達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

章学誠と劉咸炘

 最近よく取り上げている章学誠について、まだまだ読んでいきましょう。

 章学誠(1738~1801)は、生前にはその学問は今一つ理解されず(というよりそもそも読者がおらず)、後になってから読者を獲得し、一躍脚光を浴びた学者です。その経緯は、井上進「六経皆史説の系譜」(『明清学術変遷史』所収)などで詳しく述べられています。

 そんな章学誠のよき読者の一人に、劉咸炘(1896~1932)という学者がいます。彼は四川の出身で、章学誠に深く傾斜し、西洋的な学問の潮流を受け取りながらも、六藝を主軸に据え、さまざまな分野に亘る研究を行った人です。筆者も最近読み始めたばかりですが、なかなか読み応えのある文章を残しています。

 劉咸炘が特に重視したのが、前回紹介した『文史通義』の「博約」篇です。劉咸炘は博約篇の重要性についてあちこちで言及しているのですが(そのものズバリ「廣博約」と名付けられた文章もあります)、ここでは彼が『文史通義』について箚記の形式で知見を記した『文史通義識語』から、博約篇についての言及を観ていきましょう。

博約上

 章炳麟謂文史通義遺害甚大,後生讀之,但知抵掌談六藝諸子,繙閱書錄而無所歸宿。此弊誠有之,皆坐不讀博約篇耳。豈得謂通義遺害。通義者,提綱挈領之書,本不謂學盡於此書也。

 章炳麟は「『文史通義』は大きな害を残し、後の学者がこれを読んでも、ただ経書諸子百家について盛んに談じることだけを知り、目録を読んでも帰するところがない」と言った。この問題点が本当にあるとすれば、それはみな何もせずに博約篇を読んでいないだけなのだ。どうして『通義』が害を残したなどと言えるだろうか。『通義』とは、綱領を引っ提げる書であって、もともとこの書に学問が尽きていると言っているわけではない。

 章炳麟と章学誠の関係については、以前、色々と調べて記事にしました。まだ調査は足りていないですが、少なくとも章炳麟による直接の章学誠への言及を見る限りでは、章炳麟は章学誠をマイナスに評価することが多いようです。(島田虔次は章学誠から章炳麟の連続性を強調していますが。)

 前回、章学誠の王應麟評価について取り上げましたが(章学誠と王應麟 - 達而録)、その部分について、劉咸炘『文史通義識語』には以下のように書かれています。

博約中

 學固不廢記誦,王伯厚之搜輯,亦自有得力處,觀漢制考序可見。然何義門已詆伯厚,不免詞科習氣矣。考據家習伯厚之風,好搜僻書而飣餖,無主腦,此文正為之而發。吾嘗謂劄記書多而學衰。

 学問はもともと暗記・暗誦を無用のものとするわけではなく、また王應麟の文献収集が力を注いだものであることは、彼の『漢制考』序を見れば分かる。しかし、何焯がすでに應麟を批判したように、(應麟の学に)科挙の気風があることは否めない。考証学者は應麟の学風に習熟し、あまり読まれない本を探索することを好み、やたら余分なものを付け足し、重要なところがない。この(章学誠の)文章は、このために書かれたのだ。私はかつて「劄記の書が増えて学問が衰えた」と言ったことがある。

 劉咸炘、なかなか読み応えのある人です。今日紹介したところは、「章学誠を理解する上で参考になるなあ」ぐらいのものですが、他の部分ではまた色々と面白いことを言っています。特に、章学誠を受けながらも、章学誠と異なる主張をしている部分について分析していくと、面白いものが出てきそうです。

(棋客)