達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

劉咸炘『中書』三術篇(上)

 前回紹介した劉咸炘が書き記した文章は、『推十書』という本にまとめられています。その冒頭に入っているのが『中書』という本で、その冒頭が「三述篇」です。

 これも何かの縁ですから、少しだけ劉咸炘の言葉を読み進めてみましょう。訳は私の試訳ですが、直訳になっていないところもあります。

  劉咸炘曰:咸炘,讀書人也。讀五經、諸記、四子書,讀司馬遷、班固以降之書,讀漢、晉、唐、宋之篇翰,旁及小說、詞、曲亦讀焉。讀之之法,出於會稽先輩章實齋。實齋之言曰:「讀其書,知其言,知其所以為言。人知《易》為卜筮之書,孔子讀之而知作者有憂患;人知《離騷》為詞賦之祖,司馬遷讀之而悲其志」。孔子曰:「夫言豈一端而已哉,夫各有所當也」,又曰:「辭也者,各指其所之」,此其所以知《易》也。司馬遷曰:「好學深思,心知其意」,此其所以知屈原也。

 わたくし劉咸炘は言う。咸炘は、讀書の人である。五經・さまざまな記録・四書を読み、司馬遷・班固以降の書を読み、漢・晉・唐・宋の篇巻を読み、他は小說・詞・曲もやはり讀んだ。その讀書の方法は、會稽の先輩である章實齋(章学誠)に由来する。實齋の言葉に「その書を讀み、その言葉を知り、その言葉がどのように書かれたのかを知る。人々は『易』が占いの書であることは知っているが、孔子はこれを讀んで作者に憂いの心があると分かった。人々は「離騷」が詞賦の祖であることは知っているが、司馬遷はこれを讀んでその思いに心を痛めた」とある。孔子は「言葉とは、ただの一面に過ぎないものではない。それぞれに対応するものがある」といい、また「言葉というものは、それぞれその行き先を指す」という。これが、孔子が『易』のことを理解できた理由である。司馬遷は「學を好み深く考え、心でその意味を分かる」という。これが、司馬遷屈原のことを理解できた理由である。

 一言で言えば、本を読み、その内容を理解するためには、「その人がそのときなぜその言葉を紡いだのか」という点に着目せねばならない、ということです。

 上の文のなかに、さっそく『文史通義』の引用があります。これは、知難篇に「讀其書,知其言,知其所以爲言而已矣。讀其書者,天下比比矣;知其言者,千不得百焉。知其言者,天下寥寥矣;知其所以爲言者,百不得一焉。然而天下皆曰:我能讀其書,知其所以爲言矣。此知之難也。人知《易》爲卜筮之書矣;夫子讀之,而知作者有憂患,是聖人之知聖人也。」とあることに拠っています。

 Kyoto University Research Information Repository: 『文史通義』內篇四譯注に従って、この部分の『文史通義』の訳を下に掲載しておきます。

 「その書を讀み、その言葉を知り、その言葉が何故書かれたのかを知ることだけである。その書を讀む者は世閒にいくらでもあるが、その言葉を了解する者は千に百もいない。その言葉を了解する者はわずかであるが、その言葉が書かれた理由を了解する者はその内の百に一もいない。しかも世閒では、その書を讀むことができ、その言葉が書かれた理由を知っていると皆が言う。これが了解することの難しさである。人々は『易經』が占いの書物であることを知っている。孔子はこれを讀んで、作者の憂いを了解したが、これこそ人が人を了解するということである。人々は「離騷」が詞賦の源であることを知っている。司馬はこれを讀んで、その思いに心を痛めたが、これこそ賢人が賢人を了解するということである。」

 劉咸炘は、ここで章学誠が出した孔子司馬遷の例を、さらに二人の実際の言葉を加えて補強しているわけです。ちなみに、それぞれ『孔子家語』公西赤問、『周易』繫辭上、『史記』五帝本紀・帝舜・太史公賛に典拠があります。

