達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

日記(2025.5.28-6.21)

2025.5.28

 またホームページの更新作業をしていた。今回はルビを振る作業をしていた。

 htmlでは<ruby>タグでルビを振ることができるのだが、この方法でルビを振ると「アプリの音声読み上げを使った時に親字とルビを二重で読んでしまう」という問題があるらしい。確かに、試しにGoogle Chromeの音声読み上げの拡張機能Read Aloud」を使ってみると、たとえば「 音声 おんせい 」を読み上げると「おんせいおんせい」と二回読み上げてしまい、意味が非常に聞き取りづらくなる*1

 つまり、難しい漢字にルビを振って、漢字が読み取りにくい人にも読みやすいように気を配ると、音声読み上げの助けが必要な人(例:視覚障碍者)にはかえって不便になる、という現象が起こる。

 色々調べてみると、まず<ruby>タグに「aria-label="ふりがな"」で読み方を指定した上で、親字(<rb>タグ)に「area-hidden="true"」の指定をすることで、きちんと読んでくれると分かった。(実際試してみると、確かにこの方法で上手く行った。

 しかしこれではめちゃめちゃ面倒だし、「ふりがながあるときは親字を読まない」ぐらいのことは、いちいち指定しなくても実現してほしいものだ。

 ↓このことについての記事を探していたら見つかった。昔から問題視されているようだ。さっさと直してほしい。

www.publickey1.jp

 

※このことについて、ホームページで改めてまとめて記事にしました。↓

 ウェブサイトの「ルビ」と「フォント」--閑閑空間

2025.5.29

 昨日に引き続き、ホームページをどうするか色々考えている。色々編集したのだが、結局文章主体で、堅苦しい感じで、なんだかなあ、と。もっといろんな表現の方法を試していきたい。とりあえずイラストを増やしてみたい。できるかなあ。うーん。

2025.5.30

 ふと、「誤配」させるということをもっと意識していきたいと思った。

 たとえば、クィアフェミニズムについて知って考えて欲しいという目的で、「クィアフェミニズム」についての何らかの説明をする記事を書いたとする。

 もちろんこういう記事は不可欠なものだけど、とはいえ、「クィアフェミニズムを主題とする記事」は、もともと「クィアフェミニズムに興味がある人」にしか読まれにくい、という限界はどうしてもある。

 となると、他の入り口から入ってきた人が、「あれ? こういうのを読むつもりじゃなかったのに?」となりながらも、何か引っ掛かる所があって読み進めるような、そういう届き方も大事だと思う。(というか、新しいものとの出会いって、大抵そういうところから出てくると思う。)

 で、このブログは、そういう「誤配」をさせる可能性が結構ある場所なんじゃないか、と思った。(前向きすぎるか?)

 このブログのアクセス解析を見てみると、the pillowsの記事中村一義の記事ハガレンの記事が特にアクセスが多く、あとはまんべんなく中国学関係の記事で訪問する人が多い。もし、そういう入り口でここに来た人が、このブログの他の記事を読んで、何か感じてくれたらとても嬉しい。

 なんとなく、上手く「誤配」できた感じがする書き物って、もともと自分と深く結びついていて、自分の中でしっかり消化できたものを言葉にしたとき、という感じがする。このあたりが、「たまに感覚で上手く行く」だけじゃなくて、ちょっとした方法論に落とし込めれば(つまり「コツ」を掴めれば)、もっと自由に色んなことが書けそうだな、と思う。まあ、それができれば苦労はないんだけど……

2025.6.5

 今月もポケポケでマスターランクに到達。今回は初めてマスターランク到達後も遊んでみたが、そうそう勝てず一進一退を繰り返したので撤退。やはり新環境直後が一番楽しいゲームだ。

2025.6.7

 予定を詰め込んだアクティブな一日だった。

  1. 激励行動をしました!「女性学がんばれ! 負けるなフェミニズム!」(於:日本女性学会2025年度大会・会場前)
    主催の方がとても丁寧で、新しい出会いのある場所でとても良かった。
  2. LAWAN! わたしたちは軍事主義を拒否する インドネシアにおける行動と組織化の視覚表現 - IRREGULAR RHYTHM ASYLUM
    こちらも主催の方に丁寧に解説していただいてありがたかった。インドネシアにおける軍事主義の台頭(最近軍法が改悪され、軍官が政府機関の要職に就ける範囲が広がった)に対する、抵抗運動のアーカイブが展示されていた。インドネシアにおける圧政は、戦前~戦後にかけての(笹川良一フィクサーとする)日本の政府・大企業の植民地政策とも深く結びついている。
    色鮮やかなポスターが素晴らしく、印象的だった。
  3. Wikipedia執筆者とのオフ会
    古参のウィキペディアンに「あなたが一番チャレンジングな記事を書いている」と言われて、とても嬉しかった。半年近く活動できていないので、そろそろ何か書きたい所存。プライド月間に合わせて翻訳記事を上げられたら理想的。
  4. バー高島
    毎回新しい人と仲良くなれるのでとても楽しい。最高。また行く。

2025.6.8

 とてもいい新聞記事を読んだ。→昭和天皇は戦争にどう関与したか 歴史学者が実証で迫った巨大な問い:朝日新聞

 最後の一節を引用させていただく。

戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います。(引用元:https://digital.asahi.com/articles/ASS863DKVS86UPQJ00WM.html、2025.6.8閲覧)

