達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

Petrus Liu “Queer Marxism in Two Chinas”~クィア理論・中国・マルクス主義の絡み合い

 先日、「Holly Lewis "The Politics of Everybody: Feminism, Queer Theory, and Marxism at the Intersection" ~クィア・マルクス主義への招待」と題した記事を書いた。今回は、これに関連して、ペトラス・リューの『二つの中国におけるクィアマルクス主義』という本を紹介したい。

Petrus Liu, (2015) “Queer Marxism in Two Chinas”, Durham, North Carolina: Duke University Press, https://www.dukeupress.edu/queer-marxism-in-two-chinas (日本語訳なし)

 本書は、タイトルの通り、「二つの中国」(PRCとROC)におけるクィアマルクス主義の展開を分析した著述である。特に第一章では、議論の導入として刺激的な問題提起がなされており、前回取り上げたルイスの書とはまた異なる角度から、クィア理論についての精密な分析が展開されている。

 そこで今回は、本書の第一章に絞って、その概要を整理して示すことにした。第一章はクィア理論の文献案内としても有用であり、本来は被引用文献を合わせて示したいのだが、それではあまりに長くなってしまうので、別に文献案内として次回まとめることにした。

 なお、前回同様、今回の記事も、この本を紹介していただいた山村一夏さんのお力なしには書くことができませんでした。そもそも、一年半ほど前、山村さんに誘っていただいて本書の読書会をしたのが、クィアマルクス主義の議論を学ぶきっかけです。改めて深く感謝申し上げます。

この記事の目次

 以下、第一章の内容を要約する。前の記事が難解になってしまったという反省があり、できるだけ分かりやすくするために、今回は箇条書きの形で示していくことにした。ただ、かなり大胆に節略しているので、本来の論旨を損ねている可能性があることには注意されたい。

第一章冒頭

【本書の意図・基本的な態度】

【米国/中国のクィア理論の相違】

  • 私たちは、クィア理論を欧米だけの事業とすることに慣れているが、そうではない。*5
  • 米国のクィア理論の特徴的な成果は?
  • 一方、クィアの生活を地政学的に考察する中国の理論は?
    • 社会的アイデンティティの概念から始まるのではなく、権力の非人間的、構造的、体系的な働きを強調する。
    • 人間の性的自由と冷戦のイデオロギー的な地図作成法(cartography)の間の複雑な関係を読み取るための概念的な道具を開発する。
    • アジアにおける脱植民地化の不完全なプロジェクト、社会主義民主主義の成果と失敗、資本主義近代化の矛盾したプロセス、資本と商品との不公平な交換を検証する。
  • →中国のクィアマルクス主義の知的伝統は、「リベラルな価値観(プライバシー・寛容・個人の権利・多様性など)に基づくクィアの解放」という欧米モデルへの、非リベラルな代替手段を提示する

クィアマルクス主義の伝統】

第一節:ネオリベラリズム的ホモナショナリズムを超えて

【近年のクィア理論の成果】

  • ネオリベラリズム的なホモノーマティヴィティへの批判が導かれた背景には、クィア理論における二つの発展がある。*8
  • クィア・テンポラリティ理論
    • 再生産的未来主義とクィア・ネガティヴィティとの間の対立の理論化
    • 過去の快楽とは異なる政治的歴史意識の発掘
    • ブルジョア的な再生産、相続権、危険/安全、仕事/遊びを組織化する、テンポラリティの規範的なモデルへの批判
    • ホモ/ヘテロセクシャルの定義以前の性解放運動についての分析
    • クィア理論自身の死亡記事
  • ②情動論的転回(affective turn、感情論的転回とも)
    • クィアの歴史の中でのネガティブな感情(恥・喪失・メランコリア・嘆き・トラウマ)からポジティブな感情(怒り・社会性・幸福感・公共の感覚・ふれあいの感覚・楽観主義)への道筋を描く。
  • →どちらの成果も非物質化する傾向にあり、時として、社会の変容の非人間的な構造や条件に十分な注意を払うことができない場合がある。

