■もう10月も終わる
2025年も終わりに近づいている。よく「時間が過ぎるのがあっという間」というが、これって「5年前の出来事が昨日のように感じる」ことを指すのか、それとも「先月の出来事が随分昔のことのように感じる」ことを指すのか、どっちなんだろう。
普通「あっという間」って言う時は前者を指している気がする。でも私は、たとえば大学生の頃に将棋を指していた自分なんてもう20年以上前のことに思えるし(実際は8年)、博論を提出したのも3年前ぐらいに思える(実際は半年前)。ということは、私の時間感覚は「時が経つの、あっという間」というより、「時が経つの、おっそ」という方なのかもしれない。
でも実感として、「うわー、もう十月かあ」とは思うわけで、これはどういうメカニズムなんだろう? 自分の時間感覚が宙に浮いているような、不思議な感覚になる。今、規範とされる社会のリズムに則って生活をしていないので、それも当然なのかもしれない。
■校正という作業
博論の書籍化に向けて準備をしているのと、あともうすぐ出版される論文集に一つ論文を載せている関係で、9~10月は自分の文章の校正作業をたくさんこなしていた。自分の文章を、論旨はぶれないようにしながら、より誰しもに読みやすいようにブラッシュアップするという作業は、なかなか楽しいものだ。
音読してみたり、一回目を通した後にまた時間を空けてみたり、修正後がかえって読みにくくなっていることに気が付いたり、どうしようもないところは諦めてみたり。その試行錯誤が楽しい。学術出版なので、原稿料が貰えるわけもなく、一円にもならないのだが、すごく「仕事」をしているという充実感がある。もっとこういう仕事をしていきたい。
■青波杏『日月潭の朱い花』
だいぶ前に読んだのだが、感想を書き忘れていた。易しい文体でとても読みやすく、すらすらと頭に入ってくる小説だ。話にもしっかり起伏があって面白く、スリリングな展開も見どころ。あまり負荷なく読めるので、万人に勧めやすい。いい本だと思う。
現代の台湾で暮らす在日朝鮮人と日本人の二人が、日帝の植民地支配下の台湾の女学生の日記の足跡を辿っていく。今にも続く植民地主義の暴力や家父長制をよく描きながら、等身大の抵抗が紡がれていく。
どういう言葉にマイクロアグレッションを感じるのか。何を共有した時に初めて同志となるのか。何のために歴史を紐解くのか。歴史を他者化せずに引き受けていく営みが描かれていると思う。主人公のアイデンティティが揺れたままに終わっていくのも非常に良い。
青波杏さんは、もっと読まれてほしい作家だ。インタビュー記事が出ているので、共有しておく。
■「テレビの中に入りたい」
映画。終始暗い作品で、心身の調子がいい時に観に行った方がいいかもしれない。しかしその「暗さ」の描写、つまり最後までもやもやを晴らさない描写に、監督の強烈な意志を感じた。社会への同化を選ぶ主人公。その選択の先に救いはない。しかし飛び込む道を選んだとしても、きっと救いはなかった……。
マイノリティ表象の分厚さや蓄積を感じる作品でもあった。マイノリティの悲劇性を強調する作品が作られ、また(包摂的な)「希望」が語られる作品が作られ……という蓄積の、その先に作られたからこそ、光を放つ作品なんだろうと思う。
たとえば、社会への同化というのは本作のテーマの一つだけど、同化するために四苦八苦するという(過去のフィクションでありがちな)シーンは、ほとんど描かれていない。ちょっとした台詞と、見た目や属性から、その人が普段被っている抑圧が見える仕掛けにされている。逆に言えば、そういう抑圧があるということを身をもって知っている人にしか分からない描き方になっているとも言える。こういう描き方は過去の作品の積み重なりがないと難しいだろうと思う。
(棋客)