達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

福永玄弥『性/生をめぐる闘争』とPetrus Liu “Queer Marxism in Two Chinas”

 前回まで、ペトラス・リュー『二つの中国におけるクィアマルクス主義』の第一章を紹介してきた。

Petrus Liu, (2015) “Queer Marxism in Two Chinas”, Durham, North Carolina: Duke University Presshttps://www.dukeupress.edu/queer-marxism-in-two-chinas(日本語訳なし)

 この本と問題意識が重なる日本語文献として、福永玄弥『性/生をめぐる闘争――台湾と韓国における性的マイノリティの運動と政治」』明石書店、2025)が最近公刊された。先日、ようやくこの本を購入し、ざっと読むことができた。

 福永(2025)は、韓国・台湾における性的マイノリティに関する政治・運動を、国際政治と国内の状況を合わせて丹念に追いかけており、非常に充実した内容を備えている。全体を通して、とても分かりやすく整理されており、かつ常に境界線を引く「権力」のはたらきを問う態度が一貫している。多くの方に推薦したい本である。

 福永(2025)では、Liu(2015)は参考文献として使われていないのだが、使われていないがゆえに、よりいっそう問題意識の相違が浮かび上がるところがあると感じる。今回の記事では、そういう部分を取り上げながら、自分なりに考えたことをまとめてみたい。(今回も、前回の記事と同じく、リューの本の翻訳において山村一夏さんのお力をお借りしております。ありがとうございます。)

全体について

 まず、すぐに指摘できるのは、Liu(2015)は「二つの中国」つまりPRC(中華人民共和国)とROC中華民国、台湾)を専ら扱っているが、福永(2025)では韓国・台湾に注目している、という相違である。

 全体的な印象としては、米国の政治との関係性や、各地域での運動・実践が、その地域のセクシュアリティ政治にどのような影響を与えてきたのか、というその個々の事例を知るためには、福永(2025)が詳細で分かりやすい。日本社会の事例との比較がしばしばなされているのも大きな特徴で、これによって韓国・台湾・日本のジェンダー政治の展開の重なり合いを把握することができる。

 一方で、冷戦体制・ネオリベラリズムの中での、クィア理論とマルクス主義の実践・理論の関わり合いを知り、深めていくという方向性なら、Liu(2015)の議論はやはり欠かすことができない。特に、Liu(2015)の問題意識の一つに、過去のジェンダーセクシュアリティ研究がもつ、「欧米=理論(クィア理論)、他の地域=事例集(エリア・スタディーズ)」と捉える傾向への批判があるのだが*1、この批判は福永(2025)に対しても当てはまるところはあろう。(福永(2025)で「理論」として取り上げられるのはフーコー、セジウィッグ、プアといった欧米の学者である。)

 逆に、運動の事例を丁寧に把握したいのなら、福永(2025)を参照する方がよいだろう。Liu(2015)でも運動の歴史は触れられるのだが、どちらかというと、運動史の記述よりも、映画や小説の分析からクィア理論の発展を目指す点にも重きが置かれているからである。

序章

冷戦体制の継続

 福永(2025)では、米国が「民主主義という贈り物を世界にもたらす象徴」として自らを演出し*2ジェンダー政治を使って共産主義の封じ込めを行ったこと、そしてその過程と東アジアの絡み合いについて説明される。ここから台湾・韓国の現在を、①冷戦体制の継続、②米国によって韓国・台湾が「反共レジスタンス」として位置づけられてきた経緯、③東アジアにおける脱植民地化が「不完全」なものであるという現状、という観点から歴史的に位置付ける。本書の韓国・台湾のフェミニズム運動の分析も、この前提を踏まえて行われる。

 こうした見方は、Liu(2025)と共通している。Liu(2025)はここから、「反共」と位置付けられた台湾で、むしろマルクス主義の方法論を活かしたクィア言説が盛んになっていくと論じていく。(福永(2025)では、全体を通してマルクス主義にはあまり触れられない。)

 また、Liu(2025)では、この議論が、台湾のクィアフェミニズム運動の分析だけではなくて、米国のクィア理論自体の相対化にも活かされているところが特徴的だ。

私は、クィア理論が、性差を強調するにもかかわらず、実際には、中国での表象によって捕捉された非西洋の理論によって設立されたことを主張する。この文脈において、ポストコロニアルの議論において問いかけるべきは、もはや「なぜ中国はクィア理論を必要としているのか」という問いではなく、むしろ「なぜクィア理論は中国を必要としているのか」という問いである。(Petrus Liu, 2015, No.473-500)