【二つの中国の現状】

  • ポスト社会主義のPRC・戒厳令後のROCが、ネオリベラルな主体の生政治的生産によって特徴づけられる新しい時代に入ったことは疑いない。*9
  • 中国の「ピンク・エコノミー」の現象。*10
    • 中国には、テレビ番組、レズビアンパルプ・フィクション、ポップソング、若者文化、映画祭、マネー・ボーイなど、ゲイをテーマにしたものがあふれている。
    • かつては「メモリアル・モード」としての同性愛作品*11が多かったが、今は、自覚的なマイノリティとしてのレズビアンアイデンティティを定義する作品も多い。
    • 「同志」「同仁」「拉拉」は、独自の社会的語彙、インターネット上での新たなコミュニティ形態、感情的な結びつき、レクリエーション文化、支援ネットワーク、関係性の戦略、結婚儀礼を確立している。
    • 1990年代以降、PRCではゲイの可視性と社会的権利に関する数多くの画期的な出来事が見られた。
      • 1997年:フーリガニズムの刑法の廃止
      • 2001年:李銀河の同性婚合法化キャンペーン
      • 2001年:中国同志映画祭の開催(@北京大学
      • 2001年:中国精神医学会による同性愛の非病理化
      • 2009年:上海プライドの発足
      • メインストリームのレズビアン・ゲイ・トランスジェンダーのテレビタレントの登場
      • 何小培による「粉色空間」(ピンクスペース)の設立
    • 性に関する言説やアイデンティティの増殖も見られる。
      • 同性愛者の妻を意味する「同妻」の組織の結成、同妻をテーマとした文学作品の展開。
  • 以上の展開は、クィアアイデンティティと言説のネオリベラルな変容を示唆するが、唯物論的な分析なしでは答えがない疑問も多い。*12
    • クィア・コミュニティが可視化されたことは、集団的な社会的進歩を示すのか、それともネオリベラルな資本主義によるゲイ・ムーヴメントの取り込みを示すのか?
    • 方剛『同性恋在中国』(1995):ホモセクシュアルの社会的窮状を商品に変えてしまう、日和見主義的な態度が見えると批判される。
    • 李銀河・王小波『他們的世界—中国男同性恋群落透視』:ゲイコミュニティを対象化し、エキゾチックにしていると批判される。
    • クィアの文化・社会運動の目録だけでは、二つの中国のセクシュアル・コミュニティがどのように、どのくらい進化してきたのかについて、意味のある説明をすることはできない。
    • →これらの変化は、二つの中国の政治経済の分析によって再文脈化される必要がある。

【現在のクィア理論の課題】

  • 現在のクィア理論の状況は?*13
    • クィアの人々が犠牲者から消費者へと変化していく中で、クィア理論はもはや(AIDS流行の時代に結びつけられた)喪失・憂鬱の感情を中心としたものではなくなった。
    • 現代のクィア理論は、クィア・ムーヴメントから急進性が失われ、商品化された欲望の同化主義的な論理に席巻されていることを嘆いている。
  • クィアの急進性の喪失を考える時、北米の批評家は、二つの中国で起きたノンリベラルでオルタナティヴな歴史的発展を熟考すべきである。*14
    • そこには、労働運動とクィア運動の連携、許容される言語と民主的参加を支配する物質的条件、実質的平等の未来についての言説がある。
    • ポスト社会主義の中国と反共産主義の台湾におけるマルクス主義思想の展開から、歴史的に連続した社会運動であるマルクス主義クィアの闘争を、静的な概念として見ることの限界も分かる。
    • マルクス主義は、資本主義・企業・消費の単なる批判ではない。社会的な世界の全体性の哲学であり、ブルジョア概念としての権利の批判であり、資源への格差のあるアクセスを支配するメカニズムの分析であり、疎外の社会理論であり、歴史的傾向と逆傾向を読解する弁証法的方法でもある。

