達而録

中国学を志す学生達の備忘録。毎週火曜日更新。

劉咸炘の目録学講義(3)

 引き続き、劉咸炘「目録学」上編から、今回は「部類」篇を読んでみます。

 部類は、目録学のなかで最も重要なことで、いわゆる「辨章学術、考鏡源流」のことでさまざまな学問に関わり、最も大きなものである。この中には原理があって、それぞれの議論が集まるところであって、わずかに考証から体例を見出すだけの他の学問とはわけが違う。部のなかが類に分かれ、類のなかが子目に分かれ、明らかに掲げられるもののなかに暗黙の順番があり、学派を秩序付けていて、その緊密さは律例に並ぶものである。これまでの公・私の目録は、いずれも自らの考えによって進められ、区別がまざっており、一つ一つを明らかにしようとしても、どうしようもないものだ。

 校讐という専門の学は、廃れて久しく、条理を尽くした専門書も存在しない。私は、早くから目録学を究めたいという心があり、かつて『続校讐通義』二十篇を著し、古くは劉氏父子、鄭・荀・王・阮に遡り、歴代の正史の経籍志・藝文志を正し、鄭を批判し章を正し、紀・張の意図を汲みあげ、一つ一つの部目を定めてきたが、まだ定論と呼べるものではない。いまここで講義するのは、ただその源流と部類の大略だけで、もし細目についての研究したいのなら、私の本に書かれており、そこに取るべきことがあるかもしれない。

 ここから、劉咸炘は鄭樵、劉歆などを引き、分類の意義を述べ、劉歆から提要に至る大きな目録の流れを整理し、六部→四部の変遷を表に整理しています。

 それと同時に、隋書経籍志以後(つまり四部分類の確立以後)にも、四部の方法を用いない目録があることを述べます。以下がその例です。

  • 李淑(宋初)『邯鄲図書志』
    四部の他に藝術・道書・書・畫の四類を立てる。
  • 鄭樵『通志』藝文略
    全体を十二類に分ける(経・禮・樂・小學・史・諸子・星數・五行・藝術・醫方・類書・文)。
  • 鄭寅『書目』
    全体を七類に分ける(経・史・子・藝・方技・文・類)。

 次に劉咸炘は、明代の目録から、同じく四部分類を用いていない例を紹介し、その分類法に批判を加えています。そして「提要」以後の例として、孫星衍『孫祠書目』(十二部の分類)、章学誠『和州志藝文書叙例』などを挙げます。

 ここから、章学誠『校讐通義』宗劉篇、劉咸炘『続校讐通義』通古今、治四部などを引き、六部と四部の関係性などについて述べていきます。

 

 さて、前にも述べましたが、この「目録学」という著述は、劉咸炘が校讐学・目録学について学生たちに教えるために作ったものです。この数年の後、劉咸炘と似たような志から目録学の講義をしていたのが余嘉錫です。余嘉錫は、『目録学発微』で以下のように述べています。

 吾國學術,素乏系統,且不注意於⼯具之述作,各家類然,⽽以⽬録為尤甚。故⾃來有⽬録之學,有⽬録之書,⽽無治⽬録學之書。

 目録学について、系統的で全体に渡った専門書がないことを憂い、学生向けの教科書的なものを作った劉咸炘と余嘉錫、似たものを感じますね。

 

 この記事は、もう少し整理してお示しするつもりだったのですが、「部類」篇は想像よりかなり長く、全く読み切れませんでした…。今日はこの辺で。

(棋客)