達而録

ある中国古典研究者が忘れたくないことを書くブログ。毎週火曜日更新。

将棋連盟の「女流棋士のプロ編入制度」について思うこと

 私は小学校の頃から将棋に親しんできて、中学から大学まで将棋部に在籍していました。ここ数年は思い出したように遊ぶぐらいであまり真面目にやっていませんが、ちゃんやっていた時期は、詰将棋棋譜並べ、24にウォーズ、そして部員との対局と、一日中将棋に熱中していました。

 24の最高Rは2300ぐらい。高校の時、団体戦で全国大会に出場したこともあります。……と書くと事情をご存じない方にはすごく強く聞こえると思いますが、当時私が住んでいた県にはそもそも将棋の団体戦を組める高校が8校ぐらいしかなかったので、ものすごく強い、というほどではないです。いま将棋大会に行ってもほとんど勝てないと思います。

 珍しいところでは、将棋を英語で発信することに注力していた時期もありました。81Dojoという海外の方が多く参加されていた対戦アプリで、英語で感想戦をしながら将棋を楽しんでいた記憶もあります。

 もちろん、プロ棋士の対局を観るのもとても好きで、この15年ぐらいの、将棋界のさまざまな出来事も肌で体感してきました。最初に中継に夢中になった記憶があるのは広瀬・深浦の王位戦(2010年)です。実家で西日本新聞を取っていたこともあり、王位戦にはずっと親しみがありました。その後も、電王戦(今思えば、人間とコンピューターの手に汗握る勝負を見ることが可能だったのはあの数年だけでした)、ソフト指し問題、八大タイトル群雄割拠時代、ライオンフィーバー、そして藤井聡太の登場……。良い話題も悪い話題もありながら、ずっと自分の隣には将棋という存在があったように思います。

 

 そんなプロ将棋界に、最近大きな動きがありました。女流棋戦の「白玲戦」でタイトル「白玲」を通算5期獲得すると、日本将棋連盟所属のプロ棋士になれる、という新制度が作られたのです。

 そしてこれに対して、藤井聡太さんが「棋力の担保」について問いかけを挟む一幕が見られた、と報じられています。

 SNS上でさまざまな議論が起こったようですが、その中には色々な誤解に基づくものがあったり、将棋プロの仕組みを知らないものもあったりと、ネットの論争のおもちゃにされてしまったような印象があります。

 今回は、この件について、私なりの考えをまとめておきます。

 ただその前に、そもそも「将棋連盟」と「棋士」「女流棋士」の仕組みをご存じない方も多いでしょうから、まずそのことを説明しておきます。

 

将棋連盟・プロ棋士の仕組み

 原理的に言えば、お金を貰って将棋を指せば誰しもが「プロ」と名乗ってよいでしょうが、現在一般に将棋プロ・プロ棋士と言うと「将棋連盟所属の棋士」を指します。この棋士たちは、主にスポンサーの出資を得た棋戦で戦うことで収入を得ています。

 将棋連盟に所属するためには、二つのルートがあります。一つは「奨励会」というプロの下部組織で勝ち抜く方法です。現状では、(原則)年間に4人しかプロになれません。奨励会は三段以下、プロが四段以上です。年齢制限がある厳しい勝負の世界で、この世界の残酷さは大崎善生『将棋の子』によく描かれています。

 もともとこの方法以外でプロになることはできませんでしたが、奨励会を年齢制限で退会したのち、アマとして将棋を続ける中で、プロに対して高い勝率をたたき出す棋士が現れます。それが瀬川晶司です。2005年、瀬川さんのために、棋士との五番勝負で勝ち越したら棋士にするという特例が作られ、瀬川さんはプロ入りを決めました(この話も小説化・映画化されています)。これ以後は、プロ相手に高い勝率を残したアマチュアのための「プロ編入試験」が制度化されました。

 さて、もう一つ説明しておかなければならないのが、「女流棋士」についてです。いま説明してきた枠組みには、性別分けがなされているわけではなく、奨励会に所属する女性の会員も数多くいます。しかし、将棋は伝統的にプレイヤーに男性がきわめて多く、その比率は現代でもあまり変わらない中で、奨励会を突破する女性はまだ現れていません。厳しい条件をクリアして編入試験に挑戦した女性もいますが、敗退してしまいました。つまり現状、いわゆる「棋士」は実質「男性」だけの世界になっています*1

 ではプロの「女流棋士」とは何を指すのかというと、将棋連盟所属の女流棋士と、かつて同じ組織から分立した「LPSA」所属の女流棋士です。将棋連盟の女流棋士制度は、1970年代、将棋をより普及させていく目的のもとで始まりました。棋士とは異なり、全員が対局料だけで生活できるというわけではないと言われています。2007年、その待遇の悪さから女流棋士の不満が募り、「LPSA」という別団体が設立されます(今は両団体とも友好的な関係を築いていて、ともに同じ棋戦に出場しています)。