【本書の方法論】

  • では、中国におけるクィアマルクス主義の成果を認識するためには、どうすればよいか?*15
  • →二種の文化的トランスレーションの作業が必要となる
    • 中国の資料を、「クィア理論の正典によってすでに開発された理論的パラダイムのローカルな実例」としてではなく、知的資源として真剣に受け止める。
      • クィア理論が、1990年代の米国で生産され、後に中国語にトランスレートされたと機械的に仮定してはならない。
      • 本書において、クィア理論とは、英語、中国語、その他の学問的伝統によって同時に展開されたグローバルな言説を指す。(=クィア理論はトランスナショナルで超文化的な実践であり、米国での具現化はほんの一部に過ぎない。)
    • フィクションを理論として、社会をテクストとして読む。
      • 文学は、文化が提供する情報やアイデアが織りこまれた結節点である。しかし、安定した意味、歴史的真実、消化しやすい命題を探す私たちの習慣のなかで、曖昧化する。
      • 現代中国のクィア文化の社会的テクストは、こうした習慣に抵抗することがある。
        • セクシュアリティの専門家の成果があるにもかかわらず、中国のクィア文化は、「タブーからアイデンティティへ」という小綺麗な歴史を生み出すための努力を阻み、反抗する。
        • 読み手は、その暗号的で政治的な意味合いや、重なり合う一時性に直面することも多い。
        • さらに、中国文化の社会主義的・非社会主義的な経済政策の部分や段階にその意義を合わせようとする試みにも反抗することがある。

第二節:二つの中国の困難

【二つの中国の成り立ち】

  • 二つの中国(と二つのコリア)の共存は、アジアではまだ冷戦が終わっていないことを示す。*16
    • これは、ソ連の崩壊を「イデオロギーの終焉」という冷戦後の世界秩序の始まりと見なしがちな米国の視点では明らかに欠落している
    • 二つの中国が同時に存在することは、国家中心の歴史の有用性を制限するものでもある。
  • 米国のポストコロニアルな権益、漢民族主義、台湾の民族的ナショナリズム中華思想の相互浸透は、権力の操作を判読不能にし、支配と抵抗の二項対立モデルの適用を大きく制限する。*17
  • 台湾においてクィアが顕在化したのは、戒厳令の解除(1987)と複数政党選挙(2000)の後のこと。*18
    • ここから、クィアの解放は自由民主主義国家の出現の産物であると推測されるのは自然。
    • この見解は、政治的自由主義クィアの顕在化)と経済的自由主義自由貿易)の間のリンクを強化する。(台湾=政治的自由=経済的自由=クィアの顕在化という理解)
    • しかし、「政治的革命は、市民生活をその構成部分に解消するが、これらの構成部分そのものを革命し批判することはしない」(マルクス)。戒厳令の解除も、複数政党選挙制度の創設も、実質的な平等と社会の変化を意味するものではないし、民主化と政党間の形式的な競争を同一視することもできない。
    • 台湾の状況が意味すること:リベラリズム自体が、政治的・経済的意味が文化的想像力の中で混同された、矛盾したイデオロギーである。

【台湾におけるクィアへの抑圧】

  • リベラル/非リベラルのレジーム、民主主義/権威主義官僚主義、といった単純な二分法では、二つの中国におけるクィアの生の状況を理解するには不十分である。
  • 実際、性的反体制派・移民労働者といった被抑圧集団は、グローバリゼーションによる危機の先頭に立つことが多い。*19
    • 台湾は、グローバル経済への統合と、民主主義政権であるとアピールし欧米の支持を確保することに外交戦略の焦点を当ててきた。
    • このグローバリゼーションの要求に伴う地方文化の再編は、クィアに対する抑圧的な体制を生み出すこともあった。
    • クィアマルクス主義のプロジェクトは、リベラリズムクィアの権利を向上させてきたという見方に対抗して実行される。

第三節:なぜクィア理論は(複数形の)中国を必要とするのか?

