山家悠平『生き延びるための女性史―遊郭に響く〈声〉をたどって』(青土社、2023)を読んだ。殺気迫る珠玉の論考の数々で、まさに「生き延びるため」に書かれた本、言い換えれば、言葉を綴らなければ社会に殺されると実感している人の叫びが、ひしひしと伝わる本だ。今回は、第一部「生活を形作るさまざまな〈声〉」の第一章~第三章から、内容を紹介しつつ、自分が感じたことを書き添えていく。
第一章「たったひとりにさせない/ならないために―危機の時代の分断をこえて」
この章は、新型コロナウイルスの流行により、国から緊急事態宣言などが発出されていた時期に、「未知のウイルスへの恐れが広がる中で、さまざまな状況を生きる人間への想像力が急速に失われ、人間が単にウイルスの媒介者としてしかイメージされなくなること」(p.23)を危惧して書かれた。友人のゲイの「普段から生を制限されている感覚や、政治に対する不信感が強くあるからかどうかわからないが、あまり世の中で何が起こってもなにも感じない面もある」という言葉に導かれ、著者は雇い止めに遭った非正規労働者の当事者としての〈声〉を紡いでいく。
この政府や社会は、非正規労働者をとっくに見殺し続けてきた。新型コロナウイルスにかこつけて、「感染を広げないために」「命を守るために」と言われても、何も響かない。人間の命をさんざん軽視してきたのに、どの面を下げて、「あなたの行動が人を殺す」などと言うのだろう。
つまり、新型コロナウイルスの流行によって、苦境に立たされた人、生じた断絶、拡大した格差があるのだけれど、これらは「これまで常にこぼれ落ちてきた人たちが、危機の時代には真っ先に見捨てられていく」ことを示すに過ぎない。もともとあった矛盾が、緊急時により露わになったということである。
著者はここから、自身がひもといてきた遊郭の女性たちの歴史を参照する。近代公娼制度は、明治政府による女性たちへの隔離政策である。これらの政策は、それ自体が人権侵害というだけではなく、スティグマ化し、差別の生成につながっていった。
1920年代、遊郭にいた森光子の言葉には、「自分ほど賤しい者はない」という自己否定の叫び、内面化した自身への差別が明らかにされている。しかし、森はここから、理不尽な社会への怒り、遊郭からの逃走と体験記の出版へと歩みを進める。著者は以下のようにまとめている。
病への恐れが、特定の職業や集団と結びつけられるとき、容易に差別に転化する。危機を煽り隔離を求める言説には、必ず差別の萌芽があるということに、わたし(たち)は注意深くあらねばならない。(p.31)
私はこの文章を読んで、この国にある入管の存在を思い起こした。境界線を引き、国籍という虚構で人を分断し、特定の集団を隔離する。その背景には危機を煽り隔離を求める言説があるし、またこうした措置がとられることで、隔離を求める言説を強固にしていくという悪循環がある。そして、この言説から生じた差別は日常の場で噴出する*1。また、以前ブログで取り上げたように、日本が在日朝鮮人に対して取ってきた政策とその後の在日差別も想起させられる。
ではわれわれにできることは何かと考える。結局は、こうした国家政策に反対する意思表示をしていくことと、その理念を日常の振る舞いの中で実践していくことしかないだろう。日常の中に潜む、また自分の頭の中に潜む、属性や所属によって境界線を引く思考回路に対して*2、いかに抵抗していくかということか常に試されているのだと思う。
第二章「だれが教育を殺すのか―大学非正規職員雇い止めの荒野から」
大学当局が、学生との合意を一方的に破棄し、自治の実践を敵視するという異常事態が、吉田寮では繰り広げられてきた(吉田寮についてもこのブログで何度か取り上げてきた)。吉田寮で起こっていることは、著者が当事者として目の当たりにしてきた、大学による非正規労働者雇い止めと重なるものである。
著者は、京都精華大学での非常勤講師の10年目に雇い止めに遭った。そこで、労働組合を作り、更新上限に反対する運動を始めた(専任教職員組合は頼りにならなかった)。数少ない成果として「再応募」の権利を交渉で得たが、選考で落とされて、何の意味も無かった。
運動の過程で、著者は食堂の前に小屋を建てて、食事を提供しながら、語り合う場を作った。理論やスローガンより、素朴な実感や柔らかい言葉を大切にしたい、という思いがあった。その後には貸本カフェに変化し、卒論の相談・博論の推敲なども行う場所になった。さまざまなイベントを開催し、充実した日々ではあったが、大学との交渉は結局うまくいかなかった。*3
非正規雇用の導入によって、大学の職場の状況が改善されるわけではない。というより、ノウハウのある人が定期的に入れ替わってしまうので、むしろ専任にとっても非正規にとっても負担が大きくなり、職場環境を悪化させたと言うべきである。大学職員のAさんの職場の例が以下である。