 以下の一文も、リューの捉え方がよく出ているところである。

振り返ってみると、米国のクィア理論の政治的成功――セクシュアリティを社会的・文化的な理論の正当な分野とすることができたという事実――は、東洋・西洋の二項対立を想像することから修辞的に導き出されたものであると結論づけることができる。(Petrus Liu, 2015, No.669-681)

 具体的な議論については先日の記事を参照いただきたい。

第三章:台湾Ⅱ「革命未だ成らず、同志たちよ努力せよ!」

【「同志」という言葉】

 福永(2025)では、「同志」という言葉について、これが孫文の言葉に由来することや、 「革命」「抵抗」のシンボルの意味合いを持つことなどを指摘する(p.162-166)。また、台湾同志パレードでの内部批判の例から、「同志」の語が、より広い集合的アイデンティティとして、単一的カテゴリーを避ける形で用いられていく過程が述べられている(p.191-194)。福永(2025)の一節を引用しておく。

「同志」とは、「同性愛(恋)」や「性転換(変性)」といったスティグマ化された「他者の言語」の代わりに、性的マイノリティがみずからを表現するための言語として「革命」や「抵抗」のニュアンスを伴って流用した言説である。それゆえ「同志」という集合的アイデンティティはその境界が固定化されておらず、つねに新しい性的アイデンティティやその名乗りを内部に取り込む不安定なカテゴリーでもあった。(福永、2025、p.200)

 Liu(2015)でも、「同志」の用法や、「クィア」の訳語に関する論争について詳しく議論されている。このうち「同志」についての部分を少し引用しておく。

もともと「同志」は中国の革命において「comrade(仲間、同胞)」を意味する政治的な語彙であったが、中国の性的カウンターカルチャーによって同性愛を指す言葉として再利用された。この国家公認のイディオムを、抑圧された人々が取り込んだ過程は、米国史における「クィア」という侮蔑語が自己肯定の手段へと転用されたことに似ている。この意味で、中国語の「同志」という用語の機能は、英語における「クィア」の機能と同じである。しかし中国の場合、この言葉は孫文毛沢東社会主義の革命の遺産と明確に結びつくため、中国における政治的パロディとしての「同志」の使用は、中国マルクス主義に対する特有の態度をも含意する。(Liu, 2025, No.892)

 両者の議論ともに、「同志」という言葉による闘争がもつ意味がよく説明されていると思う。

 私自身、この「同志」の用法はかなり好きだ。せっかくなので、改めて私の言葉で説明し直してみる。まず「同志」という言葉は、直接的には「(革命の)志が同じ」ことを意味し、もとは孫文の遺書に由来する。

現在、革命尚ほ未だ成功するに至らず。凡そ我同志は須く余の著す所の建国方略、建国大綱、三民主義及第一次全国代表大会の宣言に依り継続努力し、以て之が貫徹を期すべし。(孫文「遺書」)

 政府御用達の語として、権威的に使われてきた面があるこの言葉を、本来の意味に奪還したのが、現在の「同志」の用法であると思う。で、この言葉の肝は、「革命の志が同じ」であれば連帯できるということであり、いわゆる「アイデンティティ政治」から一線を画す可能性がすでに内包されている、という点にあると思う。(その意味で、性的マイノリティに限らず、さまざまなマイノリティ・被抑圧集団との連帯を示す語として解釈されていく可能性がある。)

 ちなみに、中国において、(特に男性間の)性行為の処罰を含めた法律は「流氓罪」という名目だったのだが(福永,2025,p.121にも言及あり、1997年に削除)、リューはこの「流氓」の語も、元をたどるとマルクスの「ルンペンプロレタリアート」の訳語であることを指摘している(Liu, 2015, No.892)。リューは以下のようにまとめている。

現代の中国語のクィア理論の言語的発展――すなわち「同志」や「流氓」が中国革命の語彙から派生しているという事実――は、セクシュアリティ闘争とマルクス主義の知的実践との間に、抑圧されたつながりがあることを示唆する。(Liu, 2025, No.892)

 さて、話を戻して、福永(2025)では、「同性恋」という用語が、病理化されるニュアンスを持ち、汚辱にまみれた「他者の言語」であることが指摘されている(p.165-166)。これに関連して、Liu(2015)では、台湾ではなく中国の例だが、病理化されがちな「同性恋」の語をあえて引き受けて使い、その権力構造を改めて問い直す表現を行っている人として、崔子恩が挙げられている(Liu, 2015, No.1189)。

馬英九の宣言】

 福永(2025)では、2001年の「台北同玩節」での馬英九の宣言に至るまでの、「同志公民空間行動戦線」の運動の歴史と、それによって台北市から同志戦線への好意的な応答が引き出されるまでの経緯が明らかにされている。(p.180-186)