クィア理論における「中国」の立ち位置】

  • マルクス主義を経済政策ではなく知的資源として見ることは、必然的に中国研究における理論の問題を提起する。*20
  • 現在のジェンダーセクシュアリティ研究の傾向→理論(特にクィア理論)を、中国における同性愛関係に関する実証的・歴史的な視点から切り離そうとする。
  • 中国を理論的考察の対象として扱うことで、この傾向を崩す。
    • しばしば、「クィア理論は欧米における性的知識の形成であり、中国研究にクィア理論を適用するのは植民地的な認識論を永続させる」と主張される。
    • アジアにおける新たなセクシュアリティの形成を「西洋のモデルの拡散」として解釈することが依然として多いことを考えると、こうしたクィア理論の西洋中心主義への批判は、必要なものではある。
  • しかし、本書では、中国をクィア理論にとって外部的なものとする前提に疑問を呈し、クィア理論は中国によって絶えず変容していく不完全なプロジェクトであると特徴づける。*21
    • クィア理論の起源を北米に限定することは、トランスカルチュアルな対話の機会を逸するだけでなく、クィア理論の本質を見失っている。
    • なぜなら、クィア理論が北米で実践されてきた時から、クィア理論は(特に欧米・中国間の)文化比較と絡み合ってきた歴史があるから。
    • クィア理論は、性差を強調するにもかかわらず、実際には、中国での表象によって捕捉された非西洋の理論によって設立された。
    • ポストコロニアルの議論において必要なのは、もはや「なぜ中国はクィア理論を必要としているのか」という問いではなく、むしろ「なぜクィア理論は中国を必要としているのか」という問いである。
      • クィア理論は、常に中国を必要とし、前提としてきた。
      • クィア理論は、中国と西洋の間の文化的差異の理論でもあり、クィア理論は地政学の理論を必要とする。

【文化的差異の理論としてのクィア理論】

  • クィア理論を創始したテキストの多くは、東洋文化西洋文化の間の非同一性についての議論から派生した。*22
  • 1980年代後半~1990年代の米国では、「普遍的な家父長制」という前提条件がクィア理論の大きな問題となっていた。
  • 例:ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』*23
    • バトラーは、レヴィ=ストロースソシュールラカンらの構造主義的遺産と、クリステヴァ、シクスー、イリガライらのフランスのフェミニズムとの間にある重要なつながり(と不連続性)を明らかにした。
      • レヴィ=ストロースは、自身の親族関係の理論が、中国やインドに関する不十分で二次的な情報源に基づいていたことを公然と認めている。
      • バトラーは、『Undoing Gender』(ジェンダーをほどく)の中で、レヴィ=ストロースの中国に関する著作に立ち返り、普遍的な親族関係という構造主義的な神話を否定した。
    • →つまり、中国は、バトラーによる構造主義者との論争の中で戦略的な位置を占めている。
      • バトラーの目標は、ヘテロノーマティヴ・シスノーマティヴの法律・規範・構造が人間の文化の産物であり、それゆえに社会の変化と民主主義の論争の対象となることを実証すること。
      • よって、中国のような文化が、西洋哲学における普遍的法則・慣習の体系の外側で(またはそれに対抗して)作用することを発見できれば、構造主義者のプロジェクトは克服できる。
  • 例:イヴ・セジウィック『クローゼットの認識論』*24
    • セジウィックは、セクシュアリティの解釈は、後から付け足したもの(afterthought)としてではなく、むしろ社会分析の出発点として捉えられるべきと主張する。
    • そして、ホモ/ヘテロセクシュアルの定義(の危機)は「全体としての20世紀西欧文化」の構成要素であるという提案をする。
    • しかし、セジウィックは、「どんなに包括的」であっても、西洋の外側では、そのような一般化を適用しない場合にのみ、セクシュアリティ研究が社会分析の基礎となりうると注意を促す。
    • →「全体としての西欧文化」という言葉が意味と一貫性を持つのは、非西欧との関係においてのみである。セジウィックのいう「西欧の全体性」という仮説が、東洋と西洋の間の不整合性を必要とすることは明らかである。
    • →1990年代の米国のクィア理論は、文化間の不調和を必要とした(ここで問題とされるのはフランスと米国の文化の違いではない)。
  • 1990年代以前でも、中国を規範的な《他者》として位置づける傾向があり、クィア理論の発展において重要な機能を果たしてきた。*25
  • 例:フーコー:ホモセクシュアリティが西洋では1870年に発明されたという議論
    • フーコーは、西洋と東洋の二つの異なる歴史を慎重に区別しなければならないと主張し、セクシュアリティは時代を超えた不変の所与のものではないと述べる。
      • 第一の歴史は、古代ギリシャ文化と近代フランス文化との間に連続する、「性の科学」と呼ばれるもの。「ホモセクシュアル」を生み出した。
      • 第二の歴史は、フーコーが中国を主な例として挙げるもので、古代と近代の形態を区別することなく、すべての非西洋社会を包含する。「性愛の術(ARS EROTICA)」(「性の科学」に比べて科学的・論理的な根拠がないことを強調する用語)と呼ばれる。
    • フーコーは、西洋文明が「性の科学」を享受したのに対し、中国はいまだに「性愛の術」の段階で泥沼にはまったままで、「性愛の術」は(フーコーにとっての)「我々(we)」が近代性を達成するために捨ててきたものとする。
      • ここで、1870年代の古代ギリシャとフランスの間の文化的差異は歴史的進歩として解釈されるが、古代中国と現代中国の区別はフーコーにとっては気にならないものになっている。