- 専任職員六人
- 契約社員七人
- 大学の関連会社からの出向六人(社員四人、時給のパート二人)
- 満期を迎えた事務契約社員を、関連会社の出向に置き換える動きが進んでいる。理由は、事務契約社員の中に人事部長に職場の状況改善を訴えた人がおり、「文句を言わない」関連会社スタッフに置き換えられた。
- 結果、仕事を覚えた職員が次々にやめていくという状況になり、専任職員にとっても過大な負担がかかる。
- 職員たちはみな過労死寸前まで頑張っている。
- しかし、システム自体を変えるために労力を使うという発想にはならない。
Aさんは、職場の人に「Aさんが辞めたあとも、脳だけハードディスクに移行したいですね」という言葉をかけられた。正規と非正規の分断が自然なものになりすぎていて、人間扱いしないことが普通になってしまっている。同じ大学で働く人間に、理由も分からない雇い止め通告をするのはどんな気持ちなのか、人の生活を想像できているのか、という疑問を著者は提示する。分断は、人の想像力を奪っていくということだ。
その後、著者は大手前大学学習支援センターで再度雇い止めに遭った。交渉の結果、雇い止めの撤回を勝ち取ったが、これもたまたま今回雇い止めにならなかったというだけで、不安定な半年更新の非正規労働者であることに変わりは無い。この実際の交渉の様子はとても参考になる(p.55-57)。前回、非常勤講師の雇い止めについての判例がいくつか載っているブログを紹介したが、こうした実例は本当に役に立つ。
著者は、京都精華大での雇い止め前日、このような言葉を残した。
ほんとうの悲劇は、こんなにもまったく無意味にひとが使い捨てになっていく状況が悲惨なものであると、おおくのひとがまだ気づいていないことだ。それでも、いつだって手遅れということはない。(p.44)
とは書きながらも、雇い止めに遭い「手遅れ」になる人が現在進行形で増え続けているということは事実である。では、現実に、専任教職員に何ができるのか。著者は以下のように述べている(p.61-62)。
- 必要なのは「象徴的な動作」ではなく「現実の行為」である。
- つまり、目の前の非正規の「ジェノサイド」をやめさせることが必要。
- まず、大学の中のどこに非正規がいるかを知り、話を聞く。
- 言うまでも無く、「ずっと続けられる仕事じゃない」「新しい仕事が早く見つかるといいね」といった言葉をかけてはならない。
- 組合は、非正規の時給の値上げを要求するより、非正規がいつまでも職場に残れるように闘うべき。
- 大学の危機や崩壊を嘆いたり、警鐘を鳴らしたりする前に、事務室で出張書類を受け取った派遣の職員が十年後もそこで働ける方法を考える方がいい。
「非正規の時給の値上げを要求するより、非正規がいつまでも職場に残れるように闘うべき」という指摘は、本当にその通りだと思う。半年ごとや一年ごとに契約更新が必要で、いつ雇い止めになるか分からないという状況の人は、社会が変わるのをゆっくり待ってはいられないし、「システムがこうなっているから仕方ない」なんて嘆いてもいられない(こういう「嘆き」の言葉は、専任教員の多い懇親会などで本当によく聞こえてくるが、そこから実際に行動に移す人はごくごく少ない)。社会問題に対して、待ったり、嘆いたりできるのは、あなたに特権があるからに他ならない。気付くことができたのだから、次はその特権を使ってほしい。
第三章「クィアがここに住んでいる―不可視化に抗して」
この章は、著者がアンティオーク大学に留学していた時の体験を書きながら、(クィアとして)生き延びてきた筆者の実感や違和感を記すものになっている。
1998年、シェパードというゲイが殺された。異性愛中心主義の社会では、たとえばレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーなどとして生きていると、あらゆる場所で暴力と直面する。こうした状況下で、アンティオーク大学では、クィアコミュニティや学生たちが、日常的なキャンパスライフのなかの暴力に対して声を上げ、状況を変えるために行動していた。たとえば、人種的マイノリティ、セクハラ、摂食障害、女性の身体イメージなどを考えるためのスペースを運営する女性センターなど、さまざまなグループがあったという。
著者は、ある日、クィアのダンスパーティに参加したが、そこは主に女装した新入生が騒ぐ場所になっていて、「どうも変な感じ」を覚えた。その直後、「アンティオークはクィアフレンドリーじゃない」という学内新聞への投書があった。投書では、学内の異性愛者を中心とした「クィアフレンドリー」なポーズの欺瞞性が批判され、パーティがクィアを性的な存在としてしか見ていない異性愛者たちに乗っ取られたと指摘されていた。人々が「変な目で見る」視線の問題、異性愛規範の押しつけに対するいらだち、クィアを性的な存在としてのみとらえる視線の暴力性が表明されている*4。