 Liu(2015)では、2006年の台北同玩節において、リュー自身がサンフランシスコ市(台北市姉妹都市)の市長に依頼を出し、レインボーフラッグとクィアの権利の宣言書を台北市に送ったという話が出てくる。結果、馬英九は(外交的な圧力のもと)これを受け取った。(Liu, 2015, No.2845-2873)

 どちらも、台湾のプライドパレードのためにラディカルな運動が現場で取ってきた戦略と、それが実現した(国外・国内の)複雑な政治的状況を明らかにしている。

 なお、Liu(2015)では、この件が台湾の政府高官がLGBTイベントを公に支持した最初の事例とされているのだが、福永(2025)を読むと、馬英九は2001年から台北同玩節を支持しているようだ。リューが「最初の事例」と言うのは、何かの勘違いではないか、と思う。

何春蕤について

 最後に、福永とリューの相違が顕著に表れている例として、何春蕤(ジョセフィン・ホー)を取り上げてみたい*3

 福永(2025)とは別の論考を取り上げるが、福永玄弥「台湾におけるフェミニズム的性解放運動の展開」(『ジェンダーセクシュアリティで見る東アジア』勁草書房、2017年)では、何春蕤『豪爽女人』(1994)以来の議論をまとめ、以下のように評価している。

何春蕤による「フェミニズム的性解放運動」をめぐる言説には、同時代の英語圏で展開されたフェミニズム研究の影響が色濃く見られたが、同時に台湾社会の「性」をめぐる環境の変化もつよく意識されていた。(福永、2017、p.106)

 そして、米国で展開されたクィア理論が受容された経緯について、雑誌の特集などの例を挙げて分析されている(p.123-124)。

 福永(2025)でも、何春蕤の言葉は何度も取り上げられている。ただ、その理論が詳しく分析されているわけではない。

 一方で、Liu(2015)では、中国の資料を以下の観点から読み解くと宣言されており、何春蕤もその文脈からとらえられる。

中国の資料を、「クィア理論の正典によってすでに開発された理論的パラダイムのローカルな実例」としてではなく、知的資源として真剣に受け止める。……クィア理論が、1990年代の米国で生産され、後に中国語にトランスレートされたと機械的に仮定してはならない。(Liu, 2015, No.367-379) 

 つまり、リューにとって何春蕤は「クィアマルクス主義」の創造的な担い手であり、必ずしも「米国のクィア理論に影響を受け、台湾の事例に適用した人」とはとらえられない。(先述した、「欧米=理論、他の地域=事例集と捉える傾向へのリューの問題意識」がこういうところに現れている。)

 リューによる何春蕤の分析は詳細になされているのだが、そのうちの一部分として、『豪爽女人』に言及する箇所を引いておく。

何春蕤のクィアマルクス主義における最も重要な理論的著作は『豪爽女人』である。『豪爽女人』は1994年に出版され、資本主義的な近代性と性の抑圧の間の論理的・歴史的な関係を明らかにする、文化唯物論の革新的な作品である。……何の研究は、性的な羞恥(sexual shaming)の戦術が、女性の社会的・感情的・職業的な場面における従属的な地位を強化することを示す。この羞恥は、女性に対して、自らの身体や性的欲望を恥ずかしいものと認識させることで、男性に従順であるよう仕向ける。……何は、資本主義的近代におけるジェンダーの問題は「ある集団による別の集団の支配」という形よりもはるかに複雑であるから、伝統的な家父長制批判だけでは不十分であると指摘する。女性自身も、この羞恥の心理的構造を内面化し、それを物質的問題(賃金格差・社会的役割・機会の違いなど)と誤認してしまう。何の理論は、女性の身体が自動的に商品化(auto-commodification)される過程を説明するという点で、何のクィア的批判はまた、マルクス主義的批判でもある。何は、社会統制とジェンダー不平等のメカニズムが、経済的・物質的な力に深く根ざしていることを明らかにする。(Liu, 2015, No.1356-1370)