フーコー主義者とリベラル・プルーラリズム

  • フーコー主義者のイディオムを用いる批評家は、文化のグローバルなヒエラルキー化と、国内政治における人種のリベラル・プルーラリズム的理解とを混同しがちである。*26
  • ここでは、「ポストコロニアル批判」が、「近代西洋社会の中での非標準的慣行を弁護すること・脱スティグマ化すること」への呼びかけに置き換えられる。
    • クィア研究における「西洋中心主義批判」は、米国の社会的価値としての「多様性」へのコミットメントとして理解される。
    • セクシュアリティを「トランスナショナルに」考えることへの誘いは、多文化主義と米国の被験者のオルタナティヴな性的実践への寛容性への議論として理解される。
    • こうした理解は、「不可逆的な認識論的・社会的特権」そのものをどのように変容させるべきか、また変容させることができるのか、を問う機会を逃している。
  • リベラル・プルーラリズム的なアプローチの主な関心事は、国境を越えた対話ではなく、国内の文脈における多様性にある。
  • それとは対照的に、国境を越えた対話は可能であり、必要であり、クィアな中国の知的歴史を考察することで多くのものが得られると、リューは主張する。

第四節:クィアマルクス主義:リベラル・プルーラリズム的な分析へのオルタナティヴ

クィア理論とリベラル・プルーラリズム

  • 米国のクィア理論の政治的成功(=セクシュアリティを社会的・文化的な理論の正当な分野とすることができたという事実)は、東洋・西洋の二項対立を想像することから修辞的に導き出されたと結論づけられる。*28
    • 我々は、クィアネスや同性愛がギリシャやフランスでの単一の起源を持っていると仮定し続けることはできない。
    • 一方で、中国の同性関係の異なる歴史を提示することで、西洋の普遍主義・植民地主義的な認識を混乱させられる、と主張するのも誤りである。
  • 問題は、クィア理論に内在する人種差別やオリエンタリズムではない。
  • 重要なのは、戦後のセクシュアリティの理論が、しばしば知らず知らずのうちに、リベラル・プルーラリズムの論理を再生産し、冷戦のジレンマへのより強い政治的な対応を展開することに失敗しているということ。
    • クィア理論が中国を必要とするのは、《他者》を含むことが倫理的に必須だからではなく、米国の理論がリベラル・プルーラリズムの失敗の影で生まれているから。
    • 本書は、世界的な学者コミュニティに向けて、クィア理論とリベラル・プルーラリズムとの間の歴史的なつながりを明らかにするための概念的なツールを提供する。

クィアマルクス主義のアプローチ】

  • クィアマルクス主義者のアプローチは、「オルタナティヴ」なセクシュアリティを容認したり、受け入れたりすることを社会に求めていない。*29
  • クィアマルクス主義は、欲望、懇願、親密さ、人と人とのつながり、容認される言論といったものを可能にさせる社会経済的条件を分析する。
    • また、そのような社会的関係が、異なる地位にある人間にとってどのように不平等な権力の軸に沿って再生産されるのかを問う。
  • クィアマルクス主義者は、社会的救済のモードとして、包摂を拒否し、代わりに地政学的に再生産された力の関係の分析を選ぶ。
  • クィアマルクス主義は、他者性を具象化することなく、場所と状況依存性(situatedness)の問題に取り組む。
    • ポイントは、経済的決定因子の優位性に戻ることではなく、また、トランスナショナルな資本主義によってもたらされたブルジョア消費の道徳的な批判を再掲することでもない。
  • クィアマルクス主義は、(リベラルな批評家が単なる偶発性として特徴づける)ジェンダーセクシュアリティ・社会的権力の体系的な分析の可能性を強調する。

