2025.5.11
前回の日記で、あるイベントまで、30分歩いて入り口まで行ったのに、なんとなくそこで「ダメそう」となって中に入らずに引き返した、という話をした。で、入り口まで行ってもそこで無理そうなら引き返せる自分のことは結構好きだ、と書いた。
で、この時、帰り道で好きなラーメン屋さんに寄った、という話について書きたい。
単にお腹がすいてたとか、疲れてたとかそういうのもあるんだけど、これ、自分がかなりやりがちな行動パターンなんですよね。つまり、たとえば、遠くのお気に入りの喫茶店に行ったけど、残念ながら閉まってた時に、帰り道で買い物して、「そもそも買い物するための外出だった」みたいな認知にして、感情をコントロールする、みたいな行動パターン。
先日の場合だと、「30分かけてイベントに行った」のではなくて、「お気に入りのラーメン屋に行った」という認知に読み替える。ものすごく単純化していえば、ある出来事のマイナスを、別の出来事のプラスで読み替える、という行動パターン。私が無意識によくやっている思考様式。
この方法は、「それが本当に自分にとって何でもないことだった場合には」、一応、悪くないものだと思う。自分のメンタルの手綱を握りやすくなると、戦略的な意味で色々と楽なことは多い。
ただ、その「マイナス」が、本当は自分に大きなダメージを与えていたことだった場合には、この方法はあまり良くない。というのも、この「読み替え」は、そのダメージの傷を癒さずにごまかしているだけなので、その場しのぎになるだけで、実は自分を確実に削っているからだ。そういう傷は、癒されないことによって内側をどんどん侵食するものだ。
今回の件については、私は特にどうということもないので、この行動パターンに救われた、と思う。ただ、やっぱりあまり頼るのは良くない。というか、私の場合は日常の些細なことでも常に無意識にこういう行動パターンを取ってしまうので、それはもう仕方ないことなんだけど、それに苦しめられていないか自己点検することが必要になる、という感じかな。
2025.5.14
「おこたしゃべり」というトンツカタンの森本と鳥山生配信がやっている配信を聴いていた。「深夜の絶品チャーハン」という回がとても良かった。あえてリンクは貼らないので(聞けば貼らない理由は分かる)、良かったら聞いてほしい。
少し時間が空いたので、ホームページの更新作業をした。久しぶりにデザインをいじると楽しくて熱中してしまう。ブログやHPの更新は好きなんだけど、これだけで何かをやった気になるのは良くないっていう自覚はある。
2025.5.15
先日書いた記事(現代フェミニズム研究会に行ってきました - 達而録)、最初に更新した段階では言いたいことがほとんど書けなくてもやもやしていたので、改めて長めに加筆した。その前に友達に話を聞いてもらったのもあって、少しは自分の違和感の正体を言語化できたとは思う。
さて、日記を書いたり、自分の言いたいことをより直接的に言葉にするようになって、少し悩んでいることがある。それは、自分の言葉のうち、(特に)友達との会話で醸成された側面が大きいものの場合、それを自分がどこまで勝手に言葉にしてよいのか?ということだ。(以下、「友達との会話がこのブログの記事内容に何らかの貢献をしている場合」に限定して読んでください。)
もちろんプライバシーに関わるものは論外として、その人の発想や言葉や「気付き」を自分が勝手に言葉にするのも、原則として、「暴力」的なことだと思う。
これが、もともと私の中にない考え・言葉だった場合は、友人由来であることを意識しやすいし、避けやすい。ただ無意識的にやってしまいそうで怖いのは、もともと自分も似たように感じていたり、同じ問題意識を持っていて、でも誰かとの会話の中で初めてよりくっきり言語化された、みたいな場合。こういう場合、もともと自分が考えていたことだと錯覚して、その人の言葉や思いを勝手に使ってしまいやすいと思う。
一応、できるだけ言い回しを変えて、自分の語彙で書くようには意識している。でも、これはこれで、「じゃあ言葉づらだけ変えればオッケーなのか?」という問題は解決できていない。
そう考えていくと、やっぱり「相手に確認を取ってから公開するのがよい」という当たり前の結論になる。特に時間をかけて話し合ったり、一緒に作り出したものなら言うまでもないが、もっと些細に感じられるようなことでも、自分の名前で出す以上、それは一種の簒奪になるのだから、一言確認するべき、というのが一応原則になると思う。
……というのは分かってはいるのだが、常に確認するというのも、それはそれで不可能ではある(たぶん、細々と全部確認されるのも、友人たちからしたら迷惑だと思う)。また、「確認すること」が「アドバイスを求めること」にすりかわってしまうケースもあって、その場合だとその人の助言を搾取することになってしまう(つまり無料で文章の推敲をしてもらっているのと同じになる)。
ごちゃごちゃと言い訳めいたことを書いてしまったが、とにかく友達たちに伝えたいことは、こういうケースに該当する記事で、削除してほしいとか、それは仁義が無いからどうなんだ、ということがあれば、いつでも言って欲しいということです。信頼に甘えて書いている自覚があるので……。