 女流棋士になる方法は時代によって変遷が大きいのですが、今は研修会で一定以上の成績を収めることや、奨励会で一定以上の級位にいることなどが条件になっています。奨励会の突破よりは条件が緩く、棋士女流棋士の平均を見ると実力差は大きいのが現状です。しかし、女流棋士界にも長い歴史があり、中井広恵清水市代から里見(福間)香奈・西山朋佳*2まで、熱い闘いが繰り広げられてきました。ちなみに、現在、将棋連盟の会長を務めているのは清水さんです。

 

 では、以上の仕組みを踏まえて、今回の件について改めて整理して考えてみたいと思います。

 まず大前提、押さえておいてほしいのは、日本将棋連盟が「日本で一番将棋が強い人たちが集まった組織」かというと、必ずしもそうとは言えない、ということです。

 この意見に対しては、当然、「いやいや、プロ棋士が一番将棋が強いでしょ」という反論があると思います。実際、棋士より将棋が強い人というのはそうそういないでしょうから、この反論には説得力があります。では、私が言いたいのはどういうことか、二つの角度から説明していきます。

 

そもそも将棋連盟とは

 そもそも日本将棋連盟とは何か。以上の歴史を踏まえて一言で言うなら、「将棋を興行として、一定の人数のプロ棋士が安定して収入を得る仕組みを維持するために、作られた組織」です。

 たまたま今は一つしかありませんが、プロの将棋指しの組織が他に何個あったっていいのです。たまたま今は(おそらく)将棋連盟所属の棋士たちが最強ですが、他の場所にもっと将棋が強い人がいてもいいのです。いずれにしても、とにかく棋士たちが安定して生活できるように資金をやりくりするのが連盟の仕事である、ということは動きません。極端に言えば、この仕組みを作ることができるのなら、連盟としては、どんな方法でも構わないのです。

 「順位戦」と「フリークラス」のシステムに顕著ですが、棋士は勝てなくなったからすぐにやめなければならないというものではありません。棋士が生活していけるように、安定した給与を保障できるように立ち回るのが、連盟の第一の任務です。

 もし連盟が厳密な意味で「棋力の担保」をしたいのなら、順位戦という棋力が即座にクラスに対応しない仕組みは止めるべきだし、「棋士レーティング」(公式戦の結果から棋士の強さを数値化する指標)の値が低い棋士は即座にやめさせるべき、ということになるかもしれません。しかしそういう仕組みにはなっていないわけです。

 とにかく、厳密な意味での「棋力の担保」よりも、「棋士が安定して食っていけるシステム」を目指してきたのが将棋連盟の運営方針です*3

 このことから考えた時、旧来のシステムと、新しいシステム、どちらが「棋士の安定した生活」を維持する目的にかなうでしょうか。

 私は当然、後者が良いと思います。少子化も進み、不況も進む中で、将棋という娯楽をプロの世界で残すためには、将棋を指す人、そして将棋に興味がある人、将棋を観る人と、とにかく裾野を広げていく必要があるはずです。女性の棋士の存在がそのために大きく象徴的な意味を持っていることは、言うまでもないでしょう。まずこの連盟の存在意義から考えて、私は新制度に賛成します。

 そもそも、新制度を利用して棋士になれる女流棋士は、通算5期獲得というルールから言って、「10年に1人出るかどうか」というぐらいでしょう。これが「棋士」という存在のバランスや特異性(また現実的に言えば連盟の収支のバランス)を失わせるような制度だとも思えません*4

 

そもそもプロ棋士は「一番強い」のか

 現在、日本将棋連盟に所属する棋士は174名います。ではこの「174名」が、日本で将棋が強いランキング上位174名なのでしょうか。以上の話の流れからも分かるでしょうが、答えは「否」です。そんなことはありません。

 棋士の強さにはさまざまな要素があり、一括りで判断するのは難しいですが、分かりやすい指標として、有志の方が計算されている「棋士レーティング」を見てみましょう。ここには、棋士の各個人のレーティングだけではなく、「奨励会員」「女流棋士」「アマチュア」を一個人として一括りにした場合に相当する数値が記載されています。

棋士ランキング

 2025年11月23日時点で見ると、134位相当に「奨励会員」、138位相当に「女流棋士」、150位相当に「アマチュア」が入っています。つまり単純計算で言えば、日本将棋連盟棋士の中には、奨励会員・女流棋士・アマチュアより弱い人がいる、ということになります。

 そして、ここで一括りにされる「女流棋士」の中にも、実際には勝率が低い人と高い人がいるわけで、そのうち高い女性の棋士であれば、これより順位は高いと想像されます。しかし現状では、トップの女流棋士棋士にはなれていません。

 ということは、果たして、以前までのシステムと、トップ女流棋士を「棋士」にするという新しいシステム、どちらが「棋力の担保」に成功していると言えるでしょうか?

