誠『訓詁学講義』より(2) - 達而録

(棋客)