【本書の構成】

  • 第二章*30
    • 崔子恩、何春蕤、丁乃非、台湾性別人権協会を中心に、現代中国のクィア批評的な言説を分析する。
    • クィア理論自体がグローバルな起源を持つ不完全なプロジェクトであり、これまで北米の学界で慣れてきたクィア理論の特定の変種は、(複数形の)中国とその他の場所での知的資源によって、常に拡張され、改訂され、置換されている、と主張する。
  • 第三章
  • 第四章
    • 蕭颯『如夢令』を題材とし、クィアリベラリズムの政治的問題を考察する。
    • この小説は、「中流階級の自己変革」というネオリベラリズム的な物語に対して、単純化できないクィアな過去を系譜学的に見直す必要があることを主張する。
    • また、経済の自由化と奔放な資本主義に対するクィアの批判を通して、反資本主義的思考のためにクィアネスを動員する創造的な方法を示す。
  • 第五章
    • クィア人権の言説と二つの中国の抱える問題との相互の絡み合いを考察する。
    • 政治的自由主義を主張しているにもかかわらず台湾で発生しているクィアの人権侵害の事例を記録する。

【まとめ】

  • 本書で取り上げる中国クィア作品から分かるように、クィアネスは、影響、欲望、恥、および喪失といった主観的な意味に根拠づけられるものではない。*31
    • クィアネスは、自己の構成的な社会性を示す。
    • 中国のクィア言説の焦点は、文化的多様性や形式的な選挙競争の問題から、公共文化に参加するための実質的な社会経済的条件へと移っている。
  • 中国におけるクィア運動は、マルクス主義に触発され、権力と社会の物質的再生産の体系的理解の重要性を強調する。同時に、二つの中国で固まっている思考習慣をほどくため、重層的で不純で乱雑な社会的交換の回路を展開している。
  • クィアネス、マルクス主義、そして(複数形の)中国の不可思議な収束の中に、人間の創造性・充足感・自由についてのオルタナティヴな想像力を見出せる。

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※次回の記事→Petrus Liu “Queer Marxism in Two Chinas”~第一章の文献案内 - 達而録

(棋客)

*1:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.70-96/6387 ※Kindle版の「位置No」は文字サイズを変えても一定で表示されるので、以下これをもとに引用箇所を示す。

*2:リサ・ドゥガンが提唱した概念で、「支配的な異性愛規範の前提・秩序に異議をとなえないばかりか、むしろそれらを支持・維持し、同時に、ゲイ有権者層を(政治的に)動員解除させる可能性と、ゲイ・カルチャーを家庭生活と消費につなぎとめ、私有化・脱政治化する可能性を約束するポリティクス」のこと。Duggan, Lisa. "The Twilight of Equality? Neoliberalism, Cultural Politics, and the Attack on Democracy". Boston: Beacon, 2003. ※このブログで触れたこともある→『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』を読んで(3) - 達而録

*3:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.122-135/6387

*4:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.135-149/6387

*5:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.179-191/6387

*6:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.204-228/6387

*7:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.216-241/6387

*8:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.244-261/6387

*9:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.261/6387

*10:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.261-308/6387

*11:ヘテロセクシュアルの人生の歴史の中で、同性愛の経験が括弧に括られる形で(=メモリアルとして)提示される作品。

*12:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.324-338/6387

*13:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.338-353/6387

*14:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.338-353/6387

*15:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.367-379/6387

*16:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.379-405/6387

*17:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.379-405/6387

*18:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.405-445/6387

*19:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.459-473/6387

*20:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.473-486/6387

*21:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.473-500/6387

*22:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.500-513/6387

*23:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.513-556/6387。なお、リューの序文によれば、そもそも本書はジュディス・バトラーとの対話から生まれ、バトラーの継続的なサポートのもとに書かれた著作である。なお、本ブログでは何度かバトラーを取り上げたことがある。ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル:フェミニズムとアイデンティティの攪乱』(1) - 達而録

*24:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.556-598/6387

*25:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.598-625/6387

*26:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.640-669/6387

*27:Halperin, How to Do the History of Sexuality, 20.

*28:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.669-681/6387

*29:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.681-694/6387

*30:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.694-721/6387

*31:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.721-734/6387