昨日、「現代フェミニズム研究会」に行ってきた。パレスチナ連帯の気持ちを込めて、クィア・プリズム・フラッグのワッペンを付けて、クーフィーヤを巻いて参加した。(難民・移民フェスにも行きたかった…。)
発表の内容がどれも練り上げられていて、とても面白かった。雨宮さんの発表はとても明晰で入念な準備が伺えたし、藤高さんの切実な言葉には勇気づけられたし、菊地さんの発表は締めとして相応しかったと思う*1。これだけの人が集まったのは、今こういう場が求められていたことの裏返しだと思うし、このタイミングで多大な負担とリスクを取ってこうした場を作っていただいた方々には、まず深く感謝を表明したい。情報保障もなされており、私が行ったことのある他の「学会」よりも良いと思える場所だったのは、本当のことだ。
もちろん、(運営委員の言葉を借りると)「リソース不足」の中で行われたイベントということもあり、少し気になったこともあったので、何かの役に立てばと思って書き残しておく。
まず、車座集会でも意見が出た通り、「セイファーな場を志向する」と言うのならば、「何かあった時の相談窓口」や「言いにくいことでも遠慮なく相談してほしいこと」を事前に明文化して表明するのは、やっぱり必要だったと思う。(リソース不足だったとしても、本当に趣旨文に沿った場所にしたいのなら、内容より先にこのことを優先して考えるべきだ、と思う。)
車座集会の意見の通り、「みんなが安心できる場所にしよう」と宣言すればみんなが安心できる場所になるわけではない。「差別しようとして差別する人」「ハラスメントしようとしてハラスメントする人」というのは稀だ。この前提があまり共有されていない、と感じることは多い。
たとえば、この研究会の最後の挨拶で、「朝みなさんの顔を見たとき、今日は上手く行くと思った。大成功で終わって良かった」という主旨の言葉を運営委員の方が言っていた。
仮に私が同じ立場なら、こういうことは言わないし、言えないなあ、と思う(特にセーファーな場作りを志向しているなら尚更)。だって、さっきの前提がある以上、「運営委員の自分が知らないところで、居心地の悪い思いをした人がいるかもしれない」という意識がちらつくからだ。そんな中で「成功」と言われると、嫌な体験があった人が、それを言い出しにくい空間を醸成することになってしまうかもしれない、と自分なら考える*2。
だから自分なら、「何か嫌なことがあった人は、今からでも遠慮なく相談してください」みたいなことを集会の締めの言葉にする。自分でもあまりに細かすぎると思うが、これだけの人を集めた会の、最後の締めの一言なのだから、本人の意図とは関係なく、一言一句が重い政治的意味を持たされてしまうものだ(逆に言えば、そこに意志を持って政治的意図を込めることもできる)*3。
さて、そういう「意味」が持たされるのは、締めの一言だけではない。運営組織は言うまでもないが、開催日程、開催場所、発表者、発表形式、趣意文への賛同者、参加者の服装、机や椅子の配置、置かれているビラ……さまざまな事物に政治性が持たされるし、持たせることもできる。批判的フェミニズムを志すのであれば(そしてそれをアカデミア的な枠組みの中でやるのであれば)、そこに、権力に抗うことや、自らの権力を開くことへの意思をどれだけ込められるか、ということがより一層問われるだろう(いそいで付け加えておくと、この会でそういう意思が全然見えなかった、ということが言いたいわけではない。でも気になることは他にもあった、とも言っておかないといけない)。
根本的に言えば、その問いへの回答は、運営組織の意思決定プロセスを開くことにあると思うが、昨今の状況では難しいところも多いと想像される(ヘイターが押し寄せるかもしれない。実際、この研究会へのバッシングも既に起こっている)。それでも、たとえば議事録を公開して意見を募るとか、部分的にでも「開く」ことへの志向を示すことはできるかもしれないし、自分にも何かできることがないか考えてみたいと思う。*4
(棋客)
※追記あります↓
2025.5.15追記、5.19微修正
以上、できるだけ伝わりやすいような文体で書いたものの、言葉にするのが難しくてもやもやしたままのところが色々と残っている。結局、まだ言いたいこと全てを書く準備はできないのだが、現状で言葉にできることを書き足しておく。
書いておきたい理由は、①今度似た場所を作る時に役立つかもしれないから、②自分自身のケアとして吐き出したいから、③当日会場にいた人で似た問題意識を持った人と繋がりたいから、の三点である。