 私は、「棋力の担保」という面から考えても、むしろ後者の方が良いと思います。

 いまの将棋界の論調だと、この件は「棋力の担保を犠牲にしても、将棋の普及のために必要な制度だ」と言われている印象があります。しかしそうではなく、「棋力の担保のためにも、普及のためにも、新制度がよりよい」と私は考えます。*5

 

将棋以外の「プロ」の世界

 以上、日本将棋連盟のシステムに即して考えてきました。しかし、このシステムに固執して考えること自体にも、危ういところがあるでしょう。

 たとえば、似た業界から「プロ麻雀」の例を考えてみましょう。麻雀プロは、トップの一握り以外は麻雀だけで食っていくことはできません(むしろプロ団体に所属するためにお金を払うことも多いです)。一方、将棋連盟に所属している将棋プロは、一応これだけで食っていける生活の保障を得られます。

 その代わり、麻雀プロはやや敷居が低く、「プロ雀士」の数も圧倒的に多いです。自然、トップクラスで活躍する女性の雀士も数多くおり、男女分けのない大会で女性の雀士が優勝したこともあります。どちらのシステムも一長一短ですが、プロ麻雀のシステムがゆえに開けている可能性があることも確かです。

 今後百年の展開を見たとき、このままでは将棋と麻雀ではくっきりと明暗が分かれるのではないか、と私は感じています。もちろん将棋と麻雀ではゲーム性が違うので、単純比較はできませんが、他の業界から学んでいくべきこともあるでしょう。

 

将棋の魅力

 将棋というゲームにしかない魅力はたくさんあります。将棋は二人いればできますし、一人でも楽しめます。簡単なハンデの付け方があるので、実力差はあまり関係がなく、同じ土俵の勝負を楽しめます。古くから視覚障害者が活躍してきたゲームであるということも強調しておきたいです*6。むろん耳や口、足に障害があっても楽しむことができます。

 一局まるまる対戦しなくても、詰将棋などの手軽なパズルもあります。今なら手軽なアプリもたくさんあります。難易度は上がりますが、極論盤と駒がなくても楽しめます。また自分でやらなくても、観戦の楽しみも最近はどんどん増えています。

 このように将棋は、本来であれば、すごく間口が広く、さまざまな人が楽しめるゲームです。しかし、それを大きく阻害してきた要素があります。その一つが、男性プレイヤーが圧倒的に支配する環境であるということです*7。その背後に、業界における女性蔑視の考え方がついてまわっていることも、やっぱり否定できないことだと思います。

 「男性脳は論理思考力に向いている」「数学は女にはできない」などどいったデタラメは今でも幅を利かせることがあります。道場で女性に見える人がやたら話しかけられるとか、女性に見える人に負けるとやたら負け惜しみを言うとか、そういったことも「過去の話」とは言い難い面があるでしょう。これまで、たくさんの人が、さまざまな方法で、こうした状況の改善に向けて努力されてきたわけで、そのことはとても素晴らしいことです。しかし、性別の隔てなく将棋に打ち込める環境は、まだ実現してない、とまだ言わざるを得ない状況でしょう(整っていれば、こんな比率にはならないはずです)。

 今回の新制度が、そういう状況を変える一つのきっかけになればいいなと思います。

(棋客)

*1:もちろん、現在に至るまでの全棋士が、一人残らず本当に「男性」ジェンダーなのかというのは厳密には分からないことですが、一般にはそうみなされています。また、今回の話題はどうしてもバイナリーな書き方になってしまいますが、ノンバイナリー、Xジェンダーがいるように、ジェンダーを女性/男性の二つだけと考えるのは本来は誤りです。

*2:この二人の対戦の歴史については「棋士中村太地将棋はじめch」の解説がとても良かったです→【超深い】特殊な進化を遂げた里見西山の将棋を解説- YouTube

*3:奨励会員のプロ入り人数を厳しく制限しているのもそのためです。なお、その結果、棋力の担保ができず面白くない将棋が増えてしまうかというと、必ずしもそういうわけではなく、ここ一番で力を発揮するベテランの将棋や、降級点回避の熱い勝負を見られるのでこれはこれで魅力的、というのが絶妙なところです。

*4:なお、囲碁界では、もうすぐ連盟の資金繰りが保てなくなるという話が上がっています。後にも述べるように、現状の将棋連盟のシステム自体、考え直さなければならない時期に来ているのかもしれません。

*5:「それなら奨励会の間口を広げるのが先だ」という意見もあるでしょう。もちろんそれも一理ある考え方ですが、この制度との単純比較はできません。というのも、奨励会の間口を広げると、プロの人数が一気に増えることになるからです。すると「みんなが食っていけるシステム」を作るのが難しくなるかもしれません。もっとも、そんなことで悩まなくてもいいぐらい、将棋連盟の収入が潤沢になるようにファンが増えていけば問題はありません。ファンとしてはこれを目指すべきだと思います。

*6:江戸時代に、「石田流」という現代にも使われる戦法を創案したのは、石田検校という盲人棋客です。今は、凹凸のある視覚障害者用の盤があり、視覚障害者の将棋大会も開催されています

*7:他にも、日本語情報がほとんどということといった障害もあります