達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

9月7日は沖縄市民平和の日

 今日、9月7日は、沖縄市民平和の日だ。沖縄戦が公式に終結してから八十年の節目を迎えることになる。この機会に、最近よく聞く「戦後八十年」という言葉について考えていることをつらつらと書き連ねておきたい。

◆戦後八十年

 「戦後八十年」という言葉に、何だかなあと思うことがある。それはこの言葉に、八十年間、日本国が全く戦争と無縁でいたかのような響きを感じ取ってしまうからだと思う。ここ八十年の歴史を見ると、朝鮮戦争の特需で高度経済成長がもたらされ、ベトナム戦争では沖縄の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、イラク戦争では自衛隊が米軍に海上給油を行い、今も年金はイスラエルの軍需企業に投資されている。そしてこの列島に米軍・自衛隊の軍事基地は大量に存在し、軍事予算は増加の一途をたどる。

 戦後八十年は、戦争に加担し続けてきた八十年としてとらえるべきだと思う。

◆戦争の痛み

 「戦争から八十年が経って、戦争の痛みが忘れられ、各国で極右が台頭した」といった言説がある。確かに、私を含めたいわゆる「戦後世代」が戦争のことを知らなさすぎるというのは本当のことだし、太平洋戦争の経験者が減り行く今、その体験をどう語り継ぐかということは課題の一つではある。

 しかし、たとえば日本では、終戦から十年経たずに、再軍備自衛隊)と思想統制レッドパージ)が行われ、公職追放されていた大日本帝国の権力者たちも政治に復帰する。かつて満州への植民を推し進め、A級戦犯として収獄されるも、戦後には統一教会・極右団体と連携し、米国追従と反共の体制を作り上げることになる岸信介は、その代表例だ。

 つまり、現実を見ると、戦争が遠のいたからどうこうと言えるものではない。残酷なことに、「戦争の痛みを体験していれば戦争をしなくなる」というわけでは全然ないのだ。

 ではどうすればいいのか。その鍵は、「戦争の痛み」という言葉のとらえ方にあると思う。「戦争の痛みを忘れない」というと、「戦争で受けた痛み(被害)を忘れない」という方向で理解されがちだが、「戦争で与えた痛み(加害)を忘れない」ことが大事なのではないか。

◆「終戦記念日」とは?

 8月15日は、あくまで「裕仁昭和天皇)が戦争終結をラジオ放送した日」に過ぎない。確かにさまざまな意味で象徴的な出来事ではあるのだが、ポツダム宣言の受諾が外交文書上確定されたのは9月2日であり、国際的にはこちらが終戦の日(=対日戦勝記念日)とされることが多い。そもそも8月15日にすべての戦闘が終了したわけでもなく、特に樺太満州などでソ連軍との戦闘が続いていた。

 実は今の日本史の高校教科書でも、「9月2日に太平洋戦争が終結した」と記述されることが多い。もし敗戦とともに天皇制が解体されていたら、8月15日が特別視されることはなく、終戦の日は9月2日になっていたかもしれない。

 さらに言えば、沖縄戦の公式な終結は9月7日とされ、沖縄市民平和の日に制定されている(市民平和の日 | 沖縄市役所)。この日、南西諸島の全日本軍を代表しての無条件降伏として、嘉手納の米軍司令部で降伏が調印された。8月15日や9月2日に比べて、9月7日という日が忘れられがちなのは、琉球軽視の一つの現れだと思う。

◆戦前と戦後の境界線

 終戦すれば人々の暮らしが平穏に戻ってひと段落というわけではなく、ここから兵士と植民者の引揚と、「国内」からの朝鮮人帰還が始まる。その過程で「国民」を線引きする弁として入管が作られた*1。言うまでもなく、入管の問題も現在まで引き継がれている。

 確かに、終戦記念日を一つの契機にして、過去を振り返ることは大切なことだ。私の家の近所の中野区立図書館では、戦後八十年記念の特集図書の展示コーナーが作られていたが、なかなか良いランナップが並んでいて素晴らしかった。しかし、終戦という境界線を強調することで、見えなくなるものがたくさんある。終戦によって、この列島社会が魔法のように変わったわけではなかった。そのことは忘れないようにしたい。

(棋客)

*1:このうち大村収容所については、以前Wikipediaにまとめたので参照してほしい→大村入国管理センター - Wikipedia