この頃に開かれた学内集会では、このような発言があった。
歴史的にいって、被抑圧者たちのグループはそれぞれのグループ同士が対立するように仕向けられ、自由を求めるたたかいは分断されてきた。抑圧者は自らの権力を維持するために伝統的にその方法を使う。わたしたちは、そんな痛みに満ちた、無益な歴史をたどるべきじゃない。このアクションの目的は、クィアひとりひとりの声を共有し、対立をこえた連帯を築くことだ。(p.75)
ここで行われてきた反ヘイトのアクションは、「多様な経験の語り合い」を基礎としていた。多様な経験が異性愛者を含めたコミュニティ内で共有され、そこで生活する性的少数者が安全であると感じられる空間を作ることが目的である。「経験を語ること」は、当事者のエンパワメントになると同時に、異性愛を自明とする社会的な視線との直接的なたたかいでもあり、分断された当事者の孤立感を無くすことにつながる。これを読むと、第二章での非正規雇用の「当事者」としての著者の「語り」も、新しい意味合いをもって立ち現れてくるだろう。
場所と時間が変わって、現在まで続く、京都にある著者のシェアハウスの話になる。一緒に住んでいたゲイの友人の言葉に導かれて、筆者は以下のように述べている。
親しい関係のなかでゲイであるということが伝わっていたとしても、異性愛中心主義やジェンダー規範への批判が共有されなければ、そしてなによりもゲイとして生きてきた経験がしっかりときかれる空間でなければ、そこがまた新たなクローゼットになってしまう(p.79-80)。
この言葉は、いわゆる「カミングアウト」が、点で捉えられるものではない、ということを的確に言語化している。カミングアウトすればすべてが理解されるとか、すべてが大きく変わるとか、そういうマッチョな世界観でわたしたちは生きてはいられない。カミングアウトは、長く続いていく人間関係の構築や交流において、人によっては選択肢に上がる一つの方法や段階でしかない。言葉や概念の上で自分のセクシュアリティが理解されたとしても、現実に生きている自分の世界と、そこに掛かる社会からの抑圧が、真の意味で共有されなければ、結局その人は「クローゼット」なままである。
著者のシェアハウスには、いまでも大晦日になると、過去の住人や友人が家に集まるという。その中には、セクシュアリティをオープンにしている人、していない人、違和感なく異性愛規範を生きている人、ジェンダートラブルを抱えている人など様々な人がいて、著者は、台所に立って料理を作りながら、どんなことが話されているのか耳を傾ける。その時に著者が考えているのは、このようなことだ。
当事者の発言が無化されないように、一般化されてしまわないように、注意深く言葉を探すこともある。決して一様ではないさまざまな語りの中に立ち上がる当事者の経験や、その語りをきいたときの感触、想像することが、たとえいますぐではないにしても、それぞれの生活の現場に、静かな波のように広がっていくことをいつも夢見ている。(p.80)
私もこういう人でありたいし、こういうものを書けたらいいな、と思う。誰かの孤独に寄り添う人、誰かの孤独に寄り添う言葉、そういうものを自分の中から表現していきたい。
(棋客)
*1:以前ブログで紹介した岡田索雲『ようきなやつら』収録の「川血」がそのことをよく描いている。→この灯は、消しちゃあいけねえ~岡田索雲『ようきなやつら』 - 達而録
*2:たとえば大学においては、学籍があるか、所属がどこかといったことでやたら線が引かれてしまうし、日本語ができるかできないか、見た目の年齢がどうか、とかで議論の輪から外される人がいる。すぐに制度を変えることが難しくても、私達のちょっとした振る舞いで境界線を曖昧にすることはできるし、それが未来の制度変革に繋がっていく。
*3:こうした場所の作り方は、私が先日まで参加していたパレスチナ連帯キャンプとも近しいものを感じている。語り合いの場から始まる連帯があると感じられる場所だった。→東大駒場パレスチナ連帯キャンプの要求書 - 達而録
*4:こうした言葉は、近年の「ハッピープライド」の盛り上がりに対する違和感とも近しいものがある。また、いわゆる「ピンクウォッシング」批判の先蹤として見ることもできる。これも以前ブログに書いたことがある→『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』を読んで(3) - 達而録。