たとえば「車座集会」について。「車座」と名付けたのは、みんなで対等に意見を出し合う空間をイメージしてのことだと思う。そんな話が冒頭でもあった。ただ実質的には「運営委員との一問一答」と呼ぶ方がふさわしい場だった。300人ほどの聴衆の前で、会場からの質問に一~二人の運営委員が答えるという形式は、(実際に目の当たりにして思ったが)相当に権威的なものである。別に、明確な回答者を設ける一問一答の場なら、それはそれで何も恥じることはないのだから(現実的にはあの会場であの人数では車座にはなれないし)、せめて、そこに(運営側の公式的な回答者という)権威が生じていることを認識し、言及してほしかった。なぜかというと、この会は「セイファーであろう」という意思を前もって示している場所だからで、無自覚な権威はセイファーではない空間を生み出しがちだからだ。
もしかすると、オーガナイザーであることを強調すると無用な権威が生じてしまうと考えたのかもしれない。ただ、セイファーな場にするために参加者に「みんなで作っている場所」であるという意識を持ってもらうことと、「オーガナイザーとして責任を持つ」ことは、両立できるはず、というか両立しないとセイファーな場にはそうそうならない、と私は考える。
本当に「みんなの場所」(みんなの意思決定を介在して作られた場所)ならばまだしも、この場所はそういう経緯で作られた場所ではなく、明確なオーガナイザーがいる場所である。権威が解体されるのは、「権威がない」と宣言することによってではなく、「権威がある」ことを認識することと、「その権威をどう解体に近づけるか」を試みることの繰り返しによって(パフォーマティヴに)なされるものだ、と思う。(言い換えれば、「みんなで作ってる場所だから「私たち」に責任はない」という論理にならないようにしないといけない、ということだ。)
運営委員の言葉として、「今回、私たちはみなさんに「奉仕」することに決めた」というものもあった。個人の感情としてそういう気持ちで頑張ることは自由ではある。ただ、「奉仕」というスタンスをオーガナイザーがその場で表明するのは、ハラスメント告発の抑圧として機能しやすい言説になっている、ということは指摘しておきたい。
フェミニズムの歴史の中に、性暴力被害者に対する、「支援者/被支援者(被害者)」の権力構造を問うてきたものがあることを想起してほしい(小松原織香『当事者は嘘をつく』筑摩書房、2022など)。支援者というスタンスを取る人は、被支援者から告発を受けても、「あなたのために支援してきたのに」と反発しがちだ。「奉仕する人/される人」という線の引き方はこれと類似形にある。「「奉仕」してくれている人を批判するなんてひどい」という二次加害的な言説も生み出しやすい。こういう枠組みの作り方に抗ってきたのが「周縁からの問いかけ」を目指すフェミニズムではなかろうか。とにかく、セイファーな場作りを目指すのなら、運営者が「奉仕」のスタンスに立つのは危険だと思う*5。
他にも書きたいことは色々あるのだが、今日はここまでにしておく。
個人的な話をすると、私は、自分が関わってきた(運動の)場所が、もしかしたら、解放的な社会に近づくことには何の貢献もしていなくて、ただの「ハラスメントの温床」を世界に一個増やしただけなのかもしれない、という疑いを常に抱いている。別にこれは悲観的なビジョンというわけではないし、だから行動しないというわけでもない。その疑いを抱えたまま、できることが何か考えて続けるというそれだけだ。
先日の会は、完全なる個人の感覚を雑に言えば、ああ、アカデミアの人のための(権威的な)場所だなあ、と思った。
そして、それでも他の研究会・学会よりは一応「解放的」に感じられたところに、アカデミアの権威主義の根深さを実感するのだった。(つまり、その分、運営委員の負担の重さは察するに余りあるので、何も言うまいという気持ちもあるのだが、今後に資するところがある言説だと思う以上は、むしろ積極的に書くべきだと思い直し、こうして書き加えておいた。)
(棋客)
*1:特に、菊地さんは、アカデミアという権威を前提とした「キャリア」形成という構造そのものを解体しなければならないという趣旨の発言をされていたが、まさしくその通りで、こういう意思こそ運営に持っていてほしいと思う。
*2:私自身、デモや集会でハラスメントの相談窓口をやった経験があるのだが、その経験から言っても、尚更そう思う。自分の作った・関わった場所が、ただのハラスメントの温床になってしまうかもしれないという想定が常にあり、それは今も抱え続けている。
*3:もちろん、リスクと負担を背負ってきた運営委員だからこそ、ひとまず会が終わって「成功した」と言いたくなるのはよく分かるのだけど、それならそれで、注釈付きで言明するべきだと思う。
*4:最後に、以前ブログに載せたのでついでに書いておくと、「誰もが安心できる場所」というスローガンよりも、「居心地の悪さを分け合える場所」というスローガンを推していきたい、と個人的には思っている。過去の記事→東大パレスチナ連帯キャンプの「セイファーテント」声明文が好きという話 - 達而録、藤高和輝『バトラー入門』についての(熱を込めた)感想 - 達而録
*5:なお、運営委員のうちの一人は、運動内のハラスメント告発の抑圧につながりやすい言説を、SNSに投稿されたことがある方なので、「奉仕」といった言葉遣いにはそれほど驚きはない。