 以下、続きを読んでいきます。

  孔子論《春秋》曰:「其文則史,其義則丘竊取之矣」。司馬遷曰:「《春秋》推見至隱,《易》本隱以之顯」。孟子,學孔子者也。其言曰:「說《詩》者,不以文害辭,不以辭害志。以意逆志,是為得之」。又曰:「頌其詩,讀其書,不知其人可乎?是以論其世,是尚友也」。《書》曰:「詩言志」。《詩序》曰:「主文」。夫顯者,言也,文也,辭也;隱者,義也,志也,意也。許慎曰:「詞,言外而意內也」。何以知其言?曰:知其志。何以知其志?曰:知其人。何以知其人?曰:論其世。不知其志而欲知其言,逐流失而不見源起,故學術門戶水火而莫衷於一是也。不論其世而欲知其志,不設身而處地,徒苛深而不精析,無資於法戒也。

 孔子は『春秋』を論じて「その文は史官が書いたもので、その義はわたくし孔丘がひそかに選んだものだ」と述べた。司馬遷は「『春秋』は出来事を明らかにして微文に記し、『易』は隱微の文に基づいて(意を)明らかにする」と言った。孟子は、孔子を学んだ者である。その言葉に「『詩』を説く者は、文字によって言葉を損ねてはならないし、言葉によって(詩の)思いを損ねてもならない。意味から詩の思いを迎えると、正しい説を得られる」といい、また「その詩を謡い、その書を読むときに、その作者のことを知らずにいてよいものだろうか。そこで当時の世情のことを論じ、古人と友になるのだ」という。『書』に「詩は思いを言う」という。『詩』大序に「文を主にする」という。外に明らかなものは、発言であり、文字であり、言葉である。内に隱されているものは、意味であり、思いであり、意圖である。許慎は「詞とは、内の意味が外に言葉として現れたものだ」という。どのようにして、その言葉を理解すればよいのだろうか。答えは、作者の思いを知ることである。どのようにして作者の思いを知ればよいのだろうか。答えは、その人のことを知ることである。どのようにしてその人のことを知ればよいのだろうか。答えは、その世情のことを論じることである。作者の思いを知らずにその言葉を理解しようとすれば、そのまま正しい意味は失われて由来が見えなくなり、學派が分かれて一つに統一できなくなってしまう。その世情を論じずにその思いを理解しようとすれば、その人になりきって地に足を付けることができず、ただ深く穿鑿し精彩を欠き、戒めとするには足りない。

 最初の孔子の言葉は、『孟子』離婁下に引かれるもの*1司馬遷の言葉は『史記』司馬相如・贊に「春秋推見至隱,易本隱之以顯,大雅言王公大人而德逮黎庶,小雅譏小己之得失,其流及上」とあります。なかなか読みにくいですが、『史記集解』の韋昭注は「推見事至於隱諱,謂若晉文召天子,經言『狩河陽』之屬」、「易本隱微妙,出為人事乃顯著也」などと説明しています。

 孟子の言葉は、『孟子』萬章上に「故說詩者,不以文害辭,不以辭害志。以意逆志,是為得之。」とあり、朱子注の「言說詩之法,不可以一字而害一句之義,不可以一句而害設辭之志,當以己意迎取作者之志,乃可得之」という説明が分かりやすいですね。

 もう一つの孟子の言葉は、『孟子』萬章下に「孟子謂萬章曰:一鄉之善士,斯友一鄉之善士;一國之善士,斯友一國之善士;天下之善士,斯友天下之善士。以友天下之善士為未足,又尚論古之人。頌其詩,讀其書,不知其人,可乎?是以論其世也。是尚友也」とあります。「論其世」について、朱子注は「論其世,論其當世行事之跡也」と述べますが、劉咸炘は当時の世情、社会といった文脈でとらえている気もします。

 『説文解字』の引用は、九篇上・司部に「詞,意內而言外也。从司言」とあり、段注は「司者、主也。意主於內而言發於外」と解説しています。

 

 最後の、「何以知其言? 曰:知其志。何以知其志? 曰:知其人。何以知其人? 曰:論其世」という自問自答の畳みかけに、劉咸炘がここで伝えたいことの主旨が見えますね。

(棋客)

*1:孟子』離婁下「王者之迹熄而詩亡,詩亡然後春秋作。晉之乘,楚之檮杌,魯之春秋,一也。其事則齊桓、晉文,其文則史。孔子曰:『其義則丘竊取之矣。』」、朱注には「史,史官也。竊取者,謙辭也。……蓋言斷之在己,所謂筆則筆、削則削,游夏不能贊一辭者也」とある