2025.5.16
また別の友達と晩御飯を食べに行った。「小説を書くこと」についていろんな話ができた。さっそくいい設定が思いついたので、次に試してみたい。
自分の小説について色々な人と話していて少し自覚したのだが、自分はお金のために書いているという面が結構大きくて、まず何より「労働」として執筆をとらえている面がある。これは結構大きな感覚の違いだと思う。
最近、『花四段といっしょ』という漫画が気になっている。昔ずっと将棋をやっていて、将棋漫画もいくつか読んだことあるので、いい感想書ける気がする。
2025.5.17
ゲームに過集中してしまった。どうも、疲れているが疲れを自覚できていない時に、こういうモードに陥りがちみたいだ。ゲームをやっていい感じの充実感を得られるときもあるのだけど、過集中の時は疲れが増す感じになって、あんまり歓迎したくない状態だ。しかし疲れに自覚が無い時にこうなるのだから、自覚的に避けるのはなかなか難しそうだ。
友達経由で、このブログを読んでいる人の存在を教えてもらった。めっちゃ嬉しい。そういう反応をもらえる機会は滅多にないから。書いててよかった。
2025.5.18
友達と下北沢で遊んで、長時間色んな話をした。前からその人に打ち明けてみたいと思っていたことがあって、実際その話ができたので、すごく嬉しかった。二人でゆっくり喋ることはなかなかなさそうかも…と諦め気味だったので特に。
似合う服を勧めてもらって、着てみたらサイズもぴったりだったので買った。(このお店のポップアップで買った。めちゃイカしたデザイン&メッセージが最高です→SUPER-KIKI SHOP)
2025.5.21
昔よく読んでいた『むこうぶち』という漫画が50冊50円(つまり1冊1円)のセールをやっていて、ついつい買ってしまった。バブル期絶頂の日本、高レートの賭け麻雀が舞台。簡単に言えば、「傀」(人鬼)と呼ばれる凄腕の麻雀打ちが、欲望まみれの人々から、麻雀で根こそぎお金を奪い取っていく、という話。
話の筋はそれだけなのだが、妙に面白くて熱中してしまう。毎話の主人公は、「傀」に負ける側であり、金・地位・欲望・プライド・ギャンブル……に魅せられた人々が、「傀」に絡み取られ、自分と向き合ったり、向き合えなかったりする(第22巻188話は、「傀」の取材を試みるルポライター視点の話になっていて、この漫画自体の説明になっていて面白い)。主人公であるはずの「傀」はずっと謎のままで、敗者の側にドラマがある、この塩梅が妙に面白くてずっと読んでしまう。
ちょっと『ブラックジャック』っぽいところもある。麻雀が分からなくても面白い、とまで言えるかは正直分からないので、人には勧めにくいのだが……
2025.5.23
午前は非常勤講師のお仕事。午後は来週の授業のための資料作り。この日は中間試験の採点をやった。
夜は友達の家でパーティ。人の生活空間に行くと色んな発見がある。こんな素敵な友人がたくさんできて、自分の人生も捨てたもんじゃないって思う。
2025.5.24
このイベントに行ってきた→集会のお知らせ(2025年5月24日開催) 「日本女性学会 2024 年大会 分科会 調査報告書 」を読む
とても素敵な会だった。ずっと疑問に思っていたところを質問して解消できて、溜まっていたもやもやが晴れた。次の行動に繋げていきたいところだ。
夜、高島鈴さんのバーに行った。新しい人との出会いがあって楽しかった。
2025.5.25
めっちゃいいホームページを見つけた。全部読んだ。
わるいしせい ? – さよなら のう(脳) の「ふつう」しゅぎ
以下、特に読んで欲しいところを引用しておく。
ニューロノーマティビティとは:
ある特定の「神経」や「脳」のありかたのみを「ふつう」や「正しい」とする見方のこと。
「正しい」感じ方や、考え方、コミュニケーションの仕方や、ふるまい方、遊び方、学び方……などが存在するのだという思い込みのこと。例:
・相手の目を見て話さないと、失礼だよ
・手遊びをするのは、集中してない証拠!じっとして
・室内ではサングラスを外すべき!礼儀がなってない!
・いちいち細かいことを気にしすぎ!
・メモはちゃんと手書きで取らないとダメだよ!
・誰とでも仲良くするべきだよ!
・相手の表情をちゃんと伺わないとダメだよ!
・ネガティブはよくないよ!ポジティブになろう!
・成績が悪いのは、頑張りが足りないからだよ!これらのような発言は、過度なニューロノーマティビティにより、
多様な脳や神経のあり方を否定するもの。
なるべく気をつけて、ニューロダイバーシティを大切にする社会にしていきたいです♡※引用元→わるいしせい ?(2025.5.26閲覧)
↑本当にそうだと思う。
この記事も良かった→こみゅにけーしょんあなーきー communication anarchy – わるいしせい ?
ふと思ったのだが、こういう感じのホームページを作るのって自分がやるべきことかもしれない。つまり、自分で自分のホームページを作るというより、何か目的をきっちり定めて、そのために内容を整理して示す、みたいな。となると、すでに活動されている方や、その団体を、ホームページ更新担当としてお手伝いするというのが一番向いているかもしれない。
(棋客)