 とても重たい問いかけだと思う。

2025.6.9

 じゃんたまで遊んでいたら、二半荘連続で国士無双を上がられた。ひどいよー。三麻で雀豪まで上がったのでひとまず満足。

 麻雀と言えば、最近、プロ雀士の渋川難波が、NAGA(現在最強格の麻雀のコンピューターソフト)vs渋川難波の生配信をやっていて、とても面白い。ごくごく普通のリーチでも「これが……人間の……リーチ!」と大盛り上がりするのでとても楽しい。相手が人間だと煽り実況はなかなかできないから、ソフトゆえの面白さがあると思った。

2025.6.10

 林原めぐみのブログ(修正前・修正後)を読んで暗い気持ちになる。直球の外国人差別扇動であり、排外主義でしかない。「外来種」の比喩など、完全にネット上での排外主義言説の影響を受けまくったことが想像されるところだ。色々とナンセンスな反論だが、みんな海を渡ってこの島に来たんだから、みんな「外来種」なんじゃねーの、とか言いたくなる。他の声優たちが擁護に走っているのも悲しい(むろん声優全員が同じ考えを持っているというわけではないのだろうが)。

 このブログ記事のタイトルが「興味がない、わからない、知らない」なのは、現代社会の空気感を考える上で象徴的だと思う。

 このタイトルからは、「私は(政治的なことについて)興味がない、わからない、知らないというスタンスだったけれど、このままでは「日本の危機」だから、なんとかしなきゃ」という流れが見える。これはつまり、「政治に関心を持とう」とか「選挙に行こう」とかいった言葉が、他でもなく、差別や排外主義の扇動のために使われている、ということだ。「日本らしい日本」が失われようとしているから、「無関心」はやめよう、というレトリックである。

 以前、選挙についての記事を書いたときに、「選挙に行こう」とだけ呼びかけていては、いずれ投票率80%で極右政権が誕生するだろうと書いたけど、まさにそういうことが起きていると思う(「選挙に行こう」と呼びかける時に考えるべきこと - 達而録)。

 実際、先日いわゆる「石丸新党」の演説に出くわしたのだが、具体的な政策は一つも言わず、「いま投票率は○○%、これではみなさんの声が政治に反映されない。投票に行きましょう」ということを繰り返すだけだった。

 「政治に関心を持とう」という、一人一人が政治の主体であることをただ単に呼び掛ける言葉が、直接「権力者への脅威」になる時代は、もう終わったんだと思う。だからといって、みんな政治に無関心になれ、というのは絶対に違う。差別と搾取に抗う手段や戦略の一つとして、政治や選挙がある、ということだ。

 あと、「声優たちはインボイス制度反対で声をあげていたのに、これはショックだ」という論調も見かけた。インボイス制度が酷い制度なのは確かだが、「日本(の中小企業やフリーランス)を守るため」にインボイス制度に反対していたというだけであれば、実はこれは容易に排外主義と結び付く(実際、当時のインボイス反対運動の中心はそういう論調が多かったと記憶している)。だから、今回の件もそれほど不思議ではない。私はあくまで、「あわゆる搾取に反対する」という意味から、貧しい人をより貧しくさせる制度であるインボイス制度に反対する、というだけである。

2025.6.21

 イスラエルのイラン攻撃に引き続いて、米国によるイランへの攻撃が起った。議会の決定も通さずに、また国際法を守る意思の欠片もない形で、平気で戦争が始まった(むろん議会で承認されれば戦争をしてもいいというわけではない)。日本政府も、憲法改正やら議会の決定やらをすっとばして、もうすぐこうやって突然戦争を始めるのではないか、という危機感を抱いている。そんな状況はもう目の前だと思う。

 ↑こういう書き方は、これまでもずっと日本政府が(米国の)戦争に協力してきたという事実を覆い隠してしまいかねないので、気を付けないといけないところもある。ベトナム戦争では日本の米軍基地から戦闘機が飛び立ったし、中東戦争では米軍機などへの給油に協力していたし、イスラエルの軍事企業には公金を投入し続けているし、これまでも日本は戦争に「参戦」することで豊かさを享受してきた。

 目の前の生活とのギャップに頭がくらくらする。目の前には生活のためにやることが山積みだ。でもそれが終わっても戦争が終わるわけではないし、差別がなくなるわけでもない。悲しい。眠れない。こんなことやってる場合じゃない。でも何をすればいいのかもわからない。

 とは言いつつ、自分は、夜には寝て、朝に起きて、タスクをこなして、自炊をして、やりたいことを少しやって、たまに銭湯や散歩に行って、ひどい矛盾を尻目に、いわゆる「健康」的な生活を平気な顔をして乗りこなしてしまう。

 たぶん私は、「自分は無力だ」という感覚(先の新聞記事でいう「自分にはどうしようもない」という感覚)を、どうしようもなく、心の底の底で受け入れてしまっている。社会とか政治に対する時だけではなくて、個と個の関係性においても、自然とこう考えることが多い。だから他者への愛情・依存・執着・嫉妬といった感情も薄めなのかもしれない。そう考えると、自分は冷たい奴だし、そこにはやっぱり「特権」というものが結び付いているのだろう、と改めて思う。

 ただ、内面にどういう感覚があろうが、結局大事なのは「どのような行為を取るか」「どのように外に向けて表現するか」ということのはずだ。「自分は無力だ」という自分の心の底の底の感覚は、それこそ「どうしようもないもの」「ままならないもの」として、受け入れたいし、大切にしてあげたい、と思う。で、その上で、誰も無力ではない(だって実際無力ではないのだから)、ということを信じた行動を取っていきたい。

 ……まとまりがなく、何を言いたいのか分からない文章になってしまった。まあいいか。

(棋客)

*1:ちなみに、漢字一文字ずつに別でルビを振っていた場合、「おんおんせいせい」になってより聞き取りづらくなる。