達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘『中書』三術篇(下)

 前回の続きです。省略を加えながら、最後の二段を読むことにしましょう。このあたりから、「ああ、劉咸炘は確かに章学誠の読者だったのだな」と思わされる内容が出てきます。

  章先生之書,至精者一言,曰:「為學莫大乎知類」。劉咸炘進以一言曰:「為學莫大乎明統,明統然後能知類」。類族辨物,必本於四象兩儀也。請略舉學文所得以明之。諸子統於老、孔,校讎論文統於《七略》,史法統於三體,詩派統於三系。明於老、孔而後諸子之變可理;明於《七略》而後四部可治,文體可辨;明於三體而後史成體;明於三系而後詩合教。宋儒能知諸子之非而不歸統於老、孔,故武斷而不信。紀昀能理後世之四部,姚鼐、曾國藩能分後世之文體,而不歸統於《七略》,故偏漏而不完。後更不知究《尚書》、《春秋》、紀傳之變,故勞於整齊而不能立言;詩家不知究《風》、《雅》、《頌》、《騷》之別,故逐於韻藻而不能達志。

 章先生の書に、精確さを究めた一言があり、「學問を修めるうえで大事なことは、類を知ることにある」という。わたくし劉咸炘が一言進めて言うと、「學問を修めるうえで大事なことは、系統を明らかにすることであり、系統が明らかになると類を知ることができる。同類のものを集めたり区別したりすることは、必ず四象(金・木・水・火)と兩儀(天地)に基づく」という。以下、私が学んで得た例を列挙し、このことを明らかにさせてほしい。諸子は老子孔子に統括され、校讎や文を論じることは《七略》に統括され、史法は三體(編年体紀伝体・紀事本末體)に統括され、詩の流派は三系(興・比・賦)に統括される。老子孔子を明らかにすると諸子の変遷を秩序立てることができる。《七略》を明らかにすると四部を整理し、文體を区別することができる。三體を明らかにすると史書の体例を組み立てられる。三系を明らかにすると詩は教化と合わさる。宋儒は諸子の正しくないところを知っているが、(諸子を)老子孔子に系統付けることができなかったため、武斷であり正しくない。紀昀は後世の四部を整理でき、姚鼐・曾國藩は後世の文體を区別できたが、《七略》に系統付けることができなかったため、偏りがあって疎漏であり、完全なものではない。さらに『尚書』『春秋』や紀傳の変遷を探究することを知らないので、整理に労力をかけても立派な学説を立てることはできない。詩家は風・雅・頌・騷の区別を探究することを知らないので、詩詞を追いかけても思いを把握することができない。

 冒頭の章学誠の言葉は、たとえば『文史通義』易教下に「物相雜而爲之文,事得比而有其類。知事物名義之雜出而比處也,非文不足以達之,非類不足以通之,六藝之文,可以一言盡也。夫象歟,興歟,例歟,官歟,風馬牛之不相及也,其辭可謂文矣,其理則不過曰通於類也。故學者之要,貴乎知類」とあります。「Kyoto University Research Information Repository: 『文史通義』内篇一譯注」を利用させていただいて、訳を載せておきましょう。

 「「モノは互いに関わり合い」(『周易』繋辞下伝の語)文(あや)をなし、コトっはあい並んで類(なかま)をなすもの。(かくして)モノとコトの名義が、互いに関わり合い集まりをなすことが分かり、文がなくては伝えることはできず、類がなくては通じさせることはできぬもので、六藝の文章も、一言によっては覆いつくすことができるのだ。そもそも、(『易』の)象といい、(『詩』の)興といい、(『春秋』の)義例といい、(『周礼』の)職官といい、「馬や牛を勝手に繁殖させて、人は関わらない」(『春秋左氏伝』僖公四年の語)といったもので、(すなわち一見するとまとまりがなく管理されていないが、)それらの経書の言葉遣いは文と称すべきであり、そこにこめられた理とは「類に通ず」ということに過ぎない。それゆえ学者の肝要事は、類を知ることにある。」

 学問は「類」を知ることにあるという話。「類を知る」ためには、そもそもの分類方法についても考えていくことにもなります。これはまさに、「目録学」そのものですね。

 ……統莫大於六藝。六藝者,《七略》之綱,老之所傳,孔之所定。三體三系,又六藝之一也。子莫超於莊周,而《天下》一篇,首論六藝;史莫工於馬遷,而《序》論《易》、《春秋》之隱顯。故章先生之明六藝,其功偉矣。學譬如屋焉,諸學專門之精,猶之楹欂櫨,各有其用,蔽不自見;苟見,其各有所安。不飾其短而沒其長,不強所不知而自大所知。如居屋中而目周四隅,大體具見,已為通矣。若通乎六藝之流別,乃升屋極而觀上下四旁,方圓之至,皆定於一。又譬之行禮樂焉,諸學專門之精,譬如鍾師磬師;通於六藝之流別,則小宗伯辯位贊儀,指揮群工,各從其類者也。譚獻者,善述章先生者也。其言曰:凡文字無大無小,有正變即有家數。正變即源流,源流即統也。不明乎此,則枝枝節節,徒勞而不通矣。……

 ……系統として、六藝より大きなものはない。六藝は、《七略》の大綱であり、老子が傳え、孔子が定めたものである。三體・三系もまた、六藝の一つである。諸子では荘子が最も優れているが、天下篇は、最初に六藝を論じる。史家では司馬遷が最も優れているが、太史公自序では『易』と『春秋』の隱された義・明らかな義を説く。よって章先生が六藝を明らかにしたのは、その功績は偉大である。學ぶことを建物に譬えると、諸學・專門に詳しいことは、屋根の欂櫨(柱の上で梁を支える木)のように、それぞれに使いどころがあるものの、覆われて見えることはない。仮に見えたとしても、それぞれが分に安んじ、短所を飾ったり長所を無くしたりはせず、知らないことを強めたり知っていることを大きくしたりすることもない。建物の中から、四隅をぐるっと見渡せば、概ねはっきりと見えて、通じることができる。もし六藝の流行や区別に通じたなら、屋根の棟木に昇って上下四方を見るようなもので、全ての範囲が見えて、一つに定まる。禮樂を行うことに譬えると、専門の学に詳しいのは、鍾師・磬師のようである。六藝の源流に通じているのは、小宗伯が位を定めて儀礼を司り、多くの工人に指図し、それぞれが類に従うようなものである。……

 劉咸炘は章学誠の言葉をあちこちで引用していますが、特にこうした学問の方法論を語る場面でよく用いているようです。すると、ここから劉咸炘が実際にどのように学問を展開したか、ということが気になります。『推十書』の目次を見ると、劉咸炘の研究対象の幅広さに驚かされますが、これらを読みこなすとなると相当な時間がかかりそうです。

(棋客)