どういう文章を、どこに、どうやって書いていこうか、ということを最近よく考える。理由は簡単で、人に意志を伝えるさまざまな方法の中で、私がそれなりにうまく使えると感じる武器の一つが文章だからだ。でも、どうにも上手く行かないというか、何を書いてもしっくりこない感覚がずっとある。そのコンプレックス(自信の無さ?)に向き合って、思いつくままに書いてみたのが今回の記事だ。
どこに書くか?
ブログにはずっと書き続けてきたけど、やっぱり流れ去って行ってしまう感覚はある。私にとってブログはライフワークであって作品ではない。ブログのこの問題点は、ホームページを作って補えたところはある。でも、物体として紙に書いて、それを人に渡す、というやり方も試してみたい、というのはずっとある。
紙媒体に書くとして、最初に思いつくのは、zineを作るという手だ。大型商業出版ではなく、手作りで、自分の意思を自分の身体で配ることって、この資本主義化された社会に対するすごく大きな抵抗になると思うから。むろん、手作りとはいっても、印刷は業者に頼むことになるだろうから、徹底できるわけではないのだが。(自分で輪転機回して刷るという方法もできなくはない。あと、木の板に自分で文字を彫ってアジビラを刷ってみたいという願望もある。いつかやってみたい。)
で、最近ずっと悩んでいるのは、「自分の文章がzineに載っているとして、それが「いいもの」になっているイメージが湧かない」という問題である。(←この記事を書くに至る動機がこれだ。)
いや、本当になんでなんだろう。わからない。自分の文章が紙になっているところを見たことが無さ過ぎるというのも要因かもしれない。私は別名義で小説を書いているのだけど、こちらもネット上の連載だけで紙にしたことはない。こちらも紙になっているところは全く想像できない。
zineに自分のいい文章が載っているイメージが湧かない本当の原因は、結局のところ、「zineに何を書くの?」ってことが全然決まっていないし、思いつかないからだと思う。そこで次の問いに進む。
どういう文章を書くか?
自分の能力からして最も向いているのは、ある程度信頼できる情報源に当たって、それをまとめつつ、何かを批判する、みたいな方向性の文章だと思う。たとえば、ある社会問題についてデータや専門家の意見を引きながら、再批判しつつまとめる、とか。論文やウィキペディアはそういうものだ。きっと新聞記者もそこそこ向いているだろう。ただ、他の人がやっていると、まあ自分がやらなくてもいいか、とはなりやすい。あと、こういう作業はどうしてもしんどい(差別的な言説や現実に自ら調べてぶつかり続けることになるからだ。)
あとは、かなり狭いプールの読者が想定される文章において、求められたものを分かりやすく出力する、というのも比較的得意だと思う。数年前に吉田寮裁判のビラに書いた文章は未だに使ってもらっているし(←結構嬉しい)、吉田寮紹介パンフレットに書いていた文章も、比較的うまく書けたと思う。
でもねー、こういう文章を自分が「書きたい」かって言われると、かなり微妙。特にウィキペディア執筆に顕著だけど、「他にやる人いない中で、たぶん私がやるのが早いし、私がやれば内容もマシになるだろうし、まあやるかぁ」的な、そういうマインドでやってるだけで、どうしてもそれ以上のものにはならない。
わざわざzineを作るとして、書いてみたいと思うのは、「自分のことをありのままに書く」みたいな、やっぱりそういう方向性の文章になる。怒りや悲しみ、恥ずかしいことやままならないこと……できるだけ多くの人に響くようなものを、そして私という人間を理解してもらうときの名刺代わりになるようなものを、書きたい。まっすぐに書いても、実験的な方法でもいい。
……と、このへんまでは、ぼんやり頭にあるのだが、やっぱりそうやって書いた自分の文章が、zineに載っているイメージがどうしても湧かない。
うーん、そもそも、「自分のことを書いてみる」のは、確かにやりたいことではあるんだけど、自分の場合はそこに切迫性を感じていないのかもしれない。「説明しなければ生きていけない」という切迫性を覚えなくても生きていけるのは、自分の属性に賦与された特権の一つだし、それを認めるのは居心地悪いところもある。でも実際そうだから仕方がない。
ひとまず、何でもいいから書いてみようというのではなくて、zineの構成を考えて、計画的に書いてみるのもいいのかもしれない。この時に、「この要素が必要だから、これについてのエッセイを書こう」みたいに説明的になりすぎるのでもなくて、全体のリズム感を重視して、読み手が飽きないように色んなコンテンツを入れるとか、そういうことを考えてみようかな。
私は、本当のところは、文章だけにこだわりたいという気持ちはあんまりない。絵を書いたり、工作をしたり、会話したり、場を作ったり、ゲームを作ったり、色々な方法を試してみたい。ただ、めちゃめちゃ致命的なことに、一つの技術を時間をかけて一から学んで身に着けようという、根気が全くない。
だから結局、私が認めないといけないことは、文章を書きたいのなら、私は文章を書く練習をした方がいいってことだと思う。でも練習が嫌いなんだ。これはどうしようもない。
たとえば、自分一人で作るのではなくて、編集を外注して、校正を含めた全体的なアドバイスをもらったりするといいのかもしれない。にしても、自分で書き始めることが先決だけど。
(棋客)