 合わせて以下の部分を読むと、リューが何春蕤の言説を(リベラル・プルーラリズムに対抗する)「クィアマルクス主義」と呼ぶことの意味がより分かりやすいだろう。

『豪爽女人』において、何春蕤は、フェミニズムのプロジェクトにとってクィアの問題が重要であることを、連合の政治(coalotional politics)の観点から論じているわけではない。彼女のフェミニズムクィアの関心の間の必要な交差に関する分析は、利他主義(altruism)や被害者連帯(victim solidarity)、あるいは個々の違いを尊重し寛容するというリベラルな教義に基づいているのではない。そうではなくて、クィアネスは、「良いセックス」と「悪いセックス」という資本主義の道具になる構築を攪乱・脱自然化する、身体と欲望の異なる社会的構成を意味する。何は、クィアの攪乱的な力と連帯することによって、女性は解放されると示唆する。多くの恋人やパートナーを持つ「悪い女」のように、クィアな人々は、「豪爽女人」にとって貴重な教育の機会を提供する。なぜなら、こうした社会的主体は、人間文化における性的表現の不可縮的な豊かさと多様性のための物質的なリマインダーとなるからである。(Liu, 2015, No.1424-1437)

 リューは、何春蕤の他書の分析も交えて、マルクス的な方法論を用いてクィアの闘争に生かす何春蕤の議論を説明している。詳しくはぜひ原書を読んで欲しい。

 

 最後に、以上の議論を踏まえて、私から追加の資料を示しておきたい。国立中央大学の性/別研究所の「何春蕤論述資料庫」に、何春蕤の「性革命:馬克思主義觀點的美國百年性史(性革命:マルクス主義の観点による米国のセクシュアリティ史の100年)」(1996)という文章が収められているのだが、その冒頭に、以下のような言葉が載せられている。

正直に言うと、あの時より前まで、私は西洋の性解放に関する文献を全く読んだことがなかった。私にとっては、女性の情慾(性欲)の解放の論述は、私が自分が属する社会文化の文脈の中で、思いがけず生み出した見解であった。しかし、この疑問(ブログ筆者注:「性解放は西洋の見解で、すでに失敗が証明されているのに、なぜまた持ち出すのか」という何春蕤『豪爽女人』に対する疑問)に応えるために、私は歴史研究を努めて行い、自分が抱きしめてきたマルクス主義の文化分析の方法を用いて、すでに「失敗した」と言われる性革命の歴史について分析を行った。*4

 この言葉は、この論文がデータベースに載せられたときに、何春蕤自身が付したものだと思う(このサイトのどこかに説明が載っていそうなものだが、見つけられていない)。文脈上、「あの時」というのは、何春蕤が『豪爽女人』(1994)を書いたとき。つまり、何春蕤は、『豪爽女人』を書いた時、西洋の性解放に関する文献を読んだことがなかった、ということになる。

 むろん、その後の何春蕤の言説には英語圏クィア理論の議論を参照するところも増えてくるのだが(例:「從左翼到酷異:美國同性戀運動的酷兒化」)、台湾のフェミニズム的性解放運動の端緒となった『豪爽女人』が、必ずしも英語圏の議論を受けて生み出されたものではない、と何春蕤自身が述べていることは重要だろう。

 リューが述べるように、そして何春蕤自身が述べているように、何春蕤のルーツにはマルクス主義の方法論があり、ここから何春蕤の「クィア理論」が形成された*5。この論文(「性革命:馬克思主義觀點的美國百年性史」)自体、マルクス主義的な観点から米国の性の歴史を振り返ったもので、マルクスルイ・アルチュセール、ヴィルヘルム・ライヒらの言説が活用されている。

 また、以前ルイスの本を紹介した時にまとめたように、そもそもクィア理論の言説は、マルクス主義と交差するものであった。もし、何春蕤の言説が、米国のクィア理論とリンクして見えるのだとしたら、それは両者がマルクス主義の資源を活用していたという共通性から来るもの、という見方もできよう。

 

 さて、せっかくなので、次回からしばらく何春蕤の論文を読んでみることとしたい。

(棋客)

*1:Petrus Liu, (2015), Kindle版, No.473-486/6387

*2:こうした演出はピンクウォッシングにもつながっていく。参照→『交差するパレスチナ: 新たな連帯のために』を読んで(3) - 達而録

*3:何春蕤は以前ウィキペディアの記事にした→何春蕤 - Wikipedia

*4:「老實說,在那一刻之前,我根本沒讀過西方性解放相關的文獻,對我而言,女性情慾解放論述是我在本地社會文化脈絡裡意外生產出來的一些說法。但是為了回應這個質疑,我就努力做了一些歷史研究,並且用我所擁抱的馬克思主義文化分析方法,對被說成已經「失敗」的性革命歷史提出分析。」、「性革命:馬克思主義觀點的美國百年性史 – 何春蕤論述資料庫」2025.5.26閲覧

*5:厳密に言うと、『豪爽女人』の時点でマルクスが直接引用されているわけではない。ただ、リューによれば、『豪爽女人』でなされる議論にはマルクス主義的な分析方